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私の駆け出し時代

日経アーキテクチュア

目次

  • 構造や材料を開発する建築家を目指した

    坂 茂、その1〔若き日の葛藤編〕

    新しい構造と材料の建築を、次々と生み出している坂茂氏。その原点は、やはり紙の建築だろう。しかし、米クーパー・ユニオン卒業、磯崎新アトリエ勤務という経歴からは、そうした構造や材料への志向がいつ芽生えたのかは見えてこない。なぜ独自の構造や材料を追究することになったのか。そしてなぜ紙だったのか。偶然の巡り…

  • 若気の至り、巨匠に押しかけ進路相談

    丹下憲孝氏・丹下都市建築設計会長、その3〔失敗に学ぶ編〕

    「ボンボンだった」。丹下憲孝氏は、若いころの自分をそう評する。事務所に入ってからは、丹下健三氏の叱咤(しった)を幾度も受けた。「本当にこれで良かったのか」と常に自問する父の姿は、現在の憲孝氏にも受け継がれている。

  • 背水の陣で勝ち取ったコクーンタワー

    丹下憲孝氏・丹下都市建築設計会長、その2〔ブレークスルー編〕

    27歳で父・丹下健三氏の事務所に入社した丹下憲孝氏は、早い時期から実作の設計に携わった。39歳で事務所を継承。47歳のときに父親が亡くなり、外からの注目を感じるなか、背水の陣で取り組んだのが「モード学園コクーンタワー」のコンペだった。(全3回のうちの第2回)

  • 父・丹下健三に学んだ「段取り」の意味

    丹下憲孝氏・丹下都市建築設計会長、その1〔若き日の葛藤編〕

    偉大なる父親、丹下健三氏の設計事務所を継承するという重責を担ってきた丹下憲孝氏。現在は丹下都市建築設計の会長だ。丹下健三・都市・建築設計研究所に入社した当初は1人の所員としての下積み作業を担いつつ、父親との海外出張を通して、「仕事を気持ちよく進めることの大切さ」を学んだ。(全3回のうちの第1回)

  • 建て主の苦言で建築家は育てられる

    堀部安嗣(堀部安嗣建築設計事務所)、その3〔失敗に学ぶ編〕

    人間の気持ちを察するのは難しい。自分自身のことを理解するのも難しいのに、他人のこととなるとさらなる難問になる。建築の設計においても、建て主の気持ちを理解し、いかにスムーズに接していくかが求められているだろう。堀部安嗣氏は、失敗しながらも、その生涯学習ともいえる難問に正面から向き合っている。(全3回の…

  • 自分と他人、両者の「気持ち」で建築を考える

    堀部安嗣(堀部安嗣建築設計事務所)、その2〔ブレークスルー編〕

    堀部安嗣氏は「建築を気持ちで考える」(TOTO出版)という書籍を出した。「気持ち」というのは、自分と他人、特に建て主の気持ちのことだ。堀部氏は益子アトリエに3年ほど勤めた後に独立し、まずは自分の気持ちに正直に建築をつくる苦労を知った。そして次に、建て主の気持ちを酌むことの大切さも身に染みて感じたとい…

  • じっくりと建築を楽しめる環境を求めた

    堀部安嗣(堀部安嗣建築設計事務所)、その1〔若き日の葛藤編〕

    はやり廃りとは無縁に、落ち着いた家をつくり続けてきた建築家の堀部安嗣氏。だが、実はバブル経済期、前衛的な建築が次々と建ち上がっている頃に学生時代を過ごしていたバブル世代だ。同時代の建築業界をどう見ていたのか。また、そうした風潮のなかで、どのようにして自分の作風を切り開いていったのか。下山眞司氏、安藤…

  • ディテール熱が高まり「懲り過ぎ」の時代も

    菅順二氏(竹中工務店 常務執行役員)、その3〔失敗に学ぶ編〕

    若き日の菅順二氏を駆り立てたのは、ディテールに対する熱意だった。仕上げ材や部品を選ぶ際もすべてのカタログを見渡して決める徹底ぶり。時には使いにくさも指摘されたが、漏水対策などには細心の注意を払った。(全3回のうちの第3回。この回のみ日経アーキテクチュア購読者限定)

  • 「組織のベール」を自ら剥がして学会賞受賞

    菅順二氏(竹中工務店 常務執行役員)、その2〔ブレークスルー編〕

    1980年代後半、プロジェクト全体を担当するようになった菅順二氏(竹中工務店)は、バブル経済の追い風もあって、外観や内部空間のディテールに徹底的にこだわった実作を生み出していく。40歳代後半になって手掛けた竹中工務店東京本店新社屋の設計は、そんな菅氏にとって大きな転機になった。(全3回のうちの第2回…

  • 上司の言葉で気付いた「もう1つのデザイン」

    菅順二氏(竹中工務店 常務執行役員)、その1〔若き日の葛藤編〕

    竹中工務店の菅順二氏は、知的生産性の向上と高い環境性能の両立を図るオフィスの設計を多く手掛けてきた。菅氏が実務者としての第一歩を踏み出したのは、基本設計段階で配属された「有楽町センタービル」の設計室。ときに上司と正面から議論しながら、デザインに対する思い入れを貫いた。(全3回のうちの第1回)

  • 最初は気付かなかった音環境の重要性

    工藤和美・シーラカンスK&H共同代表、その3〔失敗に学ぶ編〕

    シーラカンスの代表作でもある「千葉市立打瀬小学校」(1995年竣工)は、街に開かれた画期的な建築だ。しかしその後、多くの学校建築を設計し、経験を積み重ねた今の工藤和美氏が振り返れば、完璧ではない部分もある。20年ほど前の若き日に対して、厳しい批評の目を向けてもらった。(全3回のうちの第3回。この回の…

  • 都市計画の経験が学校建築につながった

    工藤和美・シーラカンスK&H共同代表、その2〔ブレークスルー編〕

    シーラカンスの代名詞といえば学校建築だが、その原点は日本建築学会賞作品賞を受賞した「千葉市立打瀬小学校」(1995年竣工)。この仕事は、工藤和美氏のオランダでの都市計画や、東京大学原広司研究室での都市計画コンペの経験や人脈が生かされたものだった。(全3回のうちの第2回)

  • 学生時代からプロ扱い、仕事の醍醐味を知る

    工藤和美・シーラカンスK&H共同代表、その1〔若き日の葛藤編〕

    「私の駆け出し時代」の2人目には、シーラカンスK&Hの共同代表である工藤和美氏に登場いただいた。シーラカンス時代の「千葉市立打瀬小学校」で注目を浴び、シーラカンスK&Hに改組してからも、「福岡市立博多小学校」や「山鹿市立山鹿小学校」など、学校建築の設計を中心に活躍している。目を見張るデザインやプラン…

  • 苦い経験が育んだ「想定外」への心構え

    亀井忠夫・日建設計代表取締役社長、その3〔失敗に学ぶ編〕

    今回は「失敗に学ぶ」編。設計業務を続けていれば、しばしば想定外の出来事に直面する。日本最大の設計事務所、日建設計を率いる亀井忠夫氏も、自身で失敗と感じる経験を重ねてきた。それらを通して意識するようになったのが「何かが起こること」に対する心構えの重要性だ。

  • 林昌二氏に叩き込まれた「筋の通し方」

    亀井忠夫・日建設計代表取締役社長、その2〔ブレークスルー編〕

    今回は亀井忠夫氏の「ブレークスルー」編。現在の日建設計の基礎を築いた林昌二氏からは、論理的な考え方を叩き込まれた。そして、「本流の仕事に携われるチャンス」が入社6年目にようやく訪れる。1995年に竣工した「JTビル」だ。日建設計の設計者の業務が川上へと広がっていく時代を背景に、亀井氏は、官庁や複数の…

  • 新人時代は質問魔、プロの図面を体得

    亀井忠夫・日建設計代表取締役社長、その1〔若き日の葛藤編〕

    日経アーキテクチュアのかつての人気連載「私の駆け出し時代」が復活! トップバッターとして、日建設計の亀井忠夫社長に登場いただいた。後に「さいたまスーパーアリーナ」や「東京スカイツリー」など日建設計を代表するプロジェクトを担当することになる亀井氏だが、その設計者生活は、「書類が山積する役所のような部屋…

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