「住宅でも社会との関係を取り結べる」

 安藤氏がたまたま古本屋で見つけたル・コルビュジエの作品集に魅了されて、建築にのめり込んでいった、というのは有名な話です。この特集の取材中、「もし安藤氏がコルビュジエの作品集と出会わず、建築家になっていなかったら、日本の建築界は今とはどう違っていたか」をずっと考えていました。打ち放しコンクリートの建物が今より少なかった、といったデザイン面のこともあるだろうとは思いますが、おそらくもっと大きな変化は「建築界と社会の関係性」に表れたのではないか、と考えるに至りました。

 そのヒントをくれたのは、建築家の隈研吾氏でした。今回の特集では、安藤氏のインタビューとは別に、近作の発注者や安藤氏と関係の深い人たちに取材し、計20人のコメントを掲載しています。隈氏はその1人です。コメントの一部を引用します。

 「安藤さんは日本の建築界において、“社会的存在” に初めてなった人だと思う。丹下健三がそうじゃないかという人もいるかもしれないけれど、丹下さんは広島の平和記念資料館とか代々木競技場とか国家的なものをつくったから国の中の大きな存在になった。安藤さんはそうではなく1戸の住宅、『住吉の長屋』で、社会との関係を取り結べることを示した。建築家のメッセージが“普通の人” の耳にも届く──そういうことをやった建築家は日本にはいなかった。世界的にも珍しい存在だと思う。

 それとともに安藤さんは、アカデミズムという“はしご” がなくても社会に発信できることを示した。安藤さんがそういう意識の転換を起こしたから、僕のはしごなんか、安藤後においては何の意味も持たない(笑)。社会とつながろうとするとき、はしごが気にならない時代に安藤さんが変えてくれたのだ」

 隈氏は学生時代に、安藤氏と会って個人的に受けた影響についても語っています。そちらは特集の「エピローグ」をご覧ください。

 20人のコメントのうち、曾梵志氏、出江寛氏、西田善太氏、芦澤竜一氏の4人については、誌面に載せきれなかったインタビュー全文を当サイトに順次掲載していきます。

ブルータス編集長の西田善太氏(写真:日経アーキテクチュア)
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 西田善太氏のインタビュー記事「ブルータス編集長が見た安藤忠雄氏の発信力」については本日、公開しました。

 また、読者限定の記事として、「安藤氏の1960年代」や、安藤氏の活動年表の詳細版も用意しました。

安藤特集の取材中、編集部の打ち合わせ机は、安藤氏に関する資料が山積みの“安藤文庫”となった(写真:日経アーキテクチュア)