昭和36年には集中豪雨で大西山が大規模崩落

 1961年(昭和36年)6月には梅雨末期の集中豪雨をきっかけに大西山の中央構造線に面した山腹が大規模に崩落しました(三六災害)。小規模な崩落は、中央構造線沿いの伊那山地側斜面の至る所で見られます。

写真1 中央構造線が下刻された谷と1961年(昭和36年)の大西山腹崩壊地 (写真:河本和朗)

 写真1は、中央構造線が下刻(下方に侵食)された谷です。中央構造線は左奥の地蔵峠から右手前に通っています。谷の右側が伊那山地で、高さがそろった稜線は赤石山地(広い意味)の現在の隆起が200万年前に始まる前の平原の名残です。かつての平原は左側の赤石山脈側に続いていたはずですが、急速な隆起に伴って中央構造線が下刻され、谷底に向かって崩壊が繰り返されて、この深い谷が作られてきました。

 右側の岩盤が露出したがけが昭和36年の大西山山腹の崩壊地です。灰色の岩石が、花こう岩がマイロナイト化した部分です。地蔵峠から崩壊地のすぐ上流まで青木川が中央構造線を下刻し、左側から小渋断層を下刻してきた小渋川に合流しています。

 昭和36年の崩落岩塊は山すそを流れていた小渋川を埋めて堆積し、その一部は河川の礫や水田の泥と混ざって対岸(赤石山脈側)の集落に達し、死者42人の大災害になりました。現在の小渋川はかつて水田だった場所を流れています。集落は元の場所で復興していますが、この写真では手前の赤石山脈側の斜面の影になって見えていません。