ナポレオンが持ち帰ろうとした教会

 最南端のリトアニアは、13世紀に建国されたリトアニア大公国を起源としている。リトアニア大公は、一時期ポーランド王も兼ねるなど中世の東欧において勢力を強め、15世紀にはバルト海から黒海に至る広大な地域を支配下に置いていた。

 リトアニアの首都・ビリニュス(Vilnius)は、13世紀から18世紀まで大公国の中心地として栄え、様々な民族が融合して都市をつくり上げてきた。このため、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、各時代の特徴を表す豪華な教会などの建築物が現在も数多く残され、街全体がビリニュス歴史地区として、タリンやリガよりも少し早い1994年に世界遺産に登録されている。

 街の中に約40ある教会の中でも、後期ゴシック様式で装飾された聖アンナ教会は特にその美しさで有名で、遠征中のナポレオンがパリまで持ち帰ろうとしたとの伝説もある。500年以上にわたってその姿を変えずに守られてきた教会は、まさにビリニュスのシンボルともなっている。

聖アンナ教会(写真:菅昌 徹治)

 また、ビリニュスは、イエズス会の修道士が1579年に創設した東欧で最も古い大学があることでも知られている。現在では約2万3000人の学生が通うこのビリニュス大学は、様々な様式の建物や中庭の複合体となっており、華麗な天井装飾が施された図書室やホールなどが一般に公開されている。

ビリニュス大学の図書室(写真:菅昌 徹治)

 なお、ビリニュスからは離れるが、リトアニアにはロシア帝国とソ連の支配下に置かれた苦難の歴史を示す重要な場所・十字架の丘(Hill of Crosses)がある。北部の都市・シャウレイ(Siauliai)近郊の広さ2500m2程度のこの丘には、大小合わせて約2万もの十字架が立てられている。19世紀の反ロシア運動の際、弾圧された犠牲者を弔うための十字架が立てられたことが始まりと言われ、ソ連時代には、反乱のシンボルとなることを恐れたソビエト政府がブルドーザーですべての十字架をなぎ倒し、軍やKGBが包囲して丘へ近づくことを禁止したという。しかし、夜陰に紛れ、新たな十字架は次々とこの丘に立てられ続けたとのことである。

十字架の丘(写真:菅昌 徹治)