「新東京いい店やれる店」などコンテンツの企画・制作を手掛けるホイチョイ・プロダクションズの代表、馬場康夫氏が“流行る飲食店づくり”の真髄を探る新連載。第1回は、数々の人気レストランを生み出してきた橋本夕紀夫氏に会い、デザイナーとして店づくりにどう臨んできたかを聞き出す。

橋本夕紀夫氏。聞き手の馬場康夫氏ともに略歴は本記事末尾を参照(写真:鈴木愛子)

馬場 この連載では、主に東京の飲食店をつくってきたプロの方にお話を伺いながら、1980年代以降の東京の魅力を語るときに外せない “店づくり”の核心を探りたいともくろんでいます。それで改めて近年の東京で気になる店をつくっている方を挙げてみると、橋本さんの世代が中心になるんじゃないかなって。それはすごく面白いなって思ったんですよ。

橋本 確かにそうかもしれないですね。しかも今活躍している人って皆同じような時期に独立している。形見一郎さんとか、森田恭通さんとか、吉岡徳仁さんとか(註1)。

 僕は1962年生まれですけれど、30代半ばで独立した時期というのが、バブルがはじけて最悪の頃にぶつかっているんです。そういう意味では、大変な時代を闘ってきたという思いはありますね。

馬場 橋本さんが独立する前に在籍していたのは、杉本貴志さん(註2)の率いるスーパーポテトですよね。最初から空間デザインを志していたのですか?

橋本 実は、もともと僕はグラフィックデザイン志望だったんです。デザイナーとしての憧れは田中一光さんでした。

馬場 杉本さんとは、だいぶタイプが違いますよね。

橋本 一見違いますけれど、「無印良品」のデザインでは田中さんと杉本さんが協働していたりするんですよ。

 僕は大学に入った頃は、杉本さんのことは全く知らず、田中さんが書いた「デザインの周辺」という本のなかに「スーパーポテトのあかり」という章があって、それを読んで初めて知ったんです。そこには、スーパーポテトがいかにほかと違うことに挑んでいるのかということをはじめ、“杉本貴志”というデザイナーのことがとても印象的に書かれていました。そうしたら偶然、杉本さんが大学に講義にやってきたんです。

馬場 何年生くらいのときですか?

橋本 3年生ですかね。

 僕は地元の愛知県立芸術大学に通っていて、地方の大学だったので、第一線で活躍しているデザイナーの方がゲストとして招かれることが時々ありました。たいていの講義はデザイン哲学に終始するわけですけれど、そのなかで杉本さんの話は、とびきりいかしていたんですね。もちろんデザイン哲学の話もしながら、仕事としてのデザイン、つまりお金の話をしてくれたんです。「最近、俺のところを卒業した飯島直樹(註3)はいくら稼いでいる」とか(笑)。そうかと思うと、バーを設計するときに「夜空に浮かぶ月のイメージで発想した」などとアーティストとしての話もしたり。

 その講義のおかげで僕としては、デザインするということに対して初めて具体的に実感がわいたんです。

馬場 大学の講義でそういったお金の話や実際的な話になることは少ない。でも学生にとって、それは斬新ですし、意味がありますよね。

橋本氏(写真:鈴木愛子)

橋本 大学を出たら、そういう経験をするという前提で話してくれているわけです。杉本さんの話を聴いて、「将来、ひょっとしたらデザイナーとしてメシが食えるようになるんじゃないか」なんて、考えただけでもドキドキしちゃってね。

 当時は、今みたいにクリエーター、空間デザイナーという職業が認知されていなかった時代ですから、何を目指しているか親だって分かんないわけですよ。「それでメシ食えるの?」といった感じだったんです(笑)

馬場 杉本さんと出会ったこと以外に、グラフィックから空間に興味が移ったきっかけは何かあるのですか?

橋本 80年代半ばというのは、色々な変遷がありました。例えば、建築では「住吉の長屋」(1976)から始めた安藤忠雄さんが商業施設を数多くつくっています。ファッションデザイナーでいうと、パリコレで世界に羽ばたいた三宅一生さんの活躍などが目立った時代です。グラフィックだけじゃなく、空間もファッションも刺激的でカッコイイと感じていました。

 “空間”という意味で僕のなかで一番影響が大きいのは、その頃に見にいった妙喜庵(京都府大山崎町)の待庵(千利休作とされる国宝の茶室)です。茶室という完成された空間の美や、自然を巧みに取り込んだ日本ならではの手法など、すごく感動しました。デザイナーになって仕事をしている今でも、「あんな素晴らしい空間がつくれたら」という憧れがあります。