バブル崩壊後、独立第一作の難題は照明も工夫で乗り切る

馬場 和というか民芸調というか、そういうものに対する美意識というのが印象的ですね。三宿の春秋も、バーでありながら和の雰囲気でしたよね。当時の杉本さんは「これだ!」という確信を持っていたようでしたか?

一連の春秋(設計:スーパーポテト)の創作過程を収めた図録を閲覧しながら(写真:鈴木愛子)

橋本 デザイナーの仕事には色々な切り口があると思います。杉本さんはあまり人が目を向けていないところに踏み込んでいく傾向がありました。世の中がバブル絶頂期のときに、日本に昔からあった泥臭い世界に興味を持ったんです。むしろ泥臭さのなかに新鮮さ、ある種のお洒落さがあるということを直感的に感じ取っていたんじゃないでしょうか。

 だから、囲炉裏、廃材、朽ちた素材なんかを店内に積極的に使っていました。今では一般的ですけれど、躯体のコンクリートなどを見せたままにするつくり方もサビ鉄板仕上げも、当時はほとんどなかったと思います。きれいか汚いかというと、普通の感覚であれば汚いものにも目を向けたんですね。忘れ去られている古いもののなかに、本当は面白さが潜んでいるということを空間デザインで表現した。それが、いつの間にか居酒屋をはじめとする飲食店の内装のベースになっていき、今や普通に見掛けるものになっているわけですよね。

馬場 確かにあの頃から、店でもコンクリート打ち放しは普通になりましたものね。

橋本 建築は人がつくっているもので、そこには人の意識が入っているわけです。人工的なコンクリートにも“自然”を見いだし、本来は見せない部分をあえて見せるというのが新しさだったと思います。

馬場 なるほど。そういった手法も含めて、橋本さんのなかで赤坂の春秋の前後で変化があったわけですね。

 独立したときにはバブルははじけていたということですけれど、96年くらいですか?

橋本 そうですね。春秋の仕事で何となく自信も付いてきて、実は独立しなくてもいいなと思っていたくらいなんですよ。ただ、入社するときに杉本さんが「10年間いろ」と言ったのをあるときにフッと思い出して、「そういえば10年たったな」と。それで急に独立したくなった(笑)

馬場 でも、そのときは残念ながら世の中は…

橋本 最悪です(笑)。でも、最初にも言いましたように、気が付くと同時期に独立してデザインの仕事をしている人が周囲にたくさんいたんですよ。

馬場 「この仕事は橋本さんに」というように具体的な仕事があって独立したわけではないんですよね。

橋本 ほぼハダカの状態ですね。白紙。

馬場 独立するときのルールみたいなものはあるのですか? 仕事は持っていってはいけない、というような。

橋本 まあ、言われたわけではないですけれど、礼儀としてそうですね。

「L」 1996/港区西麻布/業態:ワイン&レストラン/内装設計者:橋本夕紀夫デザインスタジオ(写真:ナカサ アンド パートナーズ)

馬場 独立して最初のお仕事は?

橋本 たまたま知人の紹介で引き受けた仕事で、西麻布にあった「L」(1996)というバーです。もともとフィリピンパブだった店を、お洒落なワインバーにリニューアルするというものでした。

 もとの店はというと、中央にダンスステージがあるような典型的なフィリピンパブの仕様で、床もソファも、自分なら死んでも選ばないであろう雰囲気だった(笑)。費用がなく、それらも生かしたいというなかで、どうしようかと悩んだ末に「これならいける」と思ったのが、ブルーの照明にしてしまうというものでした。ブルーに染めた空間とキャンドルの光で幻想的な雰囲気をつくったんです。

馬場 そうすれば、信じられないくらい下品な床やソファも見るに耐えると(笑)

橋本 そうそう(笑)。お金はかけていないながら、そこは夜中になると色々な芸能人がお忍びで来たりして、伝説的な店になったんですよ。

 その頃、雑誌の「日経トレンディ」の記事に「最も失楽園な店ベスト10」といったようなランキングがあって、それでベスト1になったりもしました。ゲリラ的な店でしたけれど、結果的にはやってよかったと思っています。「ナショップライティングコンテスト」(現パナソニックが2000年代まで継続した店舗照明の賞)で優秀賞もいただきました。

 で、その後すぐに同じ西麻布に「軍鶏匠」(1996)という店をデザインしたんです。