2013年9月7日、2020年の夏季五輪の開催都市が決定する。東京もその候補地の一つだ。五輪の存在が開催地の建築関係者にどのような影響を及ぼすのか。12年間の英国滞在中にロンドン五輪施設プロジェクトに携わった山嵜一也氏の体験を連載することで、確かめてみたい。(ケンプラッツ)

 2001年、私は英国ロンドンに渡った。その街に五輪がやって来るとは当時、誰も予想だにできなかっただろう。ましてや私自身が五輪競技施設のプロジェクトに関わるようになるなど、想像すらできなかった。「海外で働きたい」という思いだけで日本を飛び出し、観光ビザで英国に入国した当時の私にとって、明日のことすら未知の世界だった。

 五輪を迎える街で設計の仕事をする。それがどういうことなのか。私は英国で過ごした12年の間、ロンドン五輪のそれぞれのステージに関わる機会に恵まれた。2012年夏季五輪誘致の模型制作から始まり、五輪期間終了後まで見据えたレガシーマスタープランの作成、そして世界遺産であるグリニッジ天文台公園を敷地にした馬術・近代五種競技会場の現場監理。私の建築設計者としての経験と成長は、五輪と共にあった。

メーンパークで誰よりも早く日の丸を披露

 ロンドン五輪開会式4日前。忘れもしない2012年7月23日に、多くの競技の会場となるメーンパークで、私は日の丸をまとって歩いた。大会期間中にメダルを獲得することになる選手よりも先に日の丸を披露した日本人となった。まだ英国人が英国旗ユニオンジャックを掲げていないなかで、日の丸をマントにして会場を歩き、自分で勝手に盛り上がった。空気は“読まず”に“作る”。海外で生き抜くためには、やり過ぎぐらいが丁度良い──。12年間の英国生活で学んだことの1つだ。

 この日、仕事を早めに切り上げた私は、ロンドン五輪開会式のリハーサルの観客としてメーンパーク内にいた。五輪を期に開発された東部地区。そこへのアクセスの拠点となるストラトフォード駅から会場を目指した。

 所持品と本人のスキャン、液体物の持ち込みも不可という空港並みのセキュリティーゲートを抜けて入場する。施工途中のメーンパークには数回訪れていたものの、これほど多くの人々で埋め尽くされた状態を見たのはもちろん初めてだった。欧州の短い夏特有の強烈な太陽の下では、簡素な造りの競技施設群も立派に見える。それまで寒いぐらいだったのが、嘘のような快晴。気難しい英国の天候も、五輪に合わせてくれたのだろうか。多くの笑顔。祭りが始まる。

開会式4日前のリハーサル。大勢の招待客で埋め尽くされたロンドン五輪のメーンスタジアム(写真:山嵜 一也)