大学3年生で建築に目覚めてからは、遅れを取り戻すべく必死に勉強を重ねた。大学以外にも、設計の現場に触れるために建築設計事務所でのアルバイトを経験。アルバイト先には真っ先に伊東豊雄建築設計事務所を選んだ。伊東氏の言葉を通して、さらに建築への思いは強いものになった。

――大学の卒業設計は優秀賞である吉原賞に選ばれていますね。

西沢 優秀賞をもらえたのは、案が面白かったからではないと思っています。横浜国立大学はのんびりした田舎大学で、当時は僕一人だけが猛烈に緊張していたように思います。建築に猛烈な問題意識を抱き始めたころで、焦りもあった。「やるぞ」と爆発しようとしている自分がいました。でも、当然ながら技術や知識などは何一つ持ち合わせていなかった。だから、先生方はそういう僕を見て、けなげなやつだと思ってくれたのかもしれません。

――大学院の2年間はどんな過ごし方をされたのでしょう。

西沢 設計の勉強以外で時間を当てたのはまず、本を読むことです。建築の本ではなかったのですが、当時興味のある本をひたすら読んでいました。もう一つはアルバイトです。アルバイトが思い浮かんだのは、兄(建築家の西沢大良氏)の代わりに行っていた入江経一建築設計事務所(現・Power Unit Studio)での経験が大きかったのかもしれません。いずれにしても、伊東豊雄さんの事務所でアルバイトをしてみたいと思ったんです。大学院1年生の夏休み前に、いきなり伊東事務所に電話をしました。「バイトさせてください」と。今思うと知識もなかった割に、なかなかいい選択をしていたと思います(笑)。

――それは、ある種の勘なのですか。

西沢 そうなんでしょうね。数多くいらっしゃる建築家の中から伊東さんに電話をした理由は、伊東さんの建築にある種の新しさや現代性を感じたということと、大学院に入っていろいろな雑誌を読み荒らしていくうちに伊東さんの発言に興味を持ったからです。『建築文化』(彰国社)の原広司さんの特集で伊東さんが書いた文章をはじめとして、伊東さんのいくつかの言葉にひかれたと思います。

 アルバイトをしたいというお願いの電話をしたら、運がいいことに電話に出たのが曽我部昌史さん(現・神奈川大学教授)だったんです。曽我部さんが伊東事務所に入ってまだ1年目で、電話番をやっていたんです。僕が「すみません。西沢ですが」と言うと、曽我部さんが「(西沢)大良の下に弟がいたな」と。曽我部さんとは以前一度会ったことがあって3~4年振りの再会だったんですが、僕のことを何となく覚えていてくれた。当時の伊東事務所は、アルバイトは雇わないといううわさがありましたが、幸運なことに曽我部さんがうまく僕を事務所に押し込んでくださいました。曽我部さんのほか、城戸崎和佐さん(現・京都工芸繊維大学准教授)や佐藤光彦さん(現・日本大学准教授)のお手伝いもやりました。とても楽しいバイト生活でした。

――伊東さんとは言葉を交わすこともあったのでしょうか。

西沢 はい。直接伊東さんの言葉を聞けたことは、自分にとってすごく大きかったですね。伊東さん設計の「中野本町の家」(76年)で当時、ピアノコンサートのイベントがあり、バイトの面々で部屋の掃除に出掛けたことがありました。その掃除の流れでコンサートに参加して、そのまま背後に建っていた「シルバーハット」(84年)で、伊東さんと伊東さんの奥さんと、僕みたいな学生や伊東事務所の若手スタッフ達で、飲み会をしました。それも、朝まで(笑)。このときに伊東さんのお話をじっくりと聞くことができ、影響を受けました。

――影響を受けたのは伊東さんのどういった所ですか。

西沢 「俺はこう考える」と伊東さんはおっしゃいます。心の底から出てくる言葉というのか、それはまさに建築家の言葉・肉声でした。それまで僕が大学で学んできた建築の言葉は、もっと客観的で科学的なものです。例えば、こんな地震が起こったら建物は3mmずれるとか、室内は1日に何回換気しなくてはいけないとか。自分にだけ当てはまるというよりは、みんなに当てはまることなんです。

 そういう場所で建築を学んできた僕は、建築の言葉は客観的かつ形式的なものだと思っていた。ところが伊東さんには、すべての中心に「俺はこう思う」というものがあったんです。それは僕にとっては大変な驚きと戸惑いで、根本から覆されたような気持ちになりました。しかも、「俺は……」の次には「お前はどう思うんだ」と質問がくる。そういった伊東さん姿勢そのものに、すごく驚きました。

 伊東さんと話をした後、長らく考えているうちに、都市も歴史も、いろいろな人間の「俺はこう思う」という言葉の連続でつくられてきたのかではないか、と思い始めました。科学という側面は変わらず重要なのはもちろんですが、その科学にすら、根本に個人の思想であったり自分の意思がないとダメなんだということを、すごく感じるようになりました。

 伊東さんが建築の壊れやすさや軽さ、現代性について話されていたことにも、すごく考えさせられました。クラシックな重々しい建築をつくってどうするんだ、もっと現代の建築をつくるんだ、という感じのことを、ある種の倫理観と共に話されていたように記憶しています。僕はそれを聞きながら、ものすごく重いことを言われた気分になりました。

 伊東さんに出会ってから、建築は生半可な気持ちでやれるものではないんだと改めて気付き、本当に真剣に頑張ろうと思うようになりました。そういう意味でも伊東さんにはすごく感謝しています。あのときに伊東さんと出会わなかったら、どうなっていたのだろうと思います。

にしざわ・りゅうえ 1966年東京都生まれ。90年横浜国立大学大学院修士課程修了、妹島和世建築設計事務所入所。95年妹島和世氏とSANAA(Sejima and Nishizawa and Associates)設立。97年西沢立衛建築設計事務所設立。2001年から横浜国立大学大学院建築都市スクール Y-GSA准教授。05~06年スイス連邦工科大学客員教授、05~08年プリンストン大学客員教授、07年ハーバード大学客員教授。98年と06年に日本建築学会賞作品賞、10年にプリツカー賞(いずれも妹島氏との連名)を受賞(写真:柳生 貴也)