小学生のころから建築家の仕事に憧れ、何の迷いもなく大学の建築学科に進学した。設計のことしか頭にない“オタク”な学生だったと振り返るが、同世代の考えには批判的で、デザインとは畑違いの構法計画の研究室をあえて選んだ。こうした行動が象徴するように、隈研吾氏は目の前の流れに乗らずに、批判と反骨精神を持ちながら挑み続けている。6回に分けて隈氏へのインタビューの全文を紹介する。

――隈さんが職業として建築家に興味を持ったのは小学生のときだそうですね。
 大きな理由は、自分の家が木造の古い家で、友だちの家とすごく違ったことです。横浜市郊外の住宅地にあって当時、新建材を使った米国スタイルの新しい家が完成していくなか、自分の住んでいる家だけが古くて暗かった。それがコンプレックスでした。それで家って何だろう、建築って何だろうと、考えるようになりました。こういうバックグラウンドがあったから、東京オリンピックの会場として建設された丹下健三さん設計の国立代々木競技場を見たとき、そこにいろいろ感じるものがあったのだと思います。

――大学に進学するときも、志望は建築学科一本に絞っていたわけですね。
 東京大学の工学部に入ったのですが、建築以外の学科に振り分けられたらどうしようという恐怖感がありました。そのくらい自分にとって建築は特別な存在でした。建築がダメだったら何かほかの道を選ぶということはあり得ないほどでした。

――当時は、周囲に建築の仕事をしたいという人は多かったのですか。
 そうですね。東京オリンピックが小学生時代にあり、大阪万博は中学生のときに開催されました。どちらも建築が主役で、丹下さんとか黒川紀章さんとかが華々しくテレビに登場している時代でしたから、時代を建築家が切り開いていくイメージがありました。
 同時に、環境問題が僕らの高校時代から叫ばれ始めました。1970年代に入るころから、工業主義ばかりではダメだといわれました。そういう意味では、大きな変局点であり、時代が変わるという意識はすごく強かった。「大阪万博って、イケイケの時代でしょ」とも語られますが、全然そういう雰囲気はなくて、当時水俣病とかいろいろな社会問題が顕在化し、大阪万博とは反省の時代の始まりみたいな感じがありました。高校生は特にそういう問題に敏感なので、これからは違う時代が来るという意識は強かったです。

――建築を志望する学生が多く、東大に入学して建築学科に入るのは大変だったのではないですか。
 僕らの大学時代は建築学科の難易度が高く、建築に進むのが一番大変だった時期だと聞いています。同級生には、首都大学東京教授の小林克弘とか名古屋大学教授の片木篤、明治大学教授の小林正美らがいて、大学院では京都大学准教授の竹山聖と同じ学年でした。1学年下には東京理科大学教授の宇野求も在籍していました。

――大学では授業にまじめに取り組んでいたのですか。
 いわば設計オタクで、設計のことしか考えていない学生でした。

――構法計画を専門とする内田祥哉研究室を選ばれたのはなぜですか。
 デザインを志していて内田研究室に入るのはちょっと変わったコースといえるでしょう。設計のことばかり考えていたのですが、同時にデザインバカにはなりたくないとも思っていました。同世代でデザインに没頭する人たちは、美しければ何でもいいみたいな見方をしているように感じて共感できず、それに対してはすごく批判的で、すごく冷めた面も持つ学生でした。それでちょっとひねくれて内田研究室を選びました。自分の尊敬している原広司さんが内田研究室出身だと知って、「内田研は一見つまらなそうだけど、実はすごく可能性があるのかもしれない」と考えたのです。

――内田研究室ではどんなテーマの卒業研究を手掛けたのですか。
 可動間仕切りの研究です。内田研究室としては普通のテーマですが、デザインを志す学生としてはきわめて異端的な、ひねくれたテーマでしょう。一方、卒業設計は「ハウス・フォー・メディテーション」という題で、これまた可動間仕切りとは全く関係ない黙想のための家を設計しました。
 僕が通っていた高校はカトリックの学校で、3泊4日で修道院にこもって黙想を体験します。人と全く口をきかずに、座禅のようなことを体験するものです。そのときのスピリチュアルな体験がすごく自分を変えたような気がしたので、それを建築化しようと考えました。黙想の家と可動間仕切りというのはある意味、両極端です。

――こうした気持ちの切り替えがその後の隈さんにとってプラスに働いた、と。
 自分がどっちに行ったらいいか分からないようなとき、思い切って支離滅裂な行動を取ってみる。ここでは正反対な2つにトライしてみたわけです。学生の皆さんに言いたいのは、自分の道なんて簡単には見つからないよ、ということです。自分の道が決まらなくて、もがいて暴れるのが、まさに学生の本分であって、自分の道が若いうちから決まっているのは逆にまずいと言いたい。今振り返ってみてもこうした行動は自分のためになっています。

(写真:柳生 貴也)

隈 研吾氏(建築家、東京大学教授)
くま・けんご:1954年神奈川県生まれ。1979年東京大学大学院修了。85~86年米国コロンビア大学客員研究員。87年空間研究所設立。90年隈研吾建築都市設計事務所設立。2001~09年慶応義塾大学教授。07~08年米国イリノイ大学客員教授。09年から東京大学教授。97年日本建築学会賞(森舞台/登米町伝統芸能伝承館)、01年村野藤吾賞(那珂川町馬頭広重美術館)、02年スピリット・オブ・ネイチャー国際木の建築賞(一連の木の建築に対して)など受賞多数

出典:学生向け特別編集版 新しい建築の鼓動2010
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