情報工学の専門家として、長年、大学教育に携わってきた東京大学大学院情報理工学系研究科 研究科長の萩谷昌己教授。日本における情報教育を転換すべきと考え、高校教諭向けに特別講義を開催するなど、さまざまな取り組みを始めている(関連記事)。

 現状の情報教育の問題点と、あるべき姿について、萩谷氏に聞いた。

■日本の情報教育の現状を、どう見ていますか。

 情報の概念やシステムの活用については、いわゆる「情報」以外の教科でも浸透させていくことが大切です。例えば、生物で遺伝子情報の検索をしたり、物理でシミュレーションをしたりといった具合です。このように、“Computational Thinking”を各教科で身に付けることが大事なのですが、今は到底、そのレベルに至っていません。

 その背景には、教えられる人がいない、という事情もあります。大学の教育が、そうなっていないのです。本来は、一般の教養教育で「情報」の考え方をきちんと身に付ける必要があります。そうした人が教師になれば、状況は変わるでしょう。

■東京大学では、どんな教育を実施していますか。

 「情報」は、1年生の夏学期に必修になっています。内容は、高校の教科「情報」をレベルアップしたようなものです。情報科学の基礎や情報倫理、法制度などを扱っています。

 ここ数年、機器の操作については、学生はかなり身に付けてきています。高校で習っているというのもあるでしょうし、個人的に習得している学生もいます。

 ただ、学生によってレベルには差があります。個人的にスキルを身に付けている学生でも、独学によるものなので基礎知識が抜けていることも珍しくありません。ですから、大学では体系的に教えることが必要になります。

 ただ、あまりにも体系的すぎると、学生のモチベーションが上がらないという問題があります。例えば「シャノンの定理」などを取り上げても、文系の学生にはよく理解できなかったりします。このあたりが難しいところです。

■大学での情報教育は、どうあるべきでしょう。

 これまでの教育からは転換すべきです。スキルの習得ではなく、インフラとしてのシステムがどうなっているかを理解することが大切です。

 システムの基礎は、高校までに理解しておくべきです。大学では、それを構想したり、デザインしたりする力を身に付けるのです。これは、学士力の一つと言えます。自分の専門分野の中で、ITを活用し、生かすことのできる力です。こうした力を持つ人を育成すれば、コミュニティの中でリーダーになって、IT活用を推進してくれるでしょう。

 現在の教育では、今あるものを使いこなすことに力が置かれています。それだけでなく、今あるツールを組み合わせて新しいシステムを組み立てられる感覚が重要です。こうしたセンスを持つ人たちが、中学や高校で教壇に立つようになればよいなと考えています。

 大学における一般情報教育のあり方については、情報科学の専門家が集まる「理工系情報学科・専攻協議会」という組織でも議論しています。

■具体的に進めている取り組みはありますか。

 私は2012年10月から、一般教養としての「情報」の授業を、3~4年生と大学院生向けにパイロット的に実施しようと企画しています。一般教養は1~2年生で履修するものですが、本来は専門に進んでから学んでもよいものなのです。

 この授業では、成績処理のように、実際に大学で使われている学務システムを教材にします。既存のシステムを理解して、その開発プロセスや、個人情報をどう扱っているかなどを学びます。そして、実習としてネットサービスを作る予定です。

 「情報」が専門ではない学生の力をいかに上げていくかは、日本にとって重要です。情報の専門教育を受けた人は、システムベンダーに所属していることが多いのですが、システムのユーザー企業にも情報の素養のある人を増やし、底上げをすべきだと思います。

 一方で、「情報」を専門とする人には、新しいIT活用の方法を切り開き、社会の課題を解決していってほしいと思います。新しい産業を創出するような役割を期待しています。現在、文部科学省が公募する「博士課程教育リーディングプログラム」に申請を出しているところです。採択されれば、このように新産業を創出できるような人材の育成に取り組みたいと思っています。