最近、ところどころで「ブラウザーの死」や「ウェブサイトの死」が語られている。いずれも、iPhoneアプリやiPadアプリのような個々のアプリの広まりによって、われわれはもうウェブサイトを訪ねたり、そもそもブラウザーを使ったりする必要がなくなってしまったのではないのか、という議論だ。

 これからはアプリだけでなく、家電のように、日常生活のオブジェ(モノ)もインターネット接続され、それらが互いに連動して人間の生活をサポートしてくれるようになる。モノはブラウザーやウェブサイトそのものをスクリーン上で見せてはくれないので、その二つがますますわれわれに見えにくくなる。そんな時代もやって来るだろう。

 確かに、私自身の生活を考えてみても、ブラウザーを使ってウェブサイトを訪れる場合と、そうしたものをまったく必要としない場合に二分されている。

 例えば、毎日読む新聞。これはやっぱりウェブサイトで広く記事全体に目を通して読みたいし、必要に応じてリンクをたどったり、別の検索をしたりして読みたいと思うので、ブラウザーが必要だろう。

 けれども、時間がなくて、朝ご飯を食べながら読むような場合には、iPadで十分。ニューヨーク・タイムズのiPad用アプリならば、アプリを広げたときに記事をアップデートして、きれいにフォーマット化された紙面を見せてくれる。ブラウザーもニューヨーク・タイムズのウェブサイトもなしに、ちゃんと情報が手に入るのだ。

 あるいはTwitterなどはどうだろう。Twitterの利用統計を取っているツイットスタットによると、Twitter自体のサイトから利用しているのはユーザー全体の17.3%のみ。ユーザーのほとんどが、同社のウェブサイトを迂回して、Twitterアプリや、ほかのTwitterクライアント、ほかのサイトに“寄生”するウィジェットやガジェットからつぶやいたり、閲覧したりしているのである。

 いや、それでも立派な企業ならばウェブサイトなしにはやっていけないだろう、と思われるだろう。だが、これも永遠なものではない。ブログが流行ったとき、これまでのいわゆる「HTMLサイト」の代わりに、ブログをホームページにし始めた企業がたくさん出た。ことにスタートアップ(新興企業)のような場合には、無理やり作り上げたウェブサイトよりも、ブログで刻々と事の進捗を報告するようなホームページの方がおもしろかった。これが、Twitterに取って代わられたり、あるいはアプリになってしまったりしてもおかしくないのだ。

 今や、アプリの開発企業のウェブサイトを訪ねてみると、ホームページは最初のたった1ページのみで、アプリをダウンロードするリンクが付いているだけ、というようなところがけっこうある。

 アプリはそもそも道具。さっさとその道具を使ってもらう、あるいは買ってもらえばいいわけで、会社概要やら、役員紹介やらをここで長々とやる必要はないのだ。つまりは、インターネットが「情報インフラ」ではなく、すでに「生活道具のインフラ」に移行しているということなのだ。

 ブラウザーも、ユーザーがDIY的に自分で文字を入力したり検索をしたりするから必要なわけで、いろいろなものが自動化されてしまえば必要なくなるだろう。ブラウザーなしの生活など、今はとても想像できないが、パソコンを起動すると、画面に並んでいるのはたくさんの小さなアプリやウィジェットだけ、という時代がすぐに来るだろう。

 情報過剰に悩まされているわれわれは、求める情報に直行できれば、かなり救われるだろう。ブラウザーを立ち上げて、「さあ、これから探すか」と画面の向こうに広がるインターネットの大海原に船をこぎだすこともなくなる。iPadのブラウザーでブックマークを付けると、見る見るうちにそれがアプリ型に表示されて驚いてしまうのだが、「直行」とは要はそういうことだ。

 では、どんなものがブラウザーとウェブサイトなしにはやっていけないのか。それをじっくり考える必要がある。

 ひとつだけ確かなのは、自分が使い慣れていないものに目を開き、自分が知らないものを知るためには、ブラウザーがやっぱり必要だろうということ。便利さを享受することと無知に陥るリスクとは、表裏一体なのだから。