経済状況はひどいことになっているが、我々のマシンは絶好調だ・・・

 多くの読者が景気後退期のキャリアパスについて質問してきた。光栄なことだと思うべきなのだろうが、私は本当はキャリアパスのエキスパートではない。私は1969年にロサンゼルス市の助役をしていた時以来、サラリーマンをしていない(実際、私は市長補佐兼研究部長という肩書きを持っていた。しかし、私の昔のポジションは今は市の助役と呼ばれていて、この方が聞こえもよいし、はるかに短い)。その前はペッパーダイン大学の教授だった。その前は航空宇宙産業にいた。それらの職業(航空宇宙工学、学究生活、行政管理)はみな大きく変わってしまったので、今どうなっているか私にはほとんど分からない。誰が知っているか全然分からない。

 私が航空宇宙産業にいた時、出資されているプロジェクトが数多くあった。私は30歳にもならないうちに2億ドルのプロジェクトを管理した。すべての有能なオペレーションリサーチのエンジニアは、ヘッドハンターに口説かれた。彼(彼女もいたかもしれない。だが、私は1950年代に女性でオペレーションリサーチをする人を知らなかった)の給料が20%以上増えると言われたものだ。仕事ができれば、仕事は簡単に見つかった。私は履歴書を書くスキルを身に付けた。しかし、実を言うと、新しい仕事を得るのにスキルはそれほど必要なかった。今はちょっと違う。だから、キャリアマネジメントについて私が助言しても役に立たないだろう。

 キャリアとしての学究生活あるいは政治に関して私が何か書いてもまったく意味がない。私のそのようなキャリアは短かった。約10年ほどだ。そしてどちらの職業もまったく理解できないほど変わった。

 1970年代の初め以来、私は科学関連の記事とフィクションを書く専業の作家をしている。私はコンピューターがまだ目新しかった時代にコンピューターのジャーナリズムとコラムの世界に入った。そして読者は愛好家であると同時にユーザーだった。実際、私のコラムのタイトルは「ユーザーのコラム」で、これらのマシンで何か仕事をするのにコンピューターオタクである必要はないという私の考えが表れていた。我々はただマシンを使うだけだった。もちろん、私はマシンを愛してもいた。

 私は主に商用BASIC(堅固に構造化されたコンパイルされたBASIC)とFORTRANでプログラミングを学んだ。しかし、私はPascal、Turbo Pascal、Modula-2も学習した。それでいくつかのプログラムを書き、今まで使っている。さらに、Cを十分に学習して、Cプログラムはデバッグや維持が難しいと確信した。そしてCプログラマーには絶対になりたくないと考えた。もちろん、当時使えたハードウエアは非常に制限されていた。また、Cはアセンブリ言語がほんの一歩進歩しただけのものだったが、コンパイルもランタイムも他のどんなものよりはるかに速かった。ハードウエアが制限されている限り、「実際に仕事をするプログラマーがCで作業する」のは当たり前だった。だが私はどうしてもそれに興味が沸かなかった。その上、ほとんどのコンピューターオタクは書き物ができなかった。また各雑誌は、コンピューターのエンジニアに文章を書くことを教えるより、作家にコンピューターを理解することを教える方が簡単だと気づいた。私はすでに書くことができし、急速に学習した…。

 その結果、私の仕事の経験はほぼ出版業界だけに限定されることになった。そのため、それ以外のキャリアパスについて質問を受けるにはふさわしくない。私は今出版やジャーナリズムに職を変えることを検討することは絶対に勧めない。

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