宇宙というのは地上とよっぽど違った場所だ。その違いは、地上の感覚の延長で理解することはできない。
 だが、宇宙を舞台にして映画を作るとなると、その「地上の感覚では推し量ることができない場所」を、観客が納得するように描写しなくてはならない。

 初期の映画は、その違いをなるべくリアルに描写して「宇宙とはかくも地上と違う場所なのだ」ということを強調していた。地上とは大きく異なる場所であるとして描写したわけだ。その頂点が言わずと知れた「2001年宇宙の旅」(1968年)だ。あの映画における無重力の描写は、実によくできている(それでも細かく見ていくと、「これは違うな」というところがあるのだけれど)。

 私見だが、この行き方を一気に逆転させたのが「スターウォーズ」(シリーズ第1作は1977年)だった。スターウォーズ・シリーズにおける宇宙の描写は、まったく本物の宇宙とは異なっている。要するに宇宙は、「こことは違うどこか」であればいいと割り切っているのだ。

 スターウォーズの宇宙は本物の「宇宙」ではない。宇宙は、「アマゾンの密林の奥」や「人跡未踏のヒマラヤ山脈の彼方」や「アフリカの大洞窟」と同じ、「面白いストーリーを展開するための、ここではないどこか」なのだ。

 スターウォーズには、2001年のような徹底的した無重力の描写が存在しない。無重力どころか、重力の方向に関する考慮がまったくない。地上に生きる私たちの感覚で「こっちが上」「こっちが下」と思える方向に、恣意的に重力が設定されている。

 例えば「デススター」を思い出してみよう。デススターは小さな星ほどもある巨大な球形をした兵器だ。球形の巨大質量なのだから、重力は球の中心方向に向かって発生しているはずなのだが、映像では常に画面の“下側”に向かって重力がかかっているように描写されている。デザイン面でも、地球で言えば地軸に相当する方向に一直線に重力がかかっているような形をしている。つまり、地上で私たちがデススターの模型を手にとって見ている時に「自分の足の方向が下だ」と思っている方向に、映像内の重力の方向も設定されているのである。

 この「私たちの感覚に合わせてある」というのが重要だ。観客は、ことさらに「ここは宇宙だ」と意識する必要はない。私たちの無意識に刷り込まれた「地上の常識」に修正を加える必要なしにストーリーに没入することができる。その分、映画としては分かりやすくなる。分かりやすいということは、娯楽映画にとっては重要なことだ。

 かくしてスターウォーズ以降の様々な映画では、地上の感覚で宇宙を描くというのがごく普通のこととなった。いまや人々は「そこが宇宙である」という特別な感覚を持つことなく、宇宙を舞台にした映画を観ている。

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