アップルのCEO、スティーブ・ジョブズの健康問題が再び取りざたされて、経営者の健康はプライベートな問題か、それとも株主も共有すべきパブリックな問題かが議論されている。

 ことの起こりは、6月に開催されたアップルの開発者会議(WWDC)。恒例の基調講演の壇上に立ったジョブズが、ガリガリにやせて顔色が悪く、しかもいつもなら自分ですべてこなすはずのプレゼンテーションの一部を社員に任せていた、と報じられた。ジョブズは2004年に稀なタイプの膵臓がんを摘出しているため、がんが再発したのでないのかという噂が広まったのだ。

 その噂の真偽を確かめようとしたあるアナリストが、先期の業績報告の電話会議でこのことを尋ねたところ、アップル社のCFO(最高財務責任者)が「スティーブの健康は、彼自身のプライベートな問題だ」として、コメントを避けた。そのコメントをしなかったこと自体がさらに憶測を生み、噂がどんどん拡大したというところだ。

 秘密主義のアップルのこと、最初はダンマリを決めていたのだが、株価まで落ちた後に声明を発表、ジョブズは「よくあるバグ」にやられただけ、とした。つまりちょっとしたウイルスに感染しただけで、大した問題はないというわけだ。さらに、ジョブズ自身がニューヨーク・タイムズの記者と電話で話し、その結果、「会話はオフレコだが、ジョブズは再発していないようだ」とその記者は述べている。ただし、かつてのがん摘出手術後の経緯の中で栄養摂取機能に問題を起こし、今年初めに手術を受けていることは確からしい。

 他のシリコンバレー企業でもCEOの病気はあまり公にされていない。インテルの共同創設者アンディ・グローブも前立腺がんをわずらっているが、CEO在職中は社内の役員会には通知していたものの、株主や一般には秘密にしていた。彼は今、さまざま医療関係の研究に寄付を行い、退職後の使命をほぼ医療の進歩に捧げているといったところだ。また、あるソフトウエア会社の女性CEOも乳がんをわずらったが、一般には発表されていなかった。企業がCEOの病気を公表しないのは、それで職務に支障をきたしているわけではない、というのがその理由だ。

 だが、スティーブ・ジョブズはアップルの創設者だけでなく、アップルそのもの。ジョブズとアップルがあまりにひとつのものになっているため、今回のような噂話に人々が一喜一憂してしまう。2004年の手術の際も、アップルは9カ月間秘密を守り、手術を終えてやっと発表。その後ジョブズは休養に入ったわけだが、突然のことにシリコンバレー人は誰もが驚いた。だから、今度は秘密にするなんてことは許さないという空気があるのは確かだ。

 アップルの大株主は別として、実のところはみんなジョブズのことが心配なのだろうと思う。人でなしでイヤな奴と批判もされ、敵も多いジョブズだが、彼がいなくなってしまっては困るのである。誰もがそう感じているはずだ。何と言っても彼ほど、シリコンバレーの何たるかをドラマティックに体現している存在は他にはいない。シリコンバレーのスティーブ・ジョブズは、パリのエッフェル塔、東京の東京タワーみたいな、つまりシンボルなのである。

 名演説として知られるスタンフォード大学卒業式での講演で、「時として運命は、頭をガツンと岩でぶちのめすようなことをやる」とジョブズが述べたのは、予期せぬがんが一時期、彼をどん底に陥れたことだった。あの演説で初めて、ジョブズの弱く柔らかな内面に触れたように感じたシリコンバレー人も多かった。イヤな奴かもしれないが、やっぱり健康でいてほしいと望む、私もその一人である。