前回、国際宇宙ステーション(ISS)の現状を簡単にまとめてみた。

 失望した人も多いのではないだろうか。1969年にアポロ11号が月に着陸した当時、宇宙時代という言葉があった。そこには「いずれ自分も宇宙に行けるのではないか」という多くの人々の期待が投影されていたといっていいだろう。

 あれから40年近く、待って待って、やっと宇宙ステーションが形になってきたというのに、この野郎は言うに事欠いて「あれは目的を失った公共事業です」と書いているではないか。

 では、「ええい、つまらん公共事業なんかやめちまえ。どうせ日本は借金漬け財政なのだから不要不急の宇宙開発なんぞ全部止めてしまえばいいのだ」――と、考えるのが正しいのだろうか。

 いや、そんなことはない。私はISSの問題点を指摘したが、宇宙ステーションそのものが役立たずだとは書いていない。むしろ「正しい構想による宇宙ステーション」は、今後の人類にとって必須であると考えている。

1972年12月、最後の有人月着陸となったアポロ17号が月に向かった。月からの帰還途中の12月17日、17号に登場したロナルド・エバンズ飛行士は、アポロ宇宙船の外側に装着した観測機器を回収するための船外活動を行った。これが、人間が地球から最も遠い宇宙空間で行った船外活動である。  宇宙に住むという以上、このようなことが日常茶飯事に行われるようにならなければならないだろう。(Photo by NASA)

 では、どんな構想が「正しい」というのだろうか。

 こういうときは、物事を根本に遡って考えなくてはいけない。そもそも、人類はなぜ宇宙に出て行くのだろうか。地球上でこのまま繁栄していくだけで構わないのではないだろうか。

 この問いに対する最も根源的な答えは、「広がるのは生命の本質だから」というものだろう。38億年の昔、原始の地球に最初の生命が誕生して以来、一貫して生命は生存領域を広げてきた。最初は浅い水中に住んでいたらしい生命は、やがて大地に上陸し空を飛ぶようになり、さらには深海に、地中にと生存領域を広げていった。その先には当然、「宇宙に住む生命」があるはずだ。

 もっと人間に引き寄せるならば、人類の生存領域を広げることで現在の文明文化の途絶を防ぎ、さらには種としての絶滅を防ぐという意義もある。

 ノアの箱船ではないけれど、人類が宇宙に行く時、当然他の生き物も連れて行くだろうから、これは地球サイズの災厄から生命を守るということでもある。

 巨大隕石の衝突、火山噴火などによる気候の激変、核戦争などなど、地球全体に襲い来る災害は、日常的な時間感覚ではめったに起きるものではない。しかしながら、地質学的な時間スケールで考えるとこの手の災害ははほぼ確実に起きるものだ。そういった災厄への対処として、地球以外の場所にも文明の拠点を持つことには大きな意味がある。

 エネルギーという面で見ても、宇宙に出ることには大きな利点がある。いったん宇宙に出れば太陽という天然の核融合炉のエネルギーが使い放題になる。地上で使うとなにかと問題がある核エネルギーも、宇宙ならば色々と使いでがあるだろう。

 つまり、宇宙に出ることで人類はより大量のエネルギーを使い、過去何十億年も地球上で繰り広げられてきた進化と環境変化による絶滅という、生命の営みから逃れて、より主体的に自分たちの未来を選ぶことができるようになるわけだ。

 人間は、知性を持ち、文明を発達させ、文化を育んできた。そんな存在にとって、これはなかなか悪くない未来であろう。

 ここで重要なのは、宇宙に出るということが選択肢として増えるということだ。なにも人類全体がこぞって宇宙に出る必要などはない。「土と風と水と共に生きる」という行き方もありだし、「エネルギー消費を押さえて地球の環境を崩さないようにして地球上で生きていく」という方法も同時に追求されねばならないだろう。

 もっとも、科学が解明しつつある40億年を超える地球の歴史は、けっして地球という星は生命にやさしくないことを証明しつつあるのだけれども。「生命の星、地球」というような口当たりの良い言葉は、ここ1万年ぐらいの地質年代的にはごくごく短い期間だけにしか通用しないらしいのである。このことについては、いずれこの連載できちんと説明することにしたい。

 話を元に戻して――人類の大々的な宇宙進出を拒んでいる要因は何なのかを考えてみよう。

 まず下世話な話だが、宇宙に行くのにはあまりに沢山のお金がかかるということがある。ロケットは1回使ったらすべて捨ててしまう使い捨てだ。これではどうやってもコストダウンには限界がある。

 じゃあ、使い捨てではない、飛行機や自動車のように何回も使うロケットを作ればいいではないか――ところがそう簡単にはいかない。使い捨てにしているのには、それだけの理由がある。

 地上から高度数百kmの地球を回る軌道に行くためには、最低でも7.9km/秒の速度を出さなければいけない。実際には昇っていくロケットにかかる空気抵抗とか、地球の重力がロケットを引き寄せることによって発生する重力損失という運動エネルギーのロスとか、色々な損失が加わるので、だいたい10km/秒の速度が出せるロケットでないと、軌道には到達できない。

 もしも地球を回る軌道から始めて10km/秒の加速をすれば、太陽系の外側まで楽々飛んでいける。それぐらい地球の重力は強い。

 一方、現在の燃料と酸化剤を混合して燃やし、燃焼ガスを噴射するロケットは、原理的に出せるエネルギー(正確にはエネルギー密度だが)が限られており、地球の重力を振り切るぎりぎりの能力しか出せない。ぎりぎりまで軽量化したり、多段ロケットにして使い終えたところからどんどん捨てていくという工夫をこらして、やっと、宇宙に届く程度なのである。

H-IIAロケットの打ち上げ。ロケットは確かに大きい。しかしそのすべてを捨ててしまうことでやっといくばくかの貨物を地球を回る軌道に届けているのが実情である。写真のH-IIAロケット204型は、打ち上げ時の重量が445tあるが、赤道上空3万6000kmの静止軌道には3tの衛星を届けられるに過ぎない。「過ぎない」と書いたが、これでもH-IIAは世界のロケットの中でも、打ち上げ時重量に対する荷物の比率が大きい、成績の良いロケットである。(Photo by JAXA)

 要するに、今の技術では使い捨てにしなければ、宇宙に行くロケットは成立しないのだ。スペースシャトルは果敢にその難題に挑んで、負けたわけである。

 今の技術でダメならば、未来の技術ならどうか。望みがないわけではない。原理的には作れそうな新材料、例えばとても軽くて丈夫で耐熱性に富んだ機体構造材や、高い温度に耐え、なおかつ軽い耐熱合金などがあれば、何度も使えるロケットは作れないわけではない。

 ただし、そのためには材料科学が大きく進歩する必要がある。従って、人類の宇宙進出の一つの鍵は材料科学が握っているわけだ。

 もう一つが、宇宙ステーションと関係してくる問題なのだが――長くなったのでこの項は続きます。