いくつものオープン・ソース関連コミュニティのスタッフを務めるなど,コミュニティの“盛り上げ役”として知られる宮原氏。自らの企業「びぎねっと」で初心者のためのコミュニティ運営やセミナー開催など,オープン・ソース・ソフトウエアとネットワーク・ユーザーの輪を広げる活動を行っている。宮原氏に,これからオープンソースを使ってみようとする人へのメッセージなどを聞いた。(聞き手はIT Pro 高橋 信頼)

宮原徹氏
 この会社を始めたのは,オープン・ソース・ソフトウエアをもっと多くの人に使ってもらいたいと思ったからです。オープン・ソースやネットワークって,分かる人にとってはたくさん情報があるんですけど,分からない人にはハードルが高い。まだ手が届いていない人をステージに上げるお手伝いをしたい。そのために,セミナーを開催したり,無料で参加できて,初心者が気軽に相談できるメーリング・リストを運営したりしています。

 セミナーといっても,うちの場合,飲み会付きのことが多いんですよ。セミナーが終わったら「このあと飲み会やりまーす」といって,希望者はうちのオフィスになだれこみます。会費2000円集めて,酒班とつまみ班に分かれてみんなで買い出しにいって。

 なんといっても,いろいろな人と知り合えるのが楽しいですね。特に地方でのセミナーが面白い。年齢も,やってることも全く違って,普段絶対知り合えないような人と話ができる。どんなに静かにしている人でも,必ず何か面白い話題を持っているものです。それがきっかけで「一緒に仕事をしましょう」ということもある。技術者の方には,会社に閉じこもっているなんてもったいない,ぜひいろんな人と交流しましょうと言いたいです。

宮原氏のコンピュータやコミュニティとのかかわりは,大学時代に立ち上げた草の根BBSに始まる。

 法学部だったのですが,大学時代にパソコンを本格的にやり出して,パソコン通信を始めました。そのうちに,参加するだけでは飽き足らなくなって,部屋のパソコンをホストにして草の根BBS(電子掲示板)を立ち上げてしまいました。アルバイトをして7万円ためて電話回線の権利を買ってね。

 「ネットワークAXIA」という名前のBBSだったんですが,まあ,ゲームの話とか,与太話ばっかりしてました。チャットして,じゃあ今から来いよってな感じで毎週のようにみんなで集まって飲んだりして。

 日本オラクルに就職したのは,当時の社長だった佐野力さんに惹かれたからです。就職説明会にチャップリンの格好をして出てきた変な人,それが佐野さんだった。そのころはまだ100人くらいの会社で,自分も1%になれることも魅力でした。もっとも,半年後の入社時には,社員数がいきなり300人くらいに増えていましたけど。

 最初に配属されたマーケティング部は比較的新しい部署で,デモ環境作りや展示会の準備など何でもやらされました。米OracleのCEOが講演するためのデモ環境を作っていた時のことですが,本番直前にマシンにウイルスがいることがわかった。10台のマシンを全部再インストールです。グラフィックス・ボードのドライバをダウンロードするのに時間がかかったり,間に合うかどうか冷や汗ものでした。

 今でも,雑誌の記事を書いたりするのに,自分で触らないと気がすまないのは,このころの体験のせいかもしれません。

正しいと思ったことはあきらめず言い続ける
間違った状況のままでいると苦しむのは自分

 当時,NiftyServeにSORACLEというフォーラムがあって,そこでユーザーの質問に答えていたりしました。ここでも日本オラクルの展示会のあとオフ会をやったり,コミュニティ的な活動をしていました。やはりネットワークがあってもフェィス・トゥ・フェィスが大事だなあと痛感したり,多くのことを学びました。

 次に,Web関係の部署に移りました。ちょうどWebアプリケーション・サーバー(APサーバー)が製品化されてきたころで,日本オラクルの展示会Oracle Open Worldの受講システムをOracleのAPサーバー――当時はWeb Application Server(WAS)と呼んでいました――で構築しました。Webで1万トランザクション,3万レコードを扱うシステムを作るなんて,ほとんど例のない時期だったと思います。

その後,米国に出向して,第一線のエンジニアと仕事をしたことが,ある意味での転機になった。

 WAS用ECパッケージを国際化するという仕事でした。Javaのコードをダブルバイトに対応できるよう修正して,米本社のコアのエンジニアと協議するのですが,そういう一流のプログラマと一緒に仕事をしていると,自分の限界が見えてきて。同時に,自分はもっと人と接する仕事がしたいんだ,ということにも気付きました。

 帰国してマーケティング部門に戻り,いろいろな人の話を聞きました。その中で出てきたのが「Linuxがいい」という意見だったんです。米国でLinuxが注目され始めて,米OracleがLinux版のOracleを出荷しましたが,日本オラクルでは「Linuxはビジネスにならない」という意見が大半だった。でも,ユーザーに聞くと「使いたい」,「Linuxは落ちない」という声がたくさんあった。そういう声があることを日本オラクルで説いて回りました。それで,日本でもLinux版のOracleを出荷することができました。もちろん,私一人の力ではないのですが,その功績で社内表彰もいただきました。

 「正しいと思うことは言い続けなければいけない」ことを学びました。間違った状況のままでいると苦しむのは自分自身といったことになりかねません。そういったプッシュが日本の技術者に足りない点ではないでしょうか。米国の技術者は理念やプライドを持っている。自分の会社を持っている人も多い。やはり米国に比べて,日本は閉鎖社会だと思います。エンジニアが会社に閉じ込められている。

 でも,日本でも少しずつプロフェッショナルとしての意識を持つ人が出てきている。技術者が自分の商品価値を高めるための競争が始まっているとも感じます。

間違ったらみんなで議論して良いものにすればいい
遠慮せず質問し,ぶつかって学ぼう

 「Linuxを使いたい」という声の中心になっていたのも「Oracle for Linuxメーリング・リスト」というコミュニティでした。その後,Oracleだけに留まらず,Linuxをビジネス目的で利用したいという人たちの場,Project BLUE(Business Linux Users Encouragement)を作り,セミナーや交流などの活動をやりました。日本Sambaユーザー会や日本PHPユーザ会の設立にも参加しました。

 担当はセミナーやイベントの企画や運営です。リーダー然とするのは好きじゃない。盛り上げ役なんです。

 これからやりたいことはたくさんあります。思うんですけど,今のコミュニティ活動は専門分化しすぎていて,加えて「作る人」と「使う人」が分断されてしまっている。

 もっと大きな,全国一枚岩の,「自由な選択をしたい人」のネットワークを作りたい。オープン・ソースにこだわる必要もありません。10万人くらいが集まって,皆が自由に意見を交換できるような場ができればいいな,なんて思っています。

「永遠の初心者」であるために,いろいろなことに挑戦したいと語る。

 OSやネットワーク,RDBMSからセキュリティまで,書籍や雑誌記事を書いていますけど,ほとんど,初心者向けの著書や記事です。

 セミナーの講師もそうですが,教える立場になって思うのは,自分自身も「永遠の初心者」でありたいということ。空を飛んでいる人には地べたを歩いている人の気持ちは分からない。地べたを共に歩く人でありたい。

 そのために,いろいろ挑戦してみたいですね。何か面白そうだなと思うと,自分で触ってみないと納得できないんですけど,新しい技術やソフトに対しては初心者ですから,初心者の気持ちになれる。

 初心者の方に言いたいのは「間違いを恥じるな,恐れるな」ということ。雑誌に記事を書くときなどに守るようにしていることがあるんですが,それは「匿名では書かない」ということ。

 人間ですから,間違うことはあります。でも,逃げない。間違っていたら,それを基に議論することで良いものにしていけばいい。オープン・ソース・ソフトウエアと同じだと思います。ソフトウエアには必ずバグがあります。それをみんなで見つけて,改良していく。議論も同じ。みんなで深めていけば,どんどん良くなっていく。間違うのも大事なプロセスなんです。

 要は,分からないことを恥ずかしがらない。間違えることを恐れない。教育をやっていると「こんな基礎的なことを聞くのは恥ずかしい」という人がいます。でも,それでは進歩がない。恥ずかしがるくらいなら学べと。

 コミュニティでも,質問すると「質問の仕方が悪い。OSのバージョンくらい書きましょう」という人がいて,初心者が入っていきづらい雰囲気になっていることがある。びぎねっとでは,そういう初心者を責めるようなことはしないようにしています。聞くのに遠慮する必要はない。誰だって最初は知らないんだから。学ぶの語源は「まねぶ」,真似することです。

 コミュニティではよく「何々の偉い人で近寄りがたい」と線を引きたがるけど,引き過ぎると学べないよと。それよりもビール片手にぶつかってみましょうよと言いたいですね。

出典:2003年1月号 176ページ プロフェッショナル,仕事を語る
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