本コラムもこれが最終回だ。長い間,ご愛読,ありがとうございました。この春以降はちょっと趣向を変えて,また新たな記事を書いていく予定です。よろしくお願いいたします。

 このコラムを始めたのは確か1999年の初旬だから,約5年間続いたわけだ。アメリカのインターネット・ブーム,あるいはITブームと呼ばれるものがちょうどピークに達し,やがてバブル化し,最終的にそれが弾ける過程を追ってきたことになる。何事も,ある年月を経て振り返った時に初めて本当の意味が理解できるというが,それはインターネットについても言えるだろう。

ささやかな自慢話――80年代末に考えた「10年後のネットの姿」

 私が最初にインターネットの存在を知ったのは,東芝に入社して情報研究所に配属された1988年ごろのことだ。当時はUNIX上のテキスト・ベース・アプリケーションしかなかった。当時,東芝はインターネットを「ビジネスの種」としてではなく,研究者やエンジニアの作業環境ととらえていた。研究所内にはTCP/IPのLANが張りめぐらされ,クライアント/サーバー・モデルによる最先端の情報共有環境が実現されていた。これは海外情報に早い所長や研究員が,ほぼ自主的に構築したもののようだった(私自身はその構築作業に携わっていない)」。外国の研究者ともEメールを使って,よくコミュニケーションしていた。

 こうした状況は東芝だけではなくて,他のエレクトロニクス・メーカーでも同じだったと思う。当時の総合電機メーカーがビジネスの種として真剣に取り組んでいたのは,むしろOSI(Open System Interconnection)だった。これはISOが推進するコンピュータ通信用の7層構造プロトコルである。用途は例えば,異なるメーカーの中・大型コンピュータをスムーズに接続することだ。このプロジェクトを担当したエンジニアリング部隊は,徹夜を繰り返しながら他社と接続実験をしていたが,結局普及しなかったようだ。最近,OSIという言葉はほとんど聞かない。

 結局,普及したのはOSIではなくTCP/IP,つまりインターネットだった。しかし80年代末に,そのインターネットが近い将来,ポップ・カルチャーに化けると予想できた人は少なかった。自慢ではないが――いや本当は自慢なのだが――私もそうした数少ない者の一人である。

 「ごく一般の大衆がコンピュータ・ネットワークを使って,文書や音楽や映像を自由自在に作成し,簡単にやりとりする時が来る。これによって大衆の自己表現の機会は,過去とは比較にならないほど増大する。それは今から10年くらい先(西暦2000年くらい)のことになるだろう」―――私はこういう趣旨のエッセイを書いて社内コンテストに応募し,一等賞を取った。選考委員には東芝に縁のある小松左京氏が含まれていたので,多分彼が選んでくれたのだと信じている。

 今ごろ,ささやかな昔話を自慢している自分が情けないが,しかし,あのエッセイの基本的アイディアを社内コンテストに眠らせてしまったのは,我ながら惜しい。せめてきちんと書き直して,まともな雑誌に発表しておくべきだった。それ以後の10年の変化を,大筋において予見していたからである。

 私がエッセイに書いたことは,今になってみれば何のことはない,みんなやっていることだが,当時,つまり80年代終盤はいまだ一般大衆の手に届く範囲にはなかった。研究所などを除けば,Eメールさえほとんど使われていなかった。

研究者には「ポピュラーな感覚」が,記者には「差分的革新を読む力」が足りない

 私の上司や同僚も,「小林君は何だね,文才があるんだね」と的外れのほめ方をするばかりで,「インターネットの大衆化」や「ネットワーク社会の到来」という肝心のポイントに着目したエンジニアは皆無だった。もし真剣に考える人がいたら,インターネット・アプリケーションの事業化計画でも始まっていたかもしれないが,そんなことは起きなかった。壮大な大型コンピュータ開発プロジェクトはあっても,研究所に決定的に欠落していたのはポピュラーな視点と感覚だった。

 その後,私は東芝を退社して,日経BP社に入社した。そこでエレクトロニクス業界専門誌の記者・編集者を2年あまりやったが,この期間,私はインターネットのことをほとんど気にかけなかった。この辺りが当時の私の限界である。もし未来の何かに対するビジョンを持っていたなら,むしろ,そちらの方向に進路を定めるべきだったのかもしれない。それをする代わりに,私は出版社に入って,日ごとに関心の対象が変わる慌しい人生を選んだ。

 いずれにせよ,編集部内でインターネットが話題に上ることは無かった。しかし稀にだが,仕事に使うことはあった。当時,パソコン通信を経由してインターネットに接続することができたので,私はそれを使って香港在住のライターから記事を寄稿してもらった記憶がある。それを見ていた同僚の編集者が「へえ,便利なものがあるんだな」と感心していたが,ネットに対する認識といったら,当時はこの程度である。

 90年代初頭のことだから,既にTim Berners-LeeはWorld-Wide Webの開発を完了していたはずだが,そんなことに関心を払っていた記者はあまりいなかったのではないか。専門誌の記者は,業界内の「微分」的変化を追うことには熟達しているが,社会に大きな変化を及ぼす「差分」的な技術革新は,往々にして見逃してしまうようだ。

私の予想と現実とのずれ――情報カオスの到来

 その後,93年の夏に私はアメリカ留学した。大学のジャーナリズム・スクールのカリキュラムに,「コンピュータを使った情報収集」講座があったので,それを受講してみた。これはインターネット上で,主に政府機関のデータベースから公共情報を入手するトレーニングだ。

 GopherやFTPなどテキスト・ベースのコマンドを駆使して,情報を探し出すのだが,これがまるで使い物にならない。ああいうのは,やはりエンジニアでないと使いこなせないのではないかと思う。本来なら学生に手本を示すべきジャーナリズム・スクールの教官さえ,キーボードをたたきながら,「あれ,あれ,おかしいなあ」とか頼りないことをつぶやいて,いつまでたっても目指す情報にたどり着けないのである。

 一般社会において,インターネットの存在感がグッと強まってきたのは翌94年であろう。この年,GUIを前面に押し出した本格的なブラウザ「Mosaic」が,大学を中心にして社会全体に広がり始めた。インターネットの利用が一挙に容易になって,日常生活の一環に組み込まれた。その後,MP3に代表されるファイル圧縮技術が広まって,音楽や映像ファイルが頻繁にやり取りされるようになったのは,多分1998年前後からだ。現実の展開は私の予想より若干早かった。

 さらに,予想と大きく食い違った点が一つある。というのはエッセイを書いた88年ごろの私は,ネットワーク社会がもっとオーガナイズされた形で到来すると見ていた。例えば出版社なりレコード会社なり,豊富な経験を蓄えた既存メディアが,ニュー・メディアの手綱をとって次世代情報社会を構築して行くだろうと予想していた。 

 しかし現実は,その正反対だった。インターネットが一般社会に普及し始めた90年代前半は,むしろ一時的な情報カオス状態が生じた。ホームページが爆発的かつ無秩序に増殖し,ジャンク・データがあふれ,「インターネットは物珍しいだけで役に立たない」と言われた時期があったはずだ。大学生を中心に広まったせいで,奔放なカウンター・カルチャーの側面が肥大したからだ。

 当時の後遺症はいまだに,ウイルスなど各種セキュリティ問題として尾を引いている。P2Pによる海賊版問題もその一つだ。

インターネットを黙殺した報いを受ける業界

 既存メディアは当初,インターネットを歯牙にもかけず,黙殺することさえあった。今,その報いを受けているのが出版業界と音楽レコード業界である。長引く出版不況は,間接的にインターネットの影響を受けているのは間違いない。それより悲惨なのがレコード業界で,サイバー海賊版の被害によって,日米とも売上げがピーク時に比べ3割近く落ち込んだ。

 それでもアメリカの場合,アップルのiTunesのように次世代ビジネス・モデルが見えてきたから夜明けは近いが,日本ではオンライン音楽配信ビジネスが一向に成長しない。ネットで配信する音楽のマスター・レコード(原盤)の権利を巡って,レコード会社とアーティストを抱える芸能事務所との間の交渉が難航しているからだろう(日本では芸能事務所側が原盤の権利を持っている)。この点,アメリカではレコード会社がマスター・レコードの権利を押さえているので,オンライン配信への移行は比較的容易である。

 出版やレコード業界とは対照的に,インターネットの被害を最小限に食い止めたのが,テレビ放送や映画のような映像メディア業界である。現在のインターネットではいまだ映像データの受信に手間がかかるから,海賊版が出回るインターネット上の“サイバー闇市”での取引がある程度抑制されたからだ。この間に映像メディア業界は,レコード業界の受難をケース・スタディして,今後の展開には準備万端である。例えばハリウッドの映画会社は,集団でDVDのプロテクション破壊ツールを販売する業者を告訴し,つい先日,一審の勝利を収めた。

 伝統的なメディアがオンライン化に向かう流れは,もはやせき止めようがない。アメリカや日本では,街のCDショップがバタバタと店仕舞いしている。問題はこうした現象が,どの領域まで広がり,どの程度まで進むかにある。これはそう単純に予想できない。メディアのコングロマリット化が進んだせいで,ソニーのように同一グループ内に相反する利害関係を抱えた企業が共存するケースが増えてきたからだ。ソニーは先ごろ,アイワ・ブランドからMP3プレイヤーを発売したが,ソニー・ミュージックは,良い気持ちはしないはずだ。

 またオンライン配信は儲からない。アップルのように,iTunes(ソフト)の赤字をiPod(ハード)で埋め合わせる,という苦しいビジネス・モデルを編み出した企業もある。これはちょうど,ビデオ・ゲーム産業の正反対であろう。各メディア業界の商習慣も考慮に入れて,ビジネスの再編成を迫られており,単に技術的な側面から先を読むのがますます難しくなっている。