外貨獲得に乗り出した韓国ITベンチャーが,日本市場に照準を合わせた。そこには例えば低コストのオフショア開発を売り物にする,中国やインド企業のような際だった特色はない。むしろ目立たず,しかし着実な努力によって,日本市場での足場を固めつつある。

 なぜ,韓国ITベンチャーは日本市場に熱い視線を注ぐのか。その活力の源は何か。日本市場にどんな戦略で進出し,どんな課題に直面しているのか。3回にわたってレポートする。

IT系ベンチャー企業の海外進出を促す韓国政府

 既に日本の消費者は,それと気付かぬうちに韓国のITサービスを利用している。例えば世界的な人気を誇るオンライン・ゲーム「Ragnarok」は,日本でも25万人の利用者を抱えるが,これを作ったのは韓国のゲーム制作会社,Gravityだ(日本ではオンライン・ゲーム会社のガンホーが代理業者として同サービスを運営)。コミュニティ・サイト「SayClub)」も実は韓国NeoWiz社製のサービスだ。

 さらに1日当たり7億ページ・ビューを記録する韓国ポータル最大手のDaum Communicationも今春から東京に進出,日本企業との提携などを視野に入れたビジネスに乗り出す。

 このDaumが東京事務所を構えたのは,新霞ヶ関ビル18階にある「iPark Tokyo」。ここは韓国の政府団体である韓国ソフトウエア振興院(Korea IT Industry Promotion Agency:KIPA)が,韓国IT企業の日本進出を支援するために設立した組織だ(注1)

注1:KIPAの邦訳名が,なぜか「IT」ではなく「ソフトウエア」振興院となっているが,それは「日本市場に対しては,特にソフトウエアの輸出を伸ばして行こう」との方針を反映している。

 iPark Tokyoには現在,20社以上の韓国IT企業が入居し,支社を構えている。いずれも,日本のいわゆる「ベンチャー」に当たる若い企業だ。業種も「セキュリティ・ソフト」「デジタル家電」「Webアプリケーション」から「モバイル用ソフト」まで多岐にわたり,IT業界全般を網羅している。

 KIPAは東京以外にも,大阪,米シリコン・バレー,ロンドン,北京,上海,シンガポールなど世界の主要7都市にiParkを設置して,韓国IT企業の世界進出をサポートしている。

日本進出の背景――巨大財閥「サムスン」が突出する産業構造

 韓国政府がベンチャーIT企業の海外進出を促すのはなぜか?その背景には,韓国の偏った貿易収支構造がある。高いブロードバンド普及率のためか,韓国は表向き「IT先進国」との印象が強いが,貿易収支に占めるIT関連輸出額の比率は意外にも小さい。iPark Tokyoマーケティング・マネージャの直井義郎氏によれば,「他の産業,例えば自動車産業に比べて,IT特にソフトウエア産業の輸出額が非常に低く,売り上げベースの比較では数%に過ぎない。この分野の輸出額を伸ばすために,KIPAが設立された」という。

 しかし実はそれ以上に偏った,むしろ異常とも呼べる貿易収支構造がある。そこには巨大企業「三星(サムスン)」の存在が浮き上がってくる。サムスンは言わずと知れた,韓国を代表する財閥の一つ。いや「・・・の一つ」という表現は今や適切でない。かつて韓国5大財閥グループを形成していた「現代」や「大宇」が,97年の金融危機,いわゆるIMFショックを境に次々と解体,あるいは力を落とした。この嵐を企業構造改革によってしのぎ,むしろ力を伸ばしたのがサムスンだ。

 今やサムスンは韓国経済の中で突出した存在となった。それは貿易統計に如実に表れている。韓国の輸出額の18.3%,貿易黒字の実に104%をサムスンが稼ぎ出している(注2)。これは2000年の数字だが,現在は当時以上にサムスンの占める割合が大きくなっているという。それにしてもサムスンという一企業グループが,韓国の貿易黒字全体の「100%以上を稼ぎ出す」とはどういう意味なのか?つまり,他の韓国企業の貿易収支を全部均(なら)すと赤字になるのだが,その赤字幅をサムスンの稼ぎ出した黒字幅が補って余りあるということなのだ。

注2:出典 「神風(シンパラム)がわく韓国(クニ)」,吉川良三著,白日社

 このように,現在の韓国経済はサムスンに支えられる形になってしまった。CAD/CAMの技術指導のためにサムスンに9年間在籍し,昨年帰国した元日立製作所エンジニアの吉川良三氏は,これを次のように評する。「韓国では今,『サムスンが滅べば,韓国が滅ぶ』と言われています」

 かつてアメリカでは「GMにとって良いことはアメリカにとって良いことだ」と言われた時代があったが,現在のサムスンと韓国の関係は,それ以上なのだ。しかし,ここまで一極集中が進めば,韓国の産業構造は歪む。三星電子に常務として在籍した吉川氏は,サムスン一人勝ちの舞台裏エピソードを明かす。

 それによればサムスンは絶対利益が出る構造になっている。例えば,同社は基本的に在庫を持たない。在庫は下請け企業に回す。その企業が,そのまた下請けに回すという形で,在庫はどんどん下に降りて行く。しかし最後に引き受けた零細下請け企業には,在庫を置く場所がない。そこでどうするかというと,「サムスンが倉庫を貸すんです」(吉川氏)。

 このような構造が維持されれば,韓国経済は危ない。サムスンに集中した利益,特に貿易黒字を何とか分散しようと,韓国政府は成長が期待できるITベンチャー企業を海外に送り出すのだ。

サムスンとベンチャーの複雑な関係

 サムスンとこれらベンチャー企業の関係は,愛憎相半ばするものだ。IMFショックをしのぐため,サムスンは思い切ったリストラに踏み切った。その結果,流出した人材が続々とベンチャー企業を興し,その後の韓国ITブームを形成したとも言える。そうした関係は多かれ少なかれ,今でも続いている。iPark Tokyoシニア・アドバイザーの高橋生宗氏はこう語る。

 「サムスンの社員は大体40歳くらいの時に,自分がこの先,理事になれるかどうか判断し,なれそうもないと思ったら独立する。彼らは企業人としての教育はサムスンで受けているので,そうした経験をもとにベンチャーを興す。この点において,サムスンは非常に良い人材の供給庫となっている」

 しかし実際のところは,こうした奇麗事では済まない面もある。日本に進出した韓国IT企業の関係者は皆,サムスンに対する複雑な心境を吐露する。Daum Communication取締役副社長として東京事務所長に赴任したばかりの韓相基氏は「サムスンと友好的な関係を築くのは,非常に難しい」と率直に語る。

 Webレポーティング・ツール「OZ」を販売する,韓国ソフト・メーカーFORCS日本事務所長のLee, Jae-Jun氏も「かつてITベンチャー・ブームのとき,サムスンやLGなど財閥グループの会長たちは,インタビューの中でベンチャー企業を(市場を奪う)泥棒呼ばわりした。(財閥とベンチャーは)互いに憎んでいる」と語る。

起業を支える「傲気(おうぎ)の心」

 サムスンに9年間在籍し,その内側から同社とベンチャー企業との関係を見てきた吉川氏は,金融危機に端を発する両者の確執を指摘する。すなわちIMFショックを乗り切るために,サムスンは1万2000名をリストラした。日本と違って韓国では,グループ内の企業はみんな同格。つまり(出向させる)系列子会社が存在しないので,本当に首を切るしかない。上司が部下に『明日から来なくていいよ』とバッサリ。すると解雇された社員は口を揃えて,『私は傲気(おうぎ)の心をもってサムスンを辞めていきます』と啖呵(たんか)を切る。

 この「傲気(おうぎ)」という言葉は韓国人特有の感情を表し,敢えて日本語にすれば「恨み」に近いという。しかし単なる「恨み」あるいは「憎しみ」というネガティブな感情に終わることなく,むしろ「それをバネにして,いつか相手を見返してやる」という活力の源ともなる。そのあたりの心意気を吉川氏はこう解説する。

 「傲気の心をもってサムスンを後にした人たちは,自分でベンチャー企業を興す。そして『いつか大きくなってサムスンを下請けに使ってやる』と心に誓う。その時,『傲気が晴らせた』というのです。自分の世代でそれができなかったら,自分の子供に託す。それでもかなわなかったら,孫の世代に。それでも駄目だったら,ひ孫の世代に。とにかく『俺をクビにしたサムスンを,いつか絶対下請けに使って,後悔させてやる』――これが傲気です。これで成功したベンチャーは沢山ある」(吉川氏)

 しかし一方で,裕福なサムスンはベンチャー企業のお得意様でもある。韓国ITベンチャー,FORCS本社の顧客リストには,サムスングループの企業がズラリと名前を連ねる。ベンチャー企業には「仕事をもらってるから,サムスンには頭が上がらない」という一面があるのも否定できない。やはり両者の関係は複雑なのである。

 それにしても今のサムスンは,あまりにも巨大である。グループの中核をなすIT企業,サムスン電子だけでも年間売上高は約40兆5000億ウォン(4兆円)にも上る。これは韓国IT産業全体の21%を占める。

 「これほどの巨大企業を相手にして,ベンチャーに勝ち目はあるんでしょうか?」 
 こんな無遠慮な質問を,フォーシーエス日本事務所長のLee, Jae-Jun氏にぶつけてみた(韓国FORCS本社の年商は約100億ウォン(10億円)だ)。Lee氏は「ウーン」と難しい顔をした後,「まあサムスンを追い抜くのは無理でしょう」とあっさり認めた(認めざるを得ないだろう)。

 「しかし・・・」とLee氏は言葉を継ぎ,「サムスンの売上げがこれくらいだとしたら」と片手を頭の上まで高くかざし,「我々だって,いつかこれくらいまで行く可能性はあります」と,その10分の1位の高さまで手を下げた。

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(小林 雅一=masakazukobayashi@jcom.home.ne.jp)

■著者紹介:小林 雅一(こばやし まさかず)

ライター。慶応義塾大学メディア・コミュニケーション研究所・非常勤講師。2004年 2月までIT Proにて,コラム「米国最新IT事情」を執筆。著書に「隠すマスコミ、騙されるマスコミ」(文芸春秋,2003年5月発行),「グローバル・メディア産業の未来図」(光文社,2001年12月発行),「スーパー・スターがメディアから消える日――米国で見たIT革命の真実とは」(PHP研究所,2000年),「わかる!クリック&モルタル」(ダイヤモンド社,2001年)がある。東京大学理学部卒。