記者と話しながら前を歩いていた社長が,ふっと腰をかがめて何かを拾い上げた。そのまま,何もなかったように再び話しながら歩き続けた。ある中堅コンサル会社を訪問したときのことだ。

 一般的にオフィスの床は,ベージュ系やグレー系などの中間色が多い。汚れが目立たないからだろう。だがその会社のオフィスは,(たぶん)あえて黒に近い暗めの床色を選んでいた。つまり,ホコリやゴミが実によく目立つのだ。常に清掃が行き届いていなければどうしても気になる。ゴミを発見すれば,社長であれ誰であれ,その場できれいにする習慣が浸透しているからこそ,の床なのだ。

 企業信用調査会社のベテラン調査員は,倒産しそうな企業を,訪問した第一印象である程度見抜けるという。物が床などに乱雑に置かれている,調度品などの掃除が行き届いていない,といったこともポイントなのだそうだ。逆に,いつもきちんと整理整とんされ,清潔なオフィスや工場の会社は製品の不良品率が低く,経営不安を抱えている可能性も低いという。

 余談だが,ある通販が扱っている商品に「編集者デスク」というものがある。ずばり,収納力の高さが売りの仕事机だ。カタログには,机の上や横,床の上にまでうず高く積み上げられた膨大な本や書類が「ほうらこのように,すべて収納できました」という写真が載っている。逆を言えば,編集者というのはそれだけ本や紙をためこむものだという一般認識があるのだろう。

 何を隠そう,記者もこの宣伝文句に乗せられて,自宅に「編集者デスク」を買った1人である。書類はともかく,本というのがどうしても捨てられない。せめて半分に減らそうと思うが,それもなかなか難しい。例えば全集などは,第1巻から最終巻まで全部そろっていることに意味があるからだ。何の洒落にもなっていないが「編集者デスク」のおかげで取り合えず,本の収納問題は解決した(狭い面積に集中した本の荷重に床が耐えられるのかという,別の心配事も発生したが)。

整理・整とんを徹底

 それはともかく,紙類を捨てられない記者にとって,最近立て続けに「整理・整とん・清潔・清掃・躾」(いわゆる5S)を強調する経営者に会ったことは,何か意味があることだったのかもしれない。そのうちの1社が,日経情報ストラテジー9月号の特集2「チェンジモデルで企業再生」でも紹介した,中堅婦人向けアパレルのラブリークィーン(岐阜県岐阜市)だ。

 ラブリークィーンの社内では,縫製作業に使うハサミなどの道具類は机の上ではなく,すべて引き出しの中にしまってある。それだけではなく,引き出しを開けると「ハサミの絵」が描いてあり,その位置に置くよう指定されている。

 月に1度は「環境整備デー」があり,全社員で照明器具のホコリ払いからトイレに至るまで隅々の清掃,各自の引き出しの中の点検,さらにはイントラネットにきちんと各自の予定を登録しているかといったチェックまでする。部署ごとに減点方式で採点して,残った点数に応じて「宴会代」が支給される。

 このほか,全社員に,会社の経営理念や目標が事細かに書き込まれた手帳型の「経営方針書」を配っている。ただ配るだけではなく,毎月8回開かれている「早朝勉強会」に必ず持参し,そのたびに繰り返し熟読する。いやでも頭に入る仕組みだ。社員は月1回以上,早朝や夜間,土日などに開かれる勉強会に参加する義務があり,出席すればラジオ体操のようにカードにハンコを押してもらえる。ハンコが溜まれば商品券と交換できる。

 会社の経営ビジョンを大枠で示すだけでなく,整理整とんや勉強会出席カードなど,「大技」と「小技」の組み合わせが同社の経営改革の特徴だ。こうした取り組みは,他社からも注目される一方で「子どもだましみたいだ」と評されることもある。だが,これらの多くは,武蔵野,トリンプ・インターナショナル,イビザなど,先進他社を井上武社長が積極的にベンチマーキングして取り入れたものだ。「他社のやり方がいいと思ったらすぐ教えを乞いに行き,いったん取り入れたら徹底的にやる」というのが井上社長の主義だという。

 考えてみれば,日本の古典芸能の多くは,修行の第1歩として上級者を徹底的に真似る、まず「形から入る」ことを常としている。ラブリークィーンの井上社長も「形から入って心に至る」,「最初は受け売りでも,3年やれば自分のものになる」と口癖のように唱えている。こうした細かい取り組みの積み重ねは,社内の求心力を高めるのにも確実に役立っているようだ。

 その原点にあるのは5年前の苦い経験だ。在庫高と借入金が増大し,取引先から早急な削減を求められた。他社との価格競争が激しく不採算部門だったヤングカジュアル商品ラインを廃止,それに伴い社員も大量に退職した。会社の雰囲気を一新するために,井上社長は身の回りの改善から取り組んだのだ。

 ラブリークィーンの現在の在庫高は5年前に比べ半減。借入金も3分の1近くまで減っている。売り上げこそ大きく伸びてはいないが,安定的に利益が出せる会社になった。

「情報はどんどん捨てよ」

 5Sは経営の「見える化」にも通じる。例えばトヨタ生産方式にしても,ムダが見えるためには現場が整理整とん,清掃されていることが大前提である。5Sが製造業で多く取り組まれているのはそういう理由だろう。

 日経情報ストラテジー9月号の「記者の目」コラムで,大企業ほど5Sに取り組まないと書いたが,正確にはホワイト・カラー部門ほど取り組まない,といったほうが良かっただろう。モノの整理整とんに比べると,情報の整理整とんはかなり難しいと思う。

 ラブリークィーンでも,5Sの取り組みが遅れ気味だったのは,やはりITの周辺だった。例えば,似たような帳票を何種類も出力していた。その理由は,部門ごとに業務手続きがまちまちだったためだ。そこで,まず「業務の標準化」を掲げた。業務の流れを全社で統一し,合わせて帳票類も統一して,数を減らした。これによって他部門の人が何をやっているかが見えるようになり,業務の流れが分かりやすくなった。

 共有文書はすべて電子化し,富士ゼロックスのドキュメント管理システム,DocuWorksで管理することにした。このシステムを利用しながら,日々新たに発生する電子データや紙データは,常に仕分けして不要なものは捨てる。「整理とはまず捨てること。捨てて初めて整とんができる」。社長自ら「捨てろ,捨てろ」と社員に日々ハッパをかけている。

 一方,必要な情報を常に,すぐ見られる状態にしておくのが「整とん」である。情報を探し回るムダな労力がなくなり,結局は「自分の体がラクになる」という。こうした取り組みの結果,全社の紙の使用量が4割減ったうえ,紙の取り扱いにかかっていた作業時間がなくなって効率がかなり上がったという。たぶんそれ以外に,実はもっと大きな効果が出ているような気がするのだが。

 現場のちょっとした取り組みは記事にするのが案外難しい。「それがどうした」という印象しか持たれない場合が多いからだ。だが「神は細部に宿る」という言葉があるように,企業が変わるきっかけはほんのちょっとしたことの積み重ねであるようだ。こういうことに共感し,実行に移す企業がたくさんあることを思うと,何となく未来に希望が持てそうな気がしてくる。

(秋山 知子=日経情報ストラテジー)