仕事にあぶれ、必死でネタ探し

 アイデアを提供したのは工業デザインを担当していた宮本茂である。後に「スーパーマリオ」を生み出すことになるゲーム・クリエータの処女作だった。

 当時はシューティング・ゲームが全盛で、キャラクタを前面に押し出すゲームはなかった。しかも、そのキャラクタを遊び手の操作でジャンプさせられる。新鮮だった。

 ドンキーコングのアイデアを実現するためには、レーダースコープのハードウエアの性能は十分すぎた。たくさんの敵が高速で動き回るといったことが必要ないからである。そこで、不要な機能を削り落として基板の規模を縮小した。

 技術重視で開発したレーダースコープは、手軽な業務用ゲーム機、ドンキーコングとして生まれ変わった。

 任天堂の業務用ゲーム機事業は、ドンキーコングのおかげでなんとかもちこたえたものの、それ以降は縮小していく。ちょうどそのころ、ゲーム&ウォッチが 任天堂の屋台骨を支える大ヒット商品に成長していた。十字ボタンを備えるゲーム&ウォッチ版のドンキーコングも登場した。

 社内には、ゲーム&ウォッチが花札やトランプのようにずっと主力商品であり続けるという見方もあった。当時のゲーム&ウォッチにはそれだけの勢いがあったのである。

 ゲーム&ウォッチの開発で人手が必要な開発第一部への異動などで、上村の開発第二部の人員は減っていた。失意のなかにあった上村は、なんとか次の仕事のネタを探そうと必死だった。

 社長の山内は、「遊んでいる社員が1人や2人いても会社はつぶれないから心配するな」とゲーム&ウォッチを開発する以前に岡田に言ったことがある。岡田は言葉通りにのんびりすごしたが、上村はなにか仕事をしていないと落ちつかなかったという。

 上村が目を付けたのは米国で再びブームになろうとしていた家庭用テレビ・ゲーム機だった。任天堂はブロック崩しを最後に撤退していた。

 家庭用ゲーム機を復活させたい。ドンキーコングをそのまま家庭で遊ぶことができるゲーム機を開発したい。上村の頭のなかには、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の姿がおぼろげながら描かれていた。