前回に引き続き、任天堂におけるゲーム機開発の黎明期をたどる。任天堂は1977年に初めて家庭用テレビ・ゲーム機を発売した。三菱電機の専用LSIを搭載したゲーム機である。価格9800円と1万5000円の2機種を製品化し、合計で約100万台を販売した。三菱電機とのゲーム専用LSIの共同開発は、マイクロプロセサ方式のゲーム機が台頭する1979年まで続いた。任天堂の開発スタッフが三菱電機の半導体部門に通って、LSI設計を共同で進めた。こうした経験が「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」以後の半導体品質管理技術などにつながった。

(記事の原題は、「70年代後半の専用LSIゲーム機時代~ファミコンはこうして生まれた【第3回】」)

 三菱電機から、同社が開発したゲーム専用LSIを使ってゲーム機を開発しないか、ともちかけられた上村雅之(敬称略、以下同)は、うまくいくと直感した。上村は山内溥社長にゲーム機開発を承諾させた。

 こうして任天堂は1977年に、価格9800円の「カラーテレビゲーム 6」と、価格1万5000円の「カラーテレビゲーム 15」を売り出すことになる。

 この二つの製品の中身はまったく同じである。基板に搭載した三菱電機のLSIは15種類のゲーム機能を備えている。価格9800円の機種では6ゲームしかできないように制限を加えた。任天堂は二つのゲーム機を合計で約100万台販売した。販売台数の7割以上が1万5000円の機種だった。

 当時は家電メーカもテレビ・ゲーム機に参入しようとしていた。たとえば松下電器産業は2万円台の価格で製品化をねらっていた。ところが任天堂の9800円という価格を見て、断念せざるを得なくなる。

半導体設計の手ほどきを受ける

 「カラーテレビゲーム」に引き続き、任天堂は1978年に「カーレース 112」を、1979年には「ブロック崩し」を発売する(図1)。いずれも専用LSI搭載型ゲーム機である。この2機種では、LSIの設計開発から製造までを三菱電機に依頼した。

図1 専用LSIゲーム機の第二弾、第三弾を発売
写真左は1978年に発売した「カーレース 112」。価格は1万8000円。写真右は1979年に発売した「ブロック崩し」。価格は1万3500円。「ブロック崩し」の外観デザインは「スーパーマリオ」の作者として有名な宮本茂。当時、宮本は工業デザイナとして勤務していた。
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 「カラーテレビゲーム」のときにはLSIがすでに出来上がっていた。今度の「カーレース 112」は任天堂のオリジナル品である。ブレッド・ボードを作って評価し、回路図を三菱電機に渡さなければならない。ところが、これをこなせる人材が育っていなかった。そこで上村は、六楽内(むらうち)彰次ら2人の若手開発スタッフを三菱電機に送り込んだ。

 六楽内らは回路の基礎から、三菱電機の半導体技術者に教えてもらうことになる。回路図も初めは三菱電機の技術者に書いてもらった。ある機能ブロックの回路図を三菱電機から持ち帰り、ブレッド・ボードを作る。うまく動作しないときには、三菱電機の技術者が任天堂まで出かけて、調整してくれることもあった。

 ブレッド・ボードが仕上がると、三菱電機の北伊丹製作所(兵庫県)に出かけて、LSIの設計を共同で進めた。マスク・パターンの書き方まで教えてもらった。4カ月ほどは三菱電機に通いづめになった。三菱電機の技術者からは「この技術を覚えておいたら、食いはぐれがない」と言われた。六楽内らは、その言葉に励まされ、作業に取り組んだ。