父親は「システムエンジニア」という仕事があることも教えてくれました。当時はその言葉を知っている人はあまりいませんでした。「コンピュータを使ってシステムを作る仕事がある。今後、そういう人が必要になるんだよ」という話を聞きました。今年で40歳になるので28年前のことですが、それがずっと頭に残っていて、そのままここまで来た感じです。

 きっかけはゲームだったのですが、実際にはパソコンではそれほどゲームはやりませんでした。「材料は渡すがおもちゃは買わない」というのが我が家の教育方針なので、ゲームはあまり買ってもらえなかったのです。教本に載っているプログラムを打ち込んで動かしたり、その中身をちょっとずつ変えてみたりしていました。設定ファイルの書き方を工夫してメモリーの空き容量を増やすことに熱中していたこともあります。「キーボードを見ないで打てるほうがかっこいいらしい」と見ないで打つ練習をしたりもしました。

最初のシステム開発では歯が立たず

 「ずっとコンピュータのことを仕事としてやりたい」という思いがあり、室蘭工業大学で情報を専攻しました。北海道出身であり、「自分の学力で入れる大学でコンピュータを学べるところ」と考えたのです。高校は、この大学に入っている人数が多いところを選びました。その高校だったら室蘭工大に入れる確率が高そうだと思いました。

 大学ではプログラミングの授業もありました。学術的な研究をしたいというよりは、「人に喜んでもらえる」という原始体験もあり、人に使ってもらえるもの、役に立つものを作りたいという思いがありました。

 専攻が情報なので、プログラミングは授業や課題、卒論でやっていたのですが、プログラムを書くバイトをしたこともあります。まだソフトウエア開発について何もわかっていなかった時期です。受託開発のチームの一員として参加する感じでした。Visual Basic(VB)のプログラムだったのですが、本を買ってきて勉強しました。

 「多少は書けるかな」と思っていたのですが、実際には全く書けなかった。太刀打ちできず、心が折れました。「社会で役に立つものを作るには相当がんばらなきゃだめだな」と痛感しました。