2013年に見つかった悪性リンパ腫という2度目のがんから復帰しようとした、IT会社オーシャンブリッジの創業者で会長の高山さんは、闘病前の状態まで体力が戻らないという事実に気付く。

 過去のように働けない、自分を受け入れ、悩んだ末に決断したのは自分の分身とも言えるオーシャンブリッジの売却だった。「何もしなくていいじゃん」という妻の言葉がエポックメーキングになった。



 創業者で10年以上を社長を務めただけでなく、社会に貢献する器でもあるオーシャンブリッジで、自分が以前のように働けない、という事実は、高山さんにとって本当に受け入れがたいものだった。以前のようには仕事ができなくなっていた自分に対する周囲からの指摘に加え、どれだけ頑張ってももう体力が昔のように戻ることはない、と自覚していくなかで、現実を受け入れ、これまでの働き方を抜本的に変えるあることを考え始める。

 病気になる前の体力が10だったとしたときに、悪性リンパ腫で入院した後は1とか2ぐらいになったんですよね。当時、体力を付けようとして、自宅の近くをウオーキングして、たまに会社に行きながら、4から5ぐらいには戻ったかなというときに、これ以上やっていって、6か7ぐらいまでは体力を上げられるかもしれないけど、昔と同じ10に戻ることはないだろう、と気付いたんです。

 僕は10に戻そうと頑張って、会社への戻り方を模索していたんですけど、10に戻して現場に復帰するのは無理だということです。4とか5の状態で中途半端に会社に行って仕事をしようとしても、うまくはいかないだろうというのも分かっていました。

 もう会社に戻って、今までみたいに働いて、会社や、会社を通じて社会に貢献するというのは無理なんですね。すごく不本意というか、会社に仕事で貢献できないということを認めるのがかなり難しかった時期があったんですけど、病気と一緒で受け入れざるを得ない現実だと感じたときに、もう会社を離れようと思いました。

 昔のように経営責任を果たせない、権限だけ持って大して働けない状態で残るのは、会社にとっても、自分にとってもよくない。代表取締役からも取締役からも降りて会社を離れようと決めたんです。

 僕はオーシャンブリッジの株式の大部分を持っていました。このままだと、現場のことが分からなくなっているのに、自分は株主という立場では権限があるわけです。役員を降りるんだったら株も手放して、自分の代わりに今後のオーシャンブリッジの発展に貢献してくれる会社を見つけて、買ってもらうのがいいかもしれないとも考え始めました。

妻の一言がエポックメーキングに

 高山さんの心は売却に傾いたが、すぐに全てを決断できたわけではない。経済面を含めた将来への不安もあれば、会社への未練もあった。当時の状況を、高山さんは「もがいていた」とも表現する。

 実は、新規事業を一緒にやっていたエンジニアが、僕が2回目のがんになった後に辞めることになったんですね。辞めるときに、「高山さんは病気を克服して、娘さんにもう1回、働く父親の背中を見せてあげてください」と言われたことがありました。

 もう一つ、うちの娘が3歳か4歳ぐらいになってくると、奥さんが寝転んでいるそばで、「オーシャンブリッジ」と言いながら娘がブリッジするんです。会社のロゴの形を真似しているんですね。それで「パパの会社」とか言うわけです。

 そういうことがあると、やっぱり自分はオーシャンブリッジに戻ってもう1回働く姿を子供にも見せたくなる。でも状況を客観的に考えると、辞めたほうがいいのかもしれない。僕は会社に戻れるか、戻れないか、で悩むわけです。

 意識を変える大きなきっかけの一つが、高山さん本人が「エポックメーキングだった」と振り返る奥さんの言葉だった。

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