内視鏡に代表される高度医療機器を使いこなすには,技能の研修が必須である.従来,医療現場でのOn the Job Trainingが主流であるが,未熟な技能による潜在的危険性が無視できないため,安全で効率的なOff the Job Trainingの開発が求められている.手術手技研修手法として,米国などでは新鮮凍結献体を用いたcadaver trainingが実施されるが,我が国では2012年に日本外科学会・日本解剖学会がガイドラインを発表したばかりで普及はこれからである.Virtual Realityシステムも開発されているが,複雑な人体解剖構造の再現は困難であること,使用できる手術器具が限定されること,高コストなどの問題により普及していない.筆者らは,3次元印刷により臨床用の手術器具で生体とほぼ同様の手応えで手術操作が可能な精密ヒト鼻腔モデルと,それを利用した遠隔手技技能研修システムを開発し,その有効性を実験的に確認した.

1.はじめに

 医師はどのように手術の技能を習得するのだろうか? 従来の身体を大きく切り開く手術では,手技研修は医療現場でのOn the Job Training(OJT)として実施されてきた.座学・見学から,助手として手術に参加し,指導医に助手を務めてもらいながら少しずつ執刀して症例を積み重ね,数年間かけて独り立ちしていく,というプロセスである.OJTで経験できる症例は均一ではないという課題はあるものの,指導医のマンツーマン指導により患者の安全性が担保されていた.

 しかし,近年発展が目覚ましい内視鏡や手術ロボットなどの高度な医療機器による低侵襲手術では,人件費削減・人手不足のため術者1名が行うソロ・サージェリー化が進んでいることもあり,従来型のOJTが通用しなくなっている.すなわち,術者は単独で手術を実施できる能力が要求されるが,助手がいないため,執刀する若手医師に対して指導医は内視鏡画像を指差しながら言葉や身振りで説明するしかなく,執刀医の未熟な技能による潜在的な危険性が否定できない.また,若手医師に任せられる範囲以外は指導医が執刀を引き継ぐが,それまで内視鏡画像しか見ていない指導医が手術操作個所・方向を誤認して引き継ぎ直後の事故につながる例もある.そこで,実際の患者に触れずに実施する研修であるOff the Job Training(Off-JT)がより重要となるが,現在実施されているOff-JTには以下のような課題が指摘されている:

 a. 教科書やビデオ教材(e-Learningを含む):基礎的な学習は可能であるが,3次元的な手術操作や複雑な解剖構造を言葉で表現することは難しく,「知っている人が読めば分かるが,知らない人には分からない」ことが多い.ビデオの2次元画像から3次元的な操作を学習するのが容易ではないことは,スポーツのビデオ学習が難しいことからも理解できる.

 b. 手術見学:手術の進行・機器配置などを学べる.しかし「見る」のと実際に「やる」のとでは隔たりが大きく,内視鏡手術に不可欠なpsychomotor skill(精神運動技能)の獲得には自分で操作することが不可欠である.また,見学者が見るべきものをきちんと見ているかどうかは分からない.熟練医が難しい手技を手際良く実施するのを見て,「自分も簡単にできる」と誤解するケースもある.

 c. 動物を用いた手技研修:腹部はブタを用いて手技研修が可能である.生きた動物を用いた研修はOJTに非常に近いが,高価であるため実施数は十分とはいえず,動物愛護の観点から今後実施が困難になると予想される.また,頭頸部など研修できる動物がいない部位も多い.

 d. 献体による手術手技研修(cadaver training):OJT並みの研修効果が期待できる.米国では新鮮凍結献体を用いた手技研修が盛んであるが,宗教・倫理上の理由などにより実施数が十分とはいえない国も多く,感染症の危険性も指摘されている.我が国では,法的にグレーゾーンであったところ,2012年に日本外科学会・日本解剖学会がガイドライン[1]を発表し,これからの普及が予想される.ただし,実施場所が限定されること,我が国では献体をホルマリン固定するため軟部組織の形状・質感が生体と著しく異なる欠点がある.

 e. 人工モデルによる研修:近年,実体モデルやバーチャルリアリティ(VR)技術によるシミュレータを用いる手技研修方法の開発が盛んである.従来の型取りによる表面形状のみを模した人体模型だけでなく,Computer Tomography(CT)など医用断層画像を元に内部構造も精密に再現し,さらに実際に手術操作が可能な実体/仮想人体モデルが開発されている[2].腹腔鏡手術研修用などすでに製品化されているVRシミュレータもあるが,非常に高価であること,また初心者の研修ではBox Trainer(箱の中にスポンジやゴム製の模擬臓器あるいは動物臓器を入れ,実物の鉗子類を使って研修するもの)と研修効果に差が見られず[3],[4],コストパフォーマンスが優れているかどうかは研究途上であり,普及しているとは言いがたい.

 以上に鑑み,筆者らは,手技技能教授が難しいソロ・サージェリーである内視鏡下鼻内手術を対象としたOff-JT支援技術を研究開発してきたので報告する.第2章では,3次元印刷技術による通常の手術器具で手術可能な精密ヒト鼻腔モデルの開発・製品化について述べる.第3章で,本モデルを利用した手技技能計測研究,および遠隔手術手技トレーニングシステムの開発と遠隔手技指導実験を紹介し,第4章で考察を述べる.

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