何だか不思議な体験をした。お茶の集まりに、「見せたいものがあって」と美術商の知人が、あるブツを持ってきたのである。リサイクルショップの棚でホコリをかぶっていたのだが「いや、ひょっとして薩摩切子じゃないかと思って買ってみた」などという。

 残念ながら、薩摩切子のことはよく分からない。ただ、どんなものかは知っている。幕末の薩摩藩でごく短期間作られた、それは希少な、マニア垂涎の逸品である。リサイクルショップに転がっているような代物ではない。で、眉にツバをたっぷり塗って梱包が解かれるのを見守っていたのだが、それがちらりと姿を表した瞬間、背筋に何かが走った。「こりゃ大変だ、本物だ」。そう確信したのである。それまで薩摩切子などというものを間近に見たことすらない。しかも「本物などということは絶対にあり得ない」状況である。そんな逆境をもろともせず、頭のどこかが勝手に「本物だ」という判定を下した。しかも瞬時にして。「不思議な体験」というのは、そのことである。

 ブツはその後、某大学に持ち込まれ、比重測定などによって「確かに薩摩切子である」ことが確認された。薩摩切子としても極めて珍しい「新発見」の作品であることもわかった。「買う?」とか儀礼上聞かれたけど、サラリーマンの私などは逆立ちしても買えるものではなく、気前よくあきらめた。結局は、某コレクターの元に収まったという。

 それが、都内の美術館で開かれた「まぼろしの薩摩切子」展に出品されるというので見に行ってきた。スポットライトを当てられ、観客の熱い視線を浴びる勇姿を目の当たりにして、「おお、立派になったなぁ」と褒めてやりたい気持ちと、身近な人が銀幕の大スターになってしまったときに感じるであろう寂しさのようなものが渾然となって湧きあがり、しばしその場で呆然とするのであった。

中身を見なくても分かる

 いや、私の気持ちなどはどうでもよい。言いたいのは、よく知らないものでも本物であることを一瞬で見抜いてしまうことができる「人間の感覚」のスゴさである。「私だからできたのである、ガハハ」などと自慢するつもりはない。それどころか、ごくまれにしか正しい直感が働かない私のようなハンパ者がこんな体験をしてしまうと、「要するにインスピレーションなんだよ」と過信して、とんでもない迷品を買い込んでしまったりする。だけど、その感覚というものは、研ぎ澄ませば確実さを増し「常に一瞬ですべてを見通してしまう」という信じがたいレベルにまで達してしまうこともあるらしい。

 白崎秀雄の評伝小説『鈍翁・益田孝』に、こんなエピソードが出てくる。戦前を代表する財界の巨人でありながら、益田鈍翁は美術コレクターとしても屈指の存在だった。その彼が、田中親美(日本美術研究家)と某家に道具整理(美術工芸品類の売却処分)の下見に行ったときの話である。

 ・・・行つてみると、狭いところに実におびただしい道具が隙間もなくならべてあつて、どれがなにやら、折り重なつてもゐることとて一向にわからない。一つ一つ見てゐることなども、到底できない。

 益田がかまはず「すつすつと」その中を先へ歩いていくので、田中もだまつてそれについて行く。一通りざつと見終わると、益田は田中を顧みて、

「まづあの為泰の公任像が千円位から、それと鎌倉の仏像が千円かちよつとその上。床の横にあつた棚、あれがやつぱりその前後で、めぼしいものはこの三つだな」

 といふ。

(中略)二、三日してこの道具が御殿山邸の応挙館の広間にならんで、ここで道具屋の伊丹信太郎が札元になつて、入札が行われた。

 開札されて、親美は唖然とした。為泰はちやうど千円、鎌倉の仏像は千二百円、棚は九百円で落札されたのである。

 親美は、これに似たやうな例をたびたび益田に見た。

 本職ではない益田ですらそうである。日本美術の市場が大活況を呈した大正、昭和期、本職の美術商の中には、「桐箱に収められた美術品の真贋を、外から箱をちらりと見るだけで過(あやま)つことなく言い当てた」などという達人がごろごろいたらしい。「匂いで分かる」などと言ったりするらしいが、要するに、多くの経験を積むことで、きわめて限定的な情報からその全貌をかなりの確率で推測できるようになる、ということなのだろう。

「当事者」という落とし穴

 そのような熟練者であれば、ニセモノをつかまされてしまうなどということはまずないだろうと、普通なら考える。けど、修行が足りない私などはもちろんのこと、老練の美術商でさえ、ときとして過ちを犯してしまうことがあるらしい。

 ある人が非常によくできたニセモノを美術品店に持ち込んだとしよう。当人はニセモノであることを知っているから、ものすごく遠慮した希望売価を提示する。で、店主はまんまとそれにくすぐられるというわけだ。「これは千載一隅の大チャンスかも。この値段で本物が買えればかなり儲けられるぞ」という計算が頭の中で点灯するのだ。こうして、「本物かどうか」という答えが「本物だったら大儲け、ぜひ本物であってほしい」という邪念に覆われて見えなくなってしまうのだと、さる老舗の店主が言っておられた。

「いや、不思議なもんですよ。買おうか買うまいかと迷っているときには、本当に本物に見えているわけです。確実とは言えなくても、まず大丈夫だろうと。ところが、分かりました、買いましょうと言ったとたん、しまったと気付く。買った瞬間に、ニセモノであることが分かるんだ。結局、買うまではいいところしか見ていない。美点ばかりを見て本物だと思う。けど、買って自分のものになった瞬間からパッと欠点が目に入るようになる。往々にして、その欠点が決定的な贋物の証拠だったりするものでね」

 売る方からすれば、ヒロ・ナカムラじゃないけど「やったー」である。目を曇らせるためにわざと低い値段を提示し、その効果でまんまと売り抜けることができたわけだから。逆に、買ってしまった当人は、その品物を床に叩きつけてしまいたい衝動にかられることだろう。

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