宙に浮いた機能

 それでも美濃屋は廃業した。漆器という商品や注文製作という商習慣が時代の流れに合わなくなった、「いいものにカネの糸目はつけない」という大旦那がいなくなったなど、いくつもの理由があってのことだろう。その詮索はともかく、事実として美濃屋はなくなり、ほかの漆器問屋もどんどん姿を消していった。その結果として、問屋が担っていた企画・アートディレクションなど重要な機能は宙に浮いてしまったのではないか。さらに言えば、実は同じことが流通機構の簡素化という洗礼を受けた多くの商品分野でも起きているのかもしれない。美濃屋のことを調べていくうちに、そんな疑念がふつふつと沸いてきたのである。

 少なくとも伝統工芸品の分野では確実に、それが進行しているように思う。材料にしても道具にしても設備にしても、昔とは比べ物にならないほど進化し洗練され、表現の可能性はかなり広がった。精密な仕事も可能になっている。例えば戦前まで、陶磁器を焼く場合には人が炎や煙の色をたよりに温度を制御していた。今は何℃の単位で炉内の温度が制御できる設備もある。けれど、それで作品の質が上がったかといえば、必ずしもそうでもない。

 よく専門家の方が指摘するのは、造形力や意匠力の低下である。先日も知り合いの美術商にある漆芸作品を見せていただいた。それはあらゆる技法を駆使して製作された蒔絵の作品で、それだけで圧倒される。「すごい」と思う。でも、作品としての魅力が感じられない。技術があるのは分かるけど、器形はユルいしそもそも図柄が何とも野暮ったい。「こういうのを技のムダ使いっていうんだよね」と、その美術商はおっしゃる。

 こうした状況に危機感を抱いてか、「作家さんからのコンタクトが増えた」という話を美術商の方からよく聞く。「私、どんなものを作ったらいいんでしょう」と聞かれるのだという。「でも、うかつに答えられないんだよね。適当なことを言って『その通りに作ったから買ってくれ』とか言って持ち込まれても困るし。そもそも、美術商にはバイヤーとして商品を選ぶ機能はあっても、製作側にまで踏み込んで行ってプロデュースする機能はないんです」。

そのせいで技術も低下する

 歴史を振り返ってみれば、優れた美術工芸品は、高い技能を誇る職人と卓越した美意識をもつプロデューサとの共同作業によって生み出されてきた。後者の役割を果たしてきたのは、あるときは千利休のような文化人であり、小堀遠州や松平不昧のような大名であり、近世では益田鈍翁のような財界人である。そして、機関として広い分野でその役割を果たしてきたのが問屋ということになるのかもしれない。けれども、その問屋は弱体化し、あるいはスルーされ、後者の役割の大部分は作者に負わされることになった。

 そのことによって活動の幅を広げ、成果を挙げておられる作家さんたちもいる。前出の染色作家さんなどもそうだろう。販売促進や営業活動を含むマーケティング、商品企画、ブランド管理から実際の製作、原材料の調達、さらには工房経営まですべて自身で手掛けることで、いわゆる「頼まれ仕事」とは一味違う、素晴らしい作品を生み出しておられる。

 けれども、誰でもそのすべてを器用にこなせるわけではない。折に触れ専門家の方々が嘆かれることは「技術の低下」である。陶磁器、漆芸、指物などあらゆる伝統工芸の分野で技が衰え、先人たちが残した作品の模倣すらまともにできる人が少なくなっているのだという。「そもそも、日本の素晴らしい工芸品のおそるべき完成度は、分業体制と不可分のもの。各職人の専門性を高めることで個々の仕事の質を極度に高める。それを総合することで、おそろしく完成度の高いものを作り出していくんです。これが先人達の知恵」というのが、先日お会いした日本刀研究家の方の意見である。

 確かに、すべてを高水準でこなせる人もいる。けれどもそれをすべての人に求めるのは酷な話で、職人さんたちが一芸を磨くことに専心できるからこそ製品の完成度は維持されてきたということか。そうだとすれば、現在進行している「中抜きによって作家が多くのものを引き受けざるを得なくなる」という現象は、企画力の低下だけでなく、さらなる技術の低下、製品完成度の低下を引き起こすことになるだろう。

だから失っても気付かない

 そんな話をあるベンチャー企業の経営者としていたら、「産業界も同じ問題に直面しているのでは」などとおっしゃる。

 問屋を抜かすことのメリットは分かっている。けれども、その結果として失うものの重要さに気付いていない。「ことあるごとに、企画立案とかアートディレクションといった部分は、日本メーカーの弱点として取り上げられる。けど、ちっともよくなったと思えない。それほど不得手なのかと最初は考えていたんだけど、どうも違うんじゃないかと思う。本気でそれを強化しようとはしていないんだよ。つまり、それほど大切なものだと思っていないわけ。軽視しているから、それを失いつつあることに鈍感になるし、気付いていても『技術者が片手間にやればいいんじゃない』くらいに思ってしまうのよ」。

 マーケティング力に裏打ちされた企画力、ディレクション力の軽視こそが日本の個癖と彼はいう。伝統工芸品に関していえば、ずっと以前にピークを迎えてしまったためか、過去の名作を模倣することに終始している作家さんが現代では多い。そのことが、企画・デザイン力軽視の遠因になっているとの見方がある。一方で、日本の産業界にはキャッチアップモデルによって成功してきた体験がある。つまり、過去の名作ならぬ先行メーカーの商品を模倣することに終始してきた時代があった。その習い性が成功体験と結びついて一つの個癖となった、というわけだ。

 その推測が正しいとすれば、職人の世界で起きていることはそのままメーカーでも起こり得る。企画やマーケティングなどの専門部署は業績が悪化でもしようものなら真っ先に「経費削減」の名目で縮小されてしまい、その機能の多くは技術者に負わされ、そのことが回りまわって技術力の低下を招く。結局は、副業で卓越したコンセプトがそうそう生み出せるわけもなく、それどころかコンセプトを具現化するための技術力さえ失うということか。おそろしい話である。

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