行儀の悪いことだから

 京都は、古い商習慣を大切にする土地だというのが、京都在住の方がよく口にする言葉である。江戸時代から続く窯元の当主もこんなことをおっしゃっていた。「うちは作るのが専門で、出入りの業者さんを通じて買っていただくということをずっとやっておりまして。でもね、最近はときどき、売ってくださいとお客さんが直接みえられるんですよ。それはえらい行儀の悪いことやということで、昔の人はやらんかったもんですけど」。

 理屈ではなく、行儀の悪いことだからやらない。契約といった法的責任ではなく、モラル、あるいは礼儀に属するような問題である。それを営々と守り続けてきた京都でもようやく、作家が一人立ちして直接消費者に自ら製作したものを販売するということが認知され始めたのかもしれない。いわゆる「中抜き」である。その最大のメリットは、反物の例でも分かるように価格。問屋や小売業者の段階で発生していた流通マージンを製作者と消費者で分け合うことができれば、両者ともにすごくうれしい。

 それ以外にもメリットはあると、前出の染色作家さんはおっしゃっていた。大きいのは消費者の声を直接作家が聞けるようになったこと。「以前はお客さんはどんなものを求めているのかということが、さっぱり分からなかった。だから問屋さんや小売店さんに言われるままに作るか、自分で勝手に考えて作るしかなかったわけです。でもこうして、直接お客さんと話をする機会ができるようになって、ずいぶん勉強させてもらったと思います。ああ、こんな色が好まれるのかとか、どんな柄が人気なのかとか」。

 つまり、消費者はうれしいし、作家もうれしい。いいことだらけで言うことなしというわけか。けれど、光があれば影があり、得れば必ず何かを失う。そうは問屋が卸さないとばかりに、ウラで何だかイヤなことが静かに進行しているのではないかと、天邪鬼の私などはすぐに疑ってしまうのである。

物流革新で存在基盤を失う

 というわけで、落ち着いて考えてみることにした。そもそも問屋とは何か、何のためにこれまで存在してきて、なぜここにきて「いらねーんだよ」とか言われる立場に置かれてしまったのか。

 調べてみると、問屋の歴史はえらく古い。Wikipediaによれば、鎌倉時代は運送、倉庫、委託販売業を兼ね、後には一般の商品も取り扱うようになった組織「問丸」に由来し、室町時代には問屋と呼ばれるようになったとある。その機能は、主には物流や在庫ということらしい。よく時代劇では、賄賂漬けの悪徳代官に「越後屋、おぬしも悪よのぅ」とか言われつつ抜け荷でがっぽり稼ぐ廻船問屋とかが頻繁に登場するが、これなんかは典型例かもしれない。船や荷車といった物流手段を保有し、湊近くには在庫のための蔵を備え、さらには卸売りもやるという重要な役割を担っていたようである。

 多くの識者が指摘しているのは、この物流、在庫という2大業務の効率改善が「中抜き」「流通機構の簡素化」を加速させる大きな要因だったということだ。人馬や木造船に頼る輸送手段しかなかった江戸時代には、実に高コストかつやっかいだった物流や在庫という仕事は、トラック、冷凍装置、さらにはITを駆使した物流管理システムなどの登場で大幅に効率が上がった。大手の小売店チェーンなどではこうした物流、在庫システムを独自に構築することが可能になり、小規模店舗でもアウトソーシングによって問屋に頼らない物流、在庫システムの利用が可能になっているのである。

問屋の裏機能

 ただ、その二つは問屋の目に見えやすい二大機能であって、すべてではない。例えば、『技のココロ』では、漆器の連載でこんな問屋の機能について触れている。

すなわち、消費者の求めに合致した器をデザインし、それを職人たちの手を借り実際の商品として仕上げ、販売する「問屋」である。例えば輪島ではこの職種を「塗師屋」と呼ぶ。こうした問屋には、ニーズの把握力だけでなく、企画力、さらには工芸品に関する見識や思想といったものが求められる。それがあればこそ、職人達を指導し卓越した商品を生み出すことができるのだ。

 今日的な言葉でいえば、コンセプト立案、マーケティング、アートディレクション、デザインといった職務を問屋は担っていたことになる。大雑把に言えば企画力。これこそが問屋の、目には見えにくいけど相当に重要な機能だったようだ。同じ漆器に関しては、白洲正子さんも著書の中でこんな風に書かれていた。昔、京都に美濃屋という漆器屋があり、その主人はものすごい目利きで、ちょっとでも手を抜けばたちまち見抜いてしまうということで職人から怖れられていた。その一方で、美濃屋の仕事をしているというだけでその職人は腕や信頼性を保証されたようなもので、大変尊敬されてもいたと。

美濃屋のコアコンピタンス

 私もときどき「美濃屋製」と箱書きのある古い漆器を目にすることがあり、センスのいいものばかりだったものだから気になって調べてみたことがある。資料によれば、美濃屋は1772年に創業し、1945年に時代の情勢から家業を閉ざすまで京漆器の優品を製作してきた。その名声は高く、当時の試作品や商品見本などは現在も京都国立博物館に所蔵され、折に触れ展示されているようだ。

 事業形態は問屋とも小売とも言いがたいもので、顧客の求めに応じ、あるいは顧客の要求を察して、道具を製作するというものだったらしい。いわゆる注文製作である。美濃屋が受注はするが、実際の製作は出入りの職人たちが担当するのである。

 そう言ってしまえば「何も美濃屋など通さなくとも職人に直接頼めば安く済む」と安易に思ってしまうかもしれない。けれどもそれはどうやら違うようだ。京都国立博物館の資料では、そのことをこう説明している。

明治時代以降、「作家」という考え方が生まれ、職人たちは徐々に個人単位で仕事をするようにもなります。しかし、お客さんの要望を理解し、十分な技術的・文化的知識と芸術的センスを併せ持った主人と、時には挑戦的とも言えるその指示に対し、技術と工夫とで応えた名工たちとの共同作業は、より厳しく洗練された漆器を創作したように見受けられるのです。美濃屋製の漆器は、「美濃屋」という一軒のお店の下に結ばれたプロ集団の連携プレーによって、その品質と品格を保たれていたと言えるでしょう。

 想像するに、美濃屋は問屋の機能として挙げたマーケティング、アートディレクション、さらにはブランド、品質、生産体制の管理といった役割を担っていたのであろう。日ごろから、腕のある職人を発掘、育成し、常時抱えておくといったこともやっていたに違いない。さらには、その腕利き職人集団を総合的に動かすシステムを備えていたはずである。

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