OSS(オープンソース・ソフトウエア)業界では、“知る人ぞ知る”存在の吉岡氏。今年6月、ミラクル・リナックスの取締役CTO(最高技術責任者)を退任すると同時に、「生涯一プログラマ」の道を歩むと宣言した。

吉岡 弘隆(よしおか・ひろたか)氏

 技術の変化が激しいIT業界で、50代の“おじさん”がプログラマとして活躍できるのか―。私に厳しい問い掛けをする人はいる。確かに、技術の最前線で活躍できるかどうか確証があるわけではない。しかし、「やる」と腹をくくった以上、とことんプログラマの道を突き進んでいきたい。

 私は新しいアルゴリズムを考えたり、プログラムのバグを見つけ出して改良したりすることが、好きで好きでたまらない。しかし、この8年間はプログラミングに集中できなかった。OSSの可能性を世に知らしめるために会社を設立したものの、幸か不幸か経営陣の一人に名を連ねたからだ。社員の生活を預かる身として、さすがに自分の好きなプログラミングに没頭するわけにはいかなかった。

 取締役を退任した今だから告白するが、戦略立案や予算などの金銭管理、アライアンスといった経営にかかわる仕事は、私の性分に合わなかった。その「タガ」が外れた今、思う存分、朝から晩までプログラムと格闘できるようになってとてもうれしい。もちろん、退任した後も雇ってくれる“太っ腹”な会社にも感謝している。

 世間では「35歳、プログラマ定年説」と言われている。吉岡氏は「そんなことはない」と反論する。「プログラマに限ったことではない。年齢だけを見て、“現場”というバッターボックスに立つチャンスを奪うな」と、声を大にして訴える。

 私が「生涯一プログラマ」を宣言したのは、“好き”以外にもう一つ理由がある。社会人人生に「(双六の)上がり」はないことを示すことだ。ITの仕事に限ったことではないが、今の日本では、ある程度の役職につくと強制的に「上がり」にされてしまう。それはおかしい。会社が雇ってくれることが前提だが、「もう一度、若手と一緒に現場でがんばれる」ことを示したい。

 体力勝負のスポーツ界なら、年齢による限界はあるだろう。でもITの世界にはない。むしろ、ITの仕事だからこそ、どんなに歳をとっていても若手と一緒に現場の最前線で活躍できる。仕事や生活などが一段落した50代だからこそ、多少のリスクがあってもチャレンジできる強みもある。8年近くずっと我慢してきたことを、「いまこそ実現したい」という思いは、どの世代にも負けない。

 私が「プロ」としてのプログラマにこだわる背景には、30代半ばに受けた衝撃がある。勤めていた外資系企業が経営不振に陥り、様々な部門が他社に切り売りされていったのを目の当たりにしたことだ。私の目の前にあった選択肢は、「給料をもらい続ける代わりに、プログラマを辞めて、マーケティングやプロジェクトマネジャとして働くこと」、または「プログラマとして生きられる道(会社)を探す」の二つしかなかった。

 このときプログラマの道を歩むと決めなかったら、50歳を過ぎた今になって「生涯一プログラマ」なんて言えなかった。本当に厳しい状況のなかで選んだ道だからこそ、体力が続く限りプロのプログラマでありたい。

 インターネットの普及やOSSの登場で、誰もが世代を超えてITの世界で活躍できるようになった。例えば、パソコンとインターネットに接続できる環境さえあれば、どこの国に住んでいようが、10代であろうが60代であろうが、OSSのソースコードを入手し、プログラマとして開発に携われる。

 プログラマの世界だけでなく、他の業種・業態でも同じような世界が広がっている。ネットオークションのサービスを使えば、誰もが小売業になれる。ブログを使って小説家や写真家にだってなれる。可能性がたくさんあるこんな楽しい時代に、早々にリタイアするなんてもったいない。

吉岡 弘隆(よしおか・ひろたか)氏
ミラクル・リナックス 技術本部 Emerging Technology推進グループ シニアエキスパート
1984年3月慶応義塾大学大学院を修了、同年4月に日本ディジタルイクイップメントに入社。94年に日本DECを退社し、日本オラクルに入社。2000年6月、ミラクル・リナックスの設立に携わり、取締役CTOに就任。08年6月に取締役を退任し現在に至る。1958年9月生まれの50歳。
出典:日経コンピュータ 2008年9月22日号 pp.138-139
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