ITベンダーのコンサルタントからユーザー企業のシステム部長に42歳で転身した奥山氏。45歳になった今、関連会社の取締役を任されるようにもなった。夢は「プロジェクトX」の主人公になること。42歳で見つけた新しい道を歩み続けている。

奥山 昌幸(おくやま・まさゆき)氏

 「プロジェクトX」というNHKのテレビ番組をご存知だろうか。熱い思いを共有する仲間が集い、協力し合って様々な困難を乗り越え、世界初の製品や技術を生み出す姿を描いたドキュメンタリーだ。放映当時、30代後半だった私は、主人公になりきったかのように、涙したり感動したりした。青臭い話に聞こえるだろうが、今でも「せっかくの人生、自分もプロジェクトXの主人公になりたい」と思っている。

 42歳でITベンダーからユーザー企業に転職したのも、「プロジェクトX」へのあこがれがある。ITベンダーでの仕事が嫌いだったわけではない。ただ、脇役としてシステム面からユーザー企業を支援するのではなく、主人公として製品やサービスの開発を手掛けたいという思いが強かった。そのためには、自分が活躍する舞台をほかに求める必要があった。

 実は、自ら現在の会社にアプローチをしたわけではない。ITのコンサルタントとして通っていたときに、経営層から「ウチでやってみないか」と誘われた。「チャンスが来た!」と、はやる気持ちをグッと抑えたことを今でも鮮明に覚えている。

 転職した今の会社での仕事は、システム部門を立ち上げることと、企業の与信管理サービスを提供するシステムを整備することだ。システムを構築・運用するという点では、コンサルタントのころと仕事の内容は大きく変わっていない。だが、ITを売る側から使う側へと“舞台”が変わったことで、コンサルタントとは違う視点で、システムと向き合えるようになった。

 以前は「自分や会社のためでなく、お客様のために貢献する」という思いが強く、担当するシステムを円滑に構築・運用することを重視していた。一方、今は「部下や株主、社会のために貢献する」という思いが強い。どちらもやりがいがある仕事だが、自分には今の役がとても合っている。

 奥山氏は「夢を持って努力を続けていれば、活躍できる“舞台”が自然とやってくる」と強調する。

 私はこれまで4回、転職している。同世代では多いほうだろう。振り返れば、どの転職も次の舞台を目指していた。ITの世界で働きたいという思いから、食品メーカーの営業担当からITエンジニアに転身。2社目のITベンダーでコンサルタントを目指したのは、システム全体を広く捉えた仕事に携わりたかったからだ。その後、ITを提供するのではなく、自ら生かしたいという思いからユーザー企業に転職した。

 ITの仕事に携わって初めて知る会社や職種があるように、ある舞台に立つとその延長線上にまた舞台や役が見えてくる。それらが自分に合っているかどうかは、実際にやってみなければわからない。もしかしたら、後悔することになるかもしれない。けれども、私はやってみないと気が済まない性格なのだと思う。

 結婚や子供が生まれたタイミングで、「もっと稼がなくては食っていけない」「子供が自立する65歳まで働けるスキルを身につけなくては」といった不安や危機感を感じたことも、新しい舞台へ向かうかどうか悩んでいる自分の背中を押した。

 新たな配役を得るために、通勤中や休日に本を読みあさり、時間の許す限りセミナーに参加するなど、とにかく勉強した。他の人に比べれば小さな努力かもしれないが、私なりに努力した結果、次の舞台(転職先)への道が開け、新しい役(仕事)を得られた。「努力は必ず報われる」という言葉があるが、私は本当にそうだと思う。

 ひと昔前の終身雇用の時代なら45歳までの経験で、残りの15~20年を過ごせただろう。だが、これからは違う。舞台を変えるかどうかにかかわらず、自分のスキルを磨き続けないと生きていけなくなると思う。そして、これまで私の人生がそうだったように、努力すれば、必ず結果はついてくるし、活躍する舞台に出会えると信じている。

奥山 昌幸(おくやま・まさゆき)氏
リスクモンスター 開発ソリューション部 部長
1986年3月専修大学経済学部を卒業。食品メーカーの営業担当を経て、88年にITエンジニアの派遣会社に転職。96年にITベンダーのテクマトリックスに転職し、運用管理ソフトの導入などコンサルティングを手掛ける。2005年10月にリスクモンスターに転職し、現在に至る。関連会社のリスモン・マッスル・データとリスモン・ビジネス・ポータルの取締役を兼務。1963年1月生まれの45歳。
出典:日経コンピュータ 2008年9月22日号 pp.124-125
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