第1回で述べたように,多様なプレーヤがモバイル・インターネット市場を狙う理由は,市場規模が巨大であるばかりではない。どのプレーヤも,携帯電話を押さえなければ次のビジネスで後塵を拝することに気付いているのである。

 今後繰り広げられる競争のキーワードの一つが,ユーザーの「ライフログ」。ライフログとは文字通り,ユーザーの生活の中で生まれる様々な行動履歴データのことだ。今後のネット・ビジネスは,リアルな社会のライフログをどれだけ取り込めるかによって大きく左右される。このため,ユーザーが常に持ち歩き,利用する時間と場所に制限が無く,位置情報や決済履歴なども把握可能な携帯電話が,最も重要なデバイスになる。

 これまでのネットの世界では,主にネット上でユーザーのWebアクセスやメールの履歴,ネット上での決済情報などがライフログとして収集されてきた。これらをサービス事業者が分析し,ユーザー個人に最適な広告や情報をピンポイントで届けるダイレクト・マーケティングやユーザーへのレコメンデーションに生かされている。

 だがネット上のライフログだけでは,ユーザーの“実像”に近付ききれない。ネット上の行動はその個人の活動の一部でしかなく,実社会での行動パターンや購入行動などは把握できないからだ。だからこそ,リアルな社会のライフログが得られる手段として,誰もが携帯電話に注目しているのだ。KDDIの長島本部長は,「グーグルがAndroidを用意したのは,モバイル・インターネット市場に足場を築き,実社会のライフログの獲得も狙っているからではないか」と勘ぐる。

 多くのプレーヤがライフログを利用したサービスに注目する中,今のところ最も有利な立場にいるのが携帯電話事業者だ。ユーザーの通話情報やアドレス帳のデータ,位置情報やネットへのアクセス履歴,決済情報までも握っているからである。

 NTTドコモの永田部長は,「ユーザーの決済情報やライフログを握っていることこそ,携帯電話事業者の最大の強みである。情報を預けてもいいというユーザーからの信頼感があるからできる。今後の携帯電話事業者の生きる道は,これらを生かしたビジネスだ」と言い切る。もちろんライフログの活用は利用者の許諾が前提になるが,その可能性は計り知れない。

ライフログで情報取得が自動的に

 携帯電話を通じて得るライフログを生かせば,ユーザーの行動を先読みしてタイムリーに情報を送り届けるようなサービスを実現できる(図1)。

図1●携帯のライフログ活用で情報取得の方法が変わる
ユーザーのライフログを携帯電話が収集することで,サーバーが行動を分析して次の行動を予測。ユーザーの時間や場所に最適なタイミングで情報を配信できるようになる。
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写真1●NTTドコモが開始した行動支援サービス「iコンシェル」
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 例えばユーザーの位置情報や興味のある情報を事業者が収集し,サーバーに蓄積しておく。そのデータを分析することでユーザーの行動を予測し,先回りして情報をプッシュ配信する。現在は,検索サービスに代表されるように,ユーザーがパソコンである情報を入力し,目的の情報を得るというプル型の情報取得方法がほとんどだ。しかしライフログを活用すれば,ユーザーそれぞれの最新の状況に合致した情報が,自動的に得られるようになる。

 携帯電話事業者は,このようなサービスの実現に向けて既に一歩を踏み出した。NTTドコモは2008年の冬モデルから「iコンシェル」という行動支援型のサービスを開始した。例えば,自宅近くの鉄道が事故で運転を見合わせている場合,待ち受け画面にメッセージが現れるといったサービスになっている(写真1)。現段階では,携帯電話のスケジュール・データや電話帳のデータ,電子クーポンなどのトルカの情報,加入者の住所情報を基に情報を配信しているが,今後はさらにユーザーから取得する情報を増やすことも計画。サービスが進化していく可能性もある。NTTドコモの山田隆持代表取締役社長は,「iコンシェルは大きな可能性を秘めたサービス。これまで量を追求していきた携帯電話を質的に向上できる」とその将来性を強調する。

プラットフォーム競争は市場争奪の前哨戦

 iPhoneやAndroidの登場で注目を集める携帯電話の端末プラットフォーム競争は,実はリアルな社会のライフログを押さえるための前哨戦と言える。ライフログを取得するには,サーバー側だけでなくユーザーに接している端末が不可欠になるからだ。取得できる情報が豊富な,デバイスに近いOSやプラットフォームのレイヤーを押さえたプレーヤが競争上優位になる。

 この市場はLiMo,Symbianを推す既存の携帯電話業界のプレーヤが中心だった。それに対してAndroidやWindows Mobile,iPhoneなどのプラットフォームを擁するパソコン・ネット企業が攻勢をかけているというのが現状だ。ライフログを巡って,携帯電話業界とパソコン・ネット業界がせめぎ合っている構図と言える。

 携帯電話の端末シェアだけを見れば,現在は既存の携帯電話端末メーカーや事業者のシェアが圧倒的で,パソコンやインターネット出身企業の影は薄い。ただパソコン・ネット企業は,ネット上のビジネスでは多くの実績と経験がある。加えてグーグルのAndroidは,デジタル家電や業務用端末など携帯電話以外の端末への搭載もうかがう。ライフログの取得あるいはクラウド・コンピューティングの環境では,複数の端末からインターネット上のデータを利用することが前提となる。携帯電話業界のプレーヤは,インターネットにつながる端末の種類という点では足掛かりが少ないとも言える。

この記事は,『日経コミュニケーション』2008年10月1日号 pp.32-45に掲載された内容を再編集したものです。