意思決定の対象となる事業計画は,その事業が持つ不確実性(リスク)に対して何らかの仮説や前提を置いて立案している。それゆえ,仮説や前提が崩れれば事業は計画通りに実行できない。良い意思決定を行うには,「事業環境がもしこうなったら」というように,仮説や前提を変えた場合の結果を事前検証しておく必要がある。今回は,事業の儲けの構造を理解し,「ビジネス・シミュレーション」を実施するためのテクニックを解説する。

宮本 明美
インテグラート 取締役



 前回,事業の不確実性にはさまざまな要素があり,それらの不確実性に対して何らかの仮説や前提を置いて,事業の計画や目標が立てられていることを述べました。この「仮説や前提に基づいている」という点を忘れ,不確実性を考慮せずに計画や目標を検討すると,大きな損失を被る可能性さえあることを理解してもらえたことと思います。

 事業の意思決定では,仮説や前提が外れたときでも,どれだけの儲けが確保できるか,損はどれくらいになるかを知っておくことが重要です。しかしながら,不確実性を持つ要素の組み合わせは非常に多く,それらすべての組み合せを考慮して計画や目標を検討することは容易ではありません。今回紹介する「ビジネス・シミュレーション」は,不確実性を考慮し,仮説や前提の変動を踏まえた事業計画の立案を効率的に支援するものです。

 シミュレーションとは,実際には試せないことを,コンピュータなどで仮想的に実験し,試行錯誤を行いながら,原理を探したり最善の結果を得られるようにしたりすることです。ビジネス・シミュレーションは,文字通りシミュレーションをビジネスの意思決定に応用したものです。仮想的に事業を行った状況を作り出し,事業計画上の仮説や前提の変化がどのように事業の結果に影響を及ぼすのかを分析し,意思決定の判断材料にするものです。

 ビジネス・シミュレーションでは,意思決定の要素やビジネス環境のパラメータからビジネスの結果を計算する式(“儲けの構造”を表すモデル)を用いて,表計算ソフトなどで計算します。その計算式を使って,意思決定の要素である仮説を変えたり,ビジネス環境(前提)が変わったりした際の結果を分析しながら,最善の意思決定を行うわけです。

 ビジネス・シミュレーションを行う上で,最大の難関の1つがシミュレーションのための「モデルを作成すること(モデリング)」だと言われます。実際に筆者も,多くの企業がモデリングに苦労しているのを見てきました。特に,新しいビジネスや初めて取り組むプロジェクトの場合,「モデルをどのように作ったらよいか分からない」という声をよく聞きます。では,本連載の初回から取り上げてきたA社の新事業プロジェクトを例に,どのようにモデリングを行うのか見てみましょう。

A社鈴木主任のチャレンジ◆新事業プロジェクトの模擬実験を行う

 大手化学メーカーA社コーポレートIT部の鈴木主任は,再びコンサルタントの高橋氏のもとを訪ねていた。高橋氏は「品質の高い意思決定」を行うためのコンサルティングを行っており,以前A社で行われた勉強会に講師として招いた方である。鈴木主任は,上司の佐藤課長に依頼され,リスクを考慮した戦略案の検討や複数の戦略案のリスクを比較する方法について,高橋氏に相談に訪れたのであった。

「リスクを検討するために,まずは新事業プロジェクトの『シミュレーション・モデル』を作成してみてはどうでしょうか。建物や車などを設計する際に,模型やコンピュータを使って強度を試したり,構造の欠陥を探したりするためにシミュレーションが行われます。ビジネスの場合も,同じように事業の模型を作って,事業環境や自ら意思決定する変数を変化させながら,その結果をシミュレーションできるのです」

 高橋氏の説明の意味を,鈴木主任はすぐには理解できなかった。建物や車と違って,実態のないビジネスの模型を一体どうやって作るというのだろうか。

「新事業プロジェクトの検討資料の中で,事業の損益計算書のようなものを作成しませんでしたか?」

 高橋氏から質問をされて,鈴木主任は,佐藤課長から預かってきた分厚いバインダー・ファイルの中を探し始めた。この中には,プロジェクトの検討資料がほとんど入っている。

 5分ほどしてようやく,予測される売上高や想定される費用,予想利益率などが記載された損益計算書(P/L)らしき資料を探しあてた。

「これでよろしいのでしょうか…?」

 鈴木主任は首をかしげながら,高橋氏に資料を手渡した。

「そうそう,これが新事業プロジェクトの模型の基になるのです。ビジネスをシミュレーションする時に使う模型とは,“事業の儲けの構造の模型”,すなわち“事業の損益を計算する計算式”なのです。この計算式のことを“モデル”と呼び,計算式を作成するプロセスのことを“モデリング”と言います」

 高橋氏の説明から,事業に見込まれる売り上げとコストを計算する計算モデルが,ビジネスのシミュレーション実験をする際のシミュレーション・モデルになるということが,鈴木主任にも理解できてきた。

「なるほど。ということは,別々のチャネル戦略を採用している従来案と見直し案では,予想される売り上げやコストの算出方法が違うから,別々のモデルを作成して,シミュレーションすることになるのですね」

 鈴木主任は資料をながめながら,従来案も見直し案も,損益計算が非常に粗くしか行われていないことを読み取った。売り上げの予測方法も,コストの見積もり根拠も,資料には全く記載されていなかった。現在の資料では,計算方法が粗すぎて,リスクの要素を反映できそうになかった。

「売り上げ予測の計算方法が適切なロジックに基づいていること,また,コストの項目が漏れなくモデルでカバーされていることは,正しいシミュレーションを行う上で大切です。そのため,モデリングには,事業の仕組みを正しく理解し,できるだけ正確な予測データを持つ人達の協力が必要ですね」

 高橋氏の説明で,モデリングに対する鈴木主任の理解は深まった。鈴木主任は,早速オフィスに戻って,モデリングのためのミーティングを設定しようと考えた。

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