「苦労して開発した技術をなぜ、プラスチック製のスプーン並みの値段でライセンスしなければならないのか」

 「十数年かけて特許が成立したのはいいが、たった3年で期限が切れた。知的財産権に対するリスペクトがあの国では感じられない」

 冒頭のコメントは、アジアの企業による猛烈なキャッチアップを受けて、業績を落とした、あるメーカーの嘆きである。「なるほど、アジア勢に猛追されている日本の製造業のぼやきだな」と思われるかもしれない。確かに、ここ数年における日本の製造業の姿を想起させるが、残念ながらそれは違う。

 正解をお伝えしたい。時は今をさかのぼること20年ほど前。米国の大手半導体メーカー、テキサス・インスツルメンツ(TI)の社内で話題に上った議論が、冒頭のコメントなのである。

ICのカギを握るキルビー特許

 TIが苦労して開発した技術とは、半導体集積回路(IC)のこと。「キルビー特許」という言葉をご存じの方は多いのではないか。TIの技術者だったジャック・S・キルビー氏によるICの基本特許である。キルビー氏がICを発明したのは1958年。今年2005年6月に81歳でこの世を去った同氏は、2000年にこの業績でノーベル物理学賞を受賞した。世の中で動く電子機器のすべてに大なり小なり必ずICが使われているのだから、発明のインパクトはここで説明するまでもないだろう。

 世界を変えたこの発明を巡って日米の半導体大手が日本で繰り広げた特許紛争がある。TIと富士通による「キルビー特許訴訟」だ。1991年7月から足掛け9年間にわたった係争は、富士通の勝利で終わった。2000年4月に最高裁判所が「特許自体が無効である」という趣旨の判決を下した。特許無効の判断は特許庁に委ねられるという1904年の大審院判決をほぼ100年ぶりに変更したものだった。

 少し昔の話になるが、判決が出た半年後の2000年秋、この訴訟に関する取材で日本TIと富士通の訴訟担当者を訪ねたことがある。特許訴訟の当事者にはなかなか取材させてもらえないことが多いのだが、一連の訴訟がほぼ終結しつつあったからか、快く取材に応じてもらえた。取材の中で強く感じたのは、生み出した知的財産権を価値に変えることに対するTIの「執念」だった。

特許は日本で40年間、生き長らえた

 そもそも、1958年に発明されたICの特許に関して、なぜ90年代に訴訟が始まったのか。まず、ここから説明してみたい。それが、知的財産権に関する当時の日本の状況をよく表していると思うからだ。以下、少々込み入った話になるがおつき合いいただきたい。

 実はキルビー特許は、日本で2度成立している。最初の特許の成立は77年6月(特許第320249号、通称・キルビー249特許)。2度目が89年10月(特許第320275号、通称・キルビー275特許)である。富士通とTIの訴訟では2度目に成立した275特許が紛争の対象だったので、区別するために「キルビー275特許訴訟」と呼ばれる。

 TIがキルビー氏による発明を日本で特許出願したのは60年2月である。当時、日本の半導体産業は勃興期。そんな時にICの基本特許が国内で成立すれば業界への打撃は計り知れない。だから、キルビー特許の公告後、成立を防ぎたい国内メーカーによる特許庁への激しい異議申し立てがあった。それが、最初の249特許が成立するまでに17年を要した直接の理由である。もちろん、国策として半導体産業を育成したい通商産業省(当時)の思惑が、成立を先延ばしにする後押しになったのは想像に難くない。

 結果、最初の特許は成立してから3年後の80年に権利満了となった。これが冒頭に書いた「知的財産権をリスペクトされていない」というTIの嘆きの理由だ。ちなみに「TIは、日本でキルビー特許が成立するという前提で、特許料の事前支払いを受けていた」という関係者の証言もあるが、TI側は「支払いがあったとすれば、それは米国のキルビー特許に関するもの」とそれを否定している。

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