三井 英樹

 ユーザー・インタフェース(UI)を改善する作業を始める際,ほとんど必ず質問されることがあります。「そんなことをやって得になるのか?」「費用対効果でみて有益なのか?」——。

 UIを改善することが何になるのかを,下の問いで説明してみましょう。質問は簡単です。「水の流れている“蛇口”の水を止めるには,レバーを上げますか,下げますか?」です。


水を止めるにはレバーを上げる? 下げる?

 答えは,どちらも「正解」です。日本には,二つのUI(レバーを上げて水を止める方式と,下げて止める方式)が存在するからです。したがって答えの集計結果は,その分布を表します。私は講演などの場で何度かこの集計をしていますが,大抵はほぼ同じだけ手が挙がります。しいて言えば,「2」の下げる方がやや多いでしょうか。いずれにしろ,余り差はないと言えると思います。

 この問題の趣旨は,間違った(水を多く出す)方向にレバーを動かした場合に何が起こるかを考えてもらうことです。もちろん,水が「ジャーッ」と勢いよく流れ,それに反応して大抵の人は慌てて逆方向にレバーを動かし,水を止めるでしょう。

 問いたいのは,その誤動作のために失われる水の量です。正しく測ったわけではないですが,間違って「ジャーッ」と流してしまう水の量を仮に「200ml」とします。従業員100人の会社で,間違う確率が0.5(半分),各人が1日に3回その蛇口を利用したとして,年間営業日数を250日としてみます。計算上,無駄にする水の量は,7500リットルに達します。参考情報はこちら


従業員100名の企業が1年間に無駄にする水量

 これは,「水」という形あるものとUIの関係をわかりやすく示したものです。UIが紛らわしいものでなければ,これだけの水という「リソース」が無駄にならずにすんだはずです。

 次にアプリケーションの場合を見てみます。全く同じ「公式」が成立するでしょう。利用頻度はそのアプリケーションによりますので一概には言えません。頻度が小さいほど,悪いUIでは操作方法を記憶できず,効率の悪い作業になりがちだとは言えます。しかし,アプリケーションの場合,先ほどの水の例とは異なる点があります。それは「α(アルファ)」という係数がかかっていることです。


UIの悪いアプリケーションで迷った時間の総量

 水道のレバーの上下を他人や同僚に質問する人は稀でしょう。たとえ逆方向にひねっても,大きな問題ではないと考えるからです。しかしアプリケーションでは,間違った入力に対して心理的ブレーキがかかります。間違わないように,周囲の人間や,そのアプリケーションに精通している友人に電話等で質問することは一般的な行動です。


累積されるUIの悪いアプリケーションで迷った時間の総量

 その結果,たとえ正しい操作方法が教えられたとしても,少なくとも二人分の時間が浪費されたことになります。注意しなくてはならないのは,そうした質問はもっと多くの人たちを巻き込みやすい性質を持っているということです。何人もの人が善意からアドバイスを行い,自己流の解決策を伝授しようとします。

 さらに厄介なのが,そうしたアプリケーションに習熟しているのが,熟練社員であることも多く,毎回の浪費時間はそれほど多くなくても,まさに塵も積もれば的に浪費が累積されていくことです。それは検知し難いけれども,確実に業務の流れを妨げる動きであると言えるでしょう。

 こうした時間換算による損失計算は,それほど稀なものではありません。情報検索に関しては,IT系調査専門会社のIDCは2001年に次のようなレポートを出しています。

「知的労働者1000人を雇用する企業で,全社員が“無駄な”情報検索に,1日当たり30分費やしているとすれば,1年間に少なくとも250~350万ドルを浪費していることになる」

 これを日本の状況で考えれば,時給で言えば2800円レベルの人件費で置き換えるだけで,同じ結果が出ます。さすがにここまで累積されると馬鹿にできない数字といわざるを得ないでしょう。


1000名の企業で全員が1日30分の無駄をした場合の損失費用

 業務アプリケーションに対して全員が毎日30分もの時間を迷っているという想定は,現実的ではないかもしれません。しかし,あまり業務アプリケーションにかかわることのないエンジニアの方が,社内のシステムを使って交通費清算をする場合などを想像してみてください。ちょっとした申請でも,不慣れな操作で迷うことは少なくないのではないでしょうか。たとえそれが1日3分であっても,上記の式では3500万円にも上るのです。3千万円あれば,ちょっとした業務アプリケーションを新規に作れるほどでしょう。

 アプリケーションの設計段階で,少しUIを考慮して,覚えやすく操作しやすいものを作っただけで,こうしたコストは発生しなかったかもしれません。しかも,こうした無駄の多くは社員をイライラさせるたぐいのものであり,社員の健康状態の上でも薦められるものではないのです。

 UIを化粧直しや見栄えという観点から見たならば,こうした議論はできないでしょう。いかにユーザーが使いやすいようにするか,そうした視点で業務アプリケーションも見たならば,会社の活性化という意味でも有意義な投資が可能となりえるのです。


三井 英樹(みつい ひでき)
1963年大阪生まれ。日本DEC,日本総合研究所,野村総合研究所,などを経て,現在ビジネス・アーキテクツ所属。Webサイト構築の現場に必要な技術的人的問題点の解決と,エンジニアとデザイナの共存補完関係がテーマ。開発者の品格がサイトに現れると信じ精進中。 WebサイトをXMLで視覚化する「Ridual」や,RIAコンソーシアム日刊デジタルクリエイターズ等で活動中。Webサイトとして,深く大きくかかわったのは,Visaモール(Phase1)とJAL(Flash版:簡単窓口モード/クイックモード)など。