図4  バイオメトリクス・ビジネスの難しさ<BR>画像処理技術や信号処理技術があればベンチャー企業での参入が容易だが,システムとして組み入れる際は小型実装や暗号技術との連携,業種別のアプリケーションを熟知する必要がある。日本のような総合電機メーカーやシステム・インテグレータが得意とするビジネスである。
図4 バイオメトリクス・ビジネスの難しさ<BR>画像処理技術や信号処理技術があればベンチャー企業での参入が容易だが,システムとして組み入れる際は小型実装や暗号技術との連携,業種別のアプリケーションを熟知する必要がある。日本のような総合電機メーカーやシステム・インテグレータが得意とするビジネスである。
[画像のクリックで拡大表示]
写真  築地聖路加国際病院の脇にあるHenry Faulds住居跡の碑&lt;BR&gt;1880年(明治13年)10月医師・宣教師であるHenry Fauldsは英国の科学雑誌「Nature」に指紋認証について日本から発表した。1911年(明治44年)4月1日に,我が国の警察においてはじめて指紋法が採用された。
写真 築地聖路加国際病院の脇にあるHenry Faulds住居跡の碑<BR>1880年(明治13年)10月医師・宣教師であるHenry Fauldsは英国の科学雑誌「Nature」に指紋認証について日本から発表した。1911年(明治44年)4月1日に,我が国の警察においてはじめて指紋法が採用された。
[画像のクリックで拡大表示]
図5  バイオメトリクスに関する日本の動向&lt;BR&gt;2001年にアジアバイオメトリクスワークショップ,2002年にISO(国際標準化機構)とIEC(国際電気標準会議)が設けた合同技術委員会(JTC1)の小委員会SC37(Sub Committee 37),2003年にバイオメトリクスセキュリティ研究会とバイオメトリクス セキュリティコンソーシアムが立ち上がった。
図5 バイオメトリクスに関する日本の動向<BR>2001年にアジアバイオメトリクスワークショップ,2002年にISO(国際標準化機構)とIEC(国際電気標準会議)が設けた合同技術委員会(JTC1)の小委員会SC37(Sub Committee 37),2003年にバイオメトリクスセキュリティ研究会とバイオメトリクス セキュリティコンソーシアムが立ち上がった。
[画像のクリックで拡大表示]
今後の技術動向 (2)

利用方法をオープンにする

 次に,生体認証が使われる場所はこれからますます広がりユーザーも増えることから,データの扱い方をはじめとするシステムの中身をオープンにしていくことが必要となる。暗号などの一般的なセキュリティ技術は,技術指向の面がある。しかし生体認証の場合,技術はもちろんであるが,プライバシの問題などの社会倫理や法律が密接に関係する。だから,利用者の理解を得ることが絶対に必要である。

 暗号などは高度化すればするほど,ブラックボックスとなって人目につかなくなる。しかし,生体認証は利用の場が広がるほど,身近な問題となり人目につくようになる。おそらく数年後には,金融機関を利用したら静脈のデータを,パソコンを使おうとしたら指紋のデータを採られ,電子パスポートで海外へ行こうとしたら顔や指紋のデータを採られることが普通になるだろう。監視カメラの問題もある。生体認証と組み合わせることによって,犯罪の抑止や解決などでは大きな効果も期待されるが,半面,プライバシが侵害される問題が生じる。

 だからこそ,市民(利用者)と行政側(サービス提供者)がよく相談しながら進めなければならない。バイオメトリクスにはメリットもデメリットもある。どこまで,何をするために用いるのか,市民が参加して考えていかなければならない。生体認証については,利用者である市民が当事者意識をもって参加し,意見を言わなければならない,というところが他の認証技術とは大きく異なる。暗号はブラックボックス化を進めているが,バイオメトリクスは中身をオープンにして“ホワイトボックス化”する技術になるべきだ。

日本の産業の強みになる

 いろいろと研究開発を進める中で,日本の企業は生体認証分野において強みを出せると筆者は考えるようになった。ビジネスへの参入は信号処理,画像処理のそこそこの技術があれば可能である。ソフトウェア開発キットの作成や,ライセンス・ビジネスなどで,ビジネスの立ち上げは容易だ。しかし,出口つまり成功するビジネス形態は,非常に間口がせまい。こうしたバイオメトリクス・ビジネスを図で表すと,びんの形をしたモデルになる(図4[拡大表示])。

 ビジネスに成功するには三つの観点が重要である。一つは,装置を小型に実装できること。生体認証技術を広く利用するためには,個人の端末という形態にする必要がある。このためには小型化は必須である。二つ目は,複合技術が不可欠であること。つまり,複数のバイオメトリクスを利用し認証精度や利便性を向上させる。あるいは,ICカードや暗号の技術の連携も必要になる。三つ目は,バイオメトリクスを利用するアプリケーションを理解していることである。つまり,業種アプリケーションを熟知したシステム・インテグレーション力が必要となる。これらの能力は日本の情報家電メーカーや,システム・インテグレータが強いところであり,日本の産業に適した技術といえる。

 こういった特徴に気付く以前の1990年代,筆者は米国におけるインターネットを中心とした生体認証ビジネスの展開や,ベンチャー企業の速いビジネス展開に戦々恐々としていた。だが徐々に,この技術の本質が見えてきた。それは,生体認証は単体で存在するのではなく,複数の技術との組み合わせで成り立つということだ。つまり,実装方法や利用する応用システムの熟知,暗号あるいはいろいろなバイオメトリクスの複合利用が重要であることに気が付き,日本産業の強みを生かせると確信を深めた。

生体認証は日本が発祥

 しかも生体認証は日本と非常に関係が深い。日本における生体認証のルーツを調べてみたところ,昔から爪印,拇印の習慣があり,身体情報を証拠として利用していた。

 学術的にこういった身体情報の証拠能力が証明されたのは,今から約130年前のこと。東京築地でスコットランド出身の医者であり宣教師のHenry Fauldsが,「指の紋様が人によって異なり,一生変わらない」ことを証明する研究を始めた。その成果を1880年の英国の科学雑誌Natureに投稿した。これが世界で初めてのバイオメトリクスに関する個人認証研究の論文である4。Henry Fauldsの業績を記念した碑が築地の聖路加国際病院の歩道脇にある(写真[拡大表示])。この場所が,日本あるいは世界のバイオメトリクス研究の原点である。

 このような日本とかかわりが深い生体認証技術に筆者が初めて携わったのは,日立製作所に入社した1980年ころだった。入社直後に所属した部署で,デジタル画像処理技術をセキュリティ分野へ展開しようとしたが,その努力は実らなかった。その後,研究部門の管理者になり1995年より再度バイオメトリクスの研究を立ち上げた。いくつかの取り組みのなかで,次の四つに特に力を注いだ。

 まず一つ目に,バイオメトリクスを利用する製品はセキュリティ製品だと考えるようにしたこと。「バイオメトリックセキュリティ」という言葉を考案し,1997年より使い始めた。二つ目が現在の標準モデルとなったICカード内での照合など,ICカード連携技術を世界に先行して開発したこと。三つ目がバイオメトリクスと暗号の連携認証,バイオメトリックPKIを世界で初めて開発し,ITU(国際電気通信連合)などの国際標準に提案したこと。四つ目が日本の産業力を強化するために,学会,産業などの体制を整備したことである。バイオメトリクス セキュリティコンソーシアム,バイオメトリクスセキュリティ研究会,ISO(国際標準化機構)とIEC(国際電気標準会議)が設けた合同技術委員会の小委員会SC37(Sub Committee 37),アジアバイオメトリクスワークショップなどである(図5[拡大表示])。

日本を中心に広まるバイオメトリクス

 バイオメトリクスの研究開発にかかわって以来,デジタル画像処理の立ち上げ時期,インターネットの民生利用展開の時期,バイオメトリクスが注目された2001年を経験してきた。この間,技術と社会の流れが合流し新しい価値観を生み出す歴史的な転換期に立ち会えたことは研究者冥利につきるといえる。

 2001年9月12日に東京で開催されたアジアバイオメトリクスワークショップは,その後,シンガポール,台湾,韓国,東京と毎年開催されている。昨年より中国の参加も得て,2006年の開催地は北京に決まった。情報共有,国際標準化提案に関するアジアでの協力関係は順調に育っている。今後も日本を中心に,世界市場へのチャレンジが続くと信じている。


瀬戸 洋一 Youichi Seto/日立製作所 システム開発研究所 主管研究員

1979年慶応義塾大学大学院修了(電気工学専攻)。同年日立製作所入社,システム開発研究所配属。衛星画像処理技術,医療情報処理技術,地理情報処理技術,情報セキュリティ技術の研究開発を担当。セキュリティ研究センタ副センタ長,セキュリティビジネスセンタ センタ長を歴任。工学博士(慶応義塾大学),技術士(情報工学部門),情報処理技術者(システム監査),BS7799リードオーディタ。バイオメトリクスワーキンググループ(英国政府主催)の日本代表委員,ISO/IEC SC17 WG11国内委員会主査,バイオメトリック技術を扱う国際標準化組織ISO/IEC JTC1/SC37国内専門委員会委員長。バイオメトリクスセキュリティ研究会副委員長。バイオメトリクスセキュリティコンソーシアム会長代行。『生体認証技術』(共立出版),『情報セキュリティ技術』(日本工業出版)など情報セキュリティおよびバイオメトリクス関係の著書多数。

出典:日経バイト2006年1月号 109ページより
記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。