ゲームで心理ケア、もちろん批判的な目はありました

清水あやこ氏 HIKARI Lab 代表取締役

2017/11/01 05:00
伊藤 瑳恵=日経デジタルヘルス
 「ちょっと頑張れば乗り越えられる」「辛いのはみんな同じ」。心に負荷がかかったときに、そんな風にごまかしてしまう――。精神面で不調を感じたときに、病院やカウンセリングに行くことを選択肢に持てる人は決して多くない。

 精神科領域で医療機関にかかることに対する敷居の高さ。これを解消するために、ゲームを使って手軽に心理ケアを受けてもらう。そんな狙いでHIKARI Labが提供しているのが、RPGゲーム「SPARX」だ。認知の歪みを修正し、問題解決を助ける認知行動療法を学ぶことができるゲームである。

 SPARXは、もともとニュージーランドのオークランド大学で開発されたゲームをHIKARI Labが日本用に手を施したもの。2016年5月に国内での提供を開始した。

 心理ケアを提供するツールとしてなぜゲームに着目したのか。その理由を、同社 代表取締役の清水あやこ氏に聞いた。

HIKARI Lab 代表取締役の清水あやこ氏(写真:皆木優子、以下同)
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(聞き手は伊藤瑳恵=日経デジタルヘルス)

――心理ケアに関心を抱いたきっかけは何でしたか?

 身近な親族や友人に精神疾患を患っていた人がいたことがきっかけでした。相談をしてくれても、一友人の私では対応しきれないこともあり、歯がゆい思いをしました。明らかに深刻な問題を抱えているにも関わらず、なぜ専門家に相談に行かないのだろう。臨床心理士はたくさんいるのに、こんなに利用されていないのはなぜなのだろうと疑問に感じていました。

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 大学院で臨床心理学の勉強をしたことで、日本では心理ケアの敷居がすごく高いことに気づきました。かなり状況が悪化しないとカウンセリングや医師にかかる人が少ないのです。

 うつ病患者の約75%は病院に行かないという研究結果もあります。日本には100万人の気分障害の人がいるとされていますが、それは顕在化している一部にすぎないでしょう。本人の自覚の有無に関わらず、放っておいて働き続けている人も多いと思います。いわゆる“隠れうつ”の人はたくさんいるのではないでしょうか。

 「眠れないけどこういう日もあるよね」「しんどいけどチームのみんなが頑張っているから自分だけ休めない」。そんな風に不調をごまかしている人も多いでしょう。ある日突然、文字が読めなくなったり体が震えたり、玄関を出られなくなったりすることで、初めて自分は“危ない”と自覚して病院を訪れる人も少なくありません。

 こういう状態になる前に何かしらのケアをすることが必要だと思っています。辛さや大変さの感じ方は人それぞれ違うのです。

――なぜ認知行動療法を学ぶゲームを手掛けることになったのですか?

 海外では、カウンセリングが普及している国もあります。ちょっとおかしいなと思ったら早めにカウンセリングを受けるなど、日本よりも気軽に捉えている印象があります。重要なプレゼンテーションを控えた経営者が、「その前にセラピーを受けておこう」ということもしばしばあるそうです。自分をメンテナンスするためにも心理ケアが使われているのです。

 しかし、日本では心理ケアを受けていることを誰かに知られることに恐怖を感じる場合が多いです。病院に通っているところを見られたくない、カウンセリングルームの待ち時間にほかの人に会いたくないという思いがあるのです。

 どうしたらもっと簡単に心理ケアを提供できるのかと考えていたところ、友人の紹介でSPARXに出会いました。

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 ゲームなので、治療という色が少し薄れて気軽に手に取ってもらえるのではないかと思いました。普段使っているスマートフォン用いてできるという手軽さも良かったです。実際にプレイしてみると、RPGの形にはなっているものの、認知行動療法の枠組みに沿ってしっかり作られていると感じました。

 精神疾患に関しては、疾患と診断されてからの介入では遅いと感じています。本人や家族が社会的に機能しなくなってしまったり孤立してしったりする場合が非常に多いからです。そうなる前にSPARXを使って少しでも良くなってもらいたい。もしくは、SPARXの存在によって「心理ケアってそんなに怖くないんだな」と敷居を下げられればと思っています。

――SPARXはどういうゲームなのでしょうか。

 SPARXは、ファンタジーの世界で冒険をしながら認知行動療法を学ぶゲームです。ゲームの中は、ネガティブな気分がボールの形をしたモンスターとして存在する世界が広がります。自分のアバターは、ヒーローとなってモンスターと戦い、世界を救うというストーリーです。

「SPARX」画面イメージ
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 全部で7つのレベルがあり、1週間で1レベル進めるペースを推奨しています。これは1回のゲームで学んだことを、1週間ほどかけて自分の生活で落とし込んで実施してもらおうというものです。自分の生活で実践すると、何かしらの気づきを実感することができるからです。この方法は、通常のセラピーでも行われています。

 ポイントは、ネガティブな気分をモンスターとして外在化させているところです。外在化することで、ネガティブな気分は自分自身ではなく“外から影響を与えてくるもの”という見方ができるようになります。また、モンスターを倒す方法についても学ぶことができます。これは実際の認知行動療法のやり方や考え方と同じです。

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 認知行動療法というのは情報処理プロセスに注目した問題解決のアプローチです。具体的には、まず今の問題を客観的に捉えます。その上で、解決するためにはどういう考え方や行動をすればいいのかを検討するのです。SPARXでは、この問題の外在化と問題解決を自然に体験することができます。

 SPARXを繰り返しプレイすれば、日常生活の問題も客観的に捉えられるようになります。例えば、「仕事がまだ8割しかできていない」とネガティブな感情が込み上げてきても、SPARXを行うことで、その判断が正しいかどうかを問う姿勢が身に付きます。「8割もできている」可能性もありますし、残りの2割を終わらせるために人に上手くお願いするスキルが役立つこともあります。もしくは、呼吸法を用いて冷静に対処する、というのもいいかもしれません。このように適切な対処ができるようになることが期待されるのです。

 オークランド大学では10代向けに開発されていましたが、日本版では大人も使えるように修正を加えています。実際のユーザーは30~50代の男性が8割を占めます。スマートフォンになじみがあり、うつ病が多いとされている年代です。

――SPARXにはどういう効果がありますか。

 引きこもりの人が「あまり心配せずにとりあえず行動してみよう」ということを学ぶ章をプレイして、日常生活で外出することに挑戦したエピソードがあります。以前は、靴ひもがうまく結べないと外出が嫌になってやめていたその人が、靴ひもがうまく結べなくてもとにかくコンビニエンスストアに行くということを続けたのです。

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 外出する前は心配していたけれど、コンビニエンスストアまで行ってみたらそんなに悪くなかったと実感できたと聞いています。今は、地域のボランティア活動に参加されるまでになったそうです。

――SPARXの日本版をリリースするに当たり、どのような苦悩がありましたか。

 既存の心理ケアとは異なるやり方なので、既存のやり方に傾倒している人からは批判的な目で見られることが多かったです。しかし、私自身が臨床家としてはまだまだ卵です。諸先輩方が言うことを尊重しながら進めました。

 医療系のベンチャーならどういう事業をしていても当てはまると思いますが、いくら新しいものを作るといっても越えてはいけない境界は必ずあります。よく、「医療ベンチャーは中に医療従事者がいないと育たない」という言葉も耳にしますが、それは越えてはいけない境界をきちんと専門家に聞かなくてはいけないということではないでしょうか。その上で改革できるところを切り開いていく必要があると思います。

――オンラインカウンセリング「ココロワークス」も手掛けられていますが、その住み分けはどうなっていますか?

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 ココロワークスは、カウンセリングを必要とする方に対面の代わりとなるものとして提供しています。一方のSPARXは、より敷居の低い心理ケアという位置付けです。今後は法人向けにSPARXとココロワークスをセットで提供しようとも考えています。

 法人に目を付けたのは、理由があります。ストレスチェックを実施していても、産業医との面談には足が向かなかったり、基準点をギリギリ超えないグレーゾーンの人は放置状態になってしまったりしているからです。特にグレーゾーンの人は、ちょっと負荷がかかれば簡単に基準値を超えてしまうリスクが伴います。そういう人達に対して手軽に使ってもらえるツールになればと思っています。

――今後の展望を教えてください。

 もっと日本人が馴染みやすい心理ケアゲームを作りたいと思っています。少し気持ちが落ち込んでいるときというのは、得てして視野が狭くなっているものです。なので、自分が今いる世界の外を見せるだけでも心理状態は変わります。例えば、感動的な光のアートを見せるなど、一度異世界に意識を向かせることでも効果は得られると思います。

 こうした方法は、今までの心理療法の流れや理論を全く使わないかもしれません。でも、結果的に心理ケアの効果が出るならば、それで構わないと思っています。そのためにも、今までにない新しいゲームを作り、その効果をきちんと検証していきたいです。

■変更履歴
記事初出時、HIKARI Lab 代表取締役の清水あやこ氏に関する冒頭の記述に誤りがありました。お詫びして訂正します。記事は修正済みです。