医学生だった僕が「起業とIT」に目覚めたワケ

田澤 雄基氏 慶応義塾大学病院 精神・神経科 医師

2017/03/22 10:00
大下 淳一=日経デジタルヘルス

 医学部発ベンチャーを100社創出する――。

 慶応義塾大学医学部がそんな目標を掲げ、「健康医療ベンチャー大賞」を立ち上げた(関連記事1)。「病院での医療に限らず、医療・健康に貢献するプランを広く募集する」。こんな文言を掲げたコンテストの決勝大会が2017年3月26日に同大学で開催される。

 健康・医療分野のビジネスプランを競うコンテストを大学医学部が主催するという、日本では前例のない取り組み。起業を恐れない文化を医学部に根付かせ、健康・医療のイノベーション創出を支援する狙いがある。

 このコンテストの実行委員長を務めるのが、慶応義塾大学病院 精神・神経科 医師の田澤雄基氏だ。学生時代から医療・健康分野のベンチャーを起業したり、学生主体の医療系アプリ開発コンテスト「AppliCare」を立ち上げたりするなど、医療IT分野の次世代の旗手として注目を集める人物である(関連記事2)。現在は、慶応大学での人工知能(AI)を用いた疾患診断に関する研究のほか、ビジネスパーソン向けクリニックでの診療や、東京都医師会 医療情報検討委員会などの活動にも携わっている。

 医師、研究者、そして起業家。異なる三つの顔を持つ田澤氏に、起業やAppliCareの立ち上げから得たこと、健康医療ベンチャー大賞への取り組み、次世代医療への思いとデジタルヘルスへの期待などについて聞いた。

(聞き手は大下 淳一=日経デジタルヘルス)

慶応義塾大学病院 精神・神経科 医師の田澤雄基氏(写真:加藤康、以下同) 
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――「医療×IT」を活躍の場とされています。この分野に関心を持つようになったきっかけは何だったのですか。

 2008年に(慶応大)医学部に入学した当初は、医療×ITというテーマにそれほど関心があったわけではありません。栃木県益子町の出身なのですが、実家の隣が祖父の産婦人科医院という環境で育ちました。祖父をはじめ親族には医師や薬剤師などの医療従事者が多く、みな臨床よりなんです。そこで私も、将来は臨床に携わるのだろうと漠然と考えていました。イメージにあったのは、産婦人科医や救急医ですね。

 入学から間もない頃、学部1~2年生のときに関心を持ったテーマが2つあります。地域医療と予防です。

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 地域医療については、地域包括ケアの取り組みを佐久総合病院(長野県佐久市)で学ばせてもらったり、離島医療への取り組みを伊豆大島で学ばせてもらったりしました。医療の届かないところにいる人達にどうやって医療を届けるか。そんな問題意識が芽生えたのがその時です。

 伊豆大島ではこんな実情を知りました。若い女性が交通事故にあい、確か骨盤骨折だったと思いますが、重傷を負った。まずは島内の医療機関に運ばれて診察を受けたのですが、撮った画像を診る専門の放射線科医がいない。そこで画像データを本土の放射線科医に送り、読影した結果をレポートしてもらうというプロセスが必要でした。その結果、本土への搬送が必要と判断されたので、ヘリコプターを手配。負傷した女性を搬送しました。結局、その女性が伊豆大島を出るまでにトータルで5時間ほどを要したのです。

 離島は専門医が不足しているうえに、本土と連絡を取ったり患者のデータをやり取りする際の通信インフラの問題があります。個人の診療スキルだけでは解決できない問題がたくさん出てくる。こうした状況を目の当たりにして、これから医師になろうとする自分が、臨床のことだけを考えていてはダメだと感じたんです。ITを含めたインフラを整えないと救えない命がある。そう痛感した体験でした。

 もう1つのテーマ、予防に関心を持ったことも地域医療と関わりがあります。地域の高齢者に接していると、同じ年代でも健康の度合いに大きな差があることを実感します。人間は20代くらいまでは一般に、健康レベルにそれほど大きな差はつきません。ところが40~50代になるとそうではない。健康を特別に損ねるようなことをしたわけではなくても、人によってはがんや若年性認知症といった重い疾患にかかります。“健康偏差値”の差がどんどん広がってくるわけです。

 そして、その要因がよく分からないんです。医学部ですから、生体の仕組みについては多くを学びます。でもその知識は「なぜ年を取っても元気な人がいる一方、若いのに重い病気になる人がいるのか」という疑問には答えてくれないんですね。

 その問いに答えを出すためには、病院の中で取るデータだけでなく、おそらく運動や食事、遺伝子などの要素にも目を向ける必要があります。これらの要素を統合的に解析することで初めて、どうすれば年を取っても病気にならずにいられるかを明らかにできる可能性がある。そしてその手段としてITやビッグデータ、今の言葉で言えばAI(人工知能)ですが、そうしたテクノロジーに興味を持ったんです。

 課題先進国である日本において、健康寿命と実寿命のギャップをどのように埋めていくことができるか。医療×ITへの関心はその問題意識から生まれたものです。

――ITへの関心がもともと強かったというよりも、医療の課題解決に使えるという可能性に着目してITに近づいたのですね。

 ビッグデータという言葉が日本でもよく使われるようになったのは、2009~2010年ごろです。そのコンセプトを知ったとき、医療や健康に対して大きな価値を持つものになるとすぐに感じました。特に、予防や健康寿命延伸という目的にはベストマッチすると。

 医療や健康は今でこそビッグデータやAIの有望な応用先と捉えられていますが、2009~2010年当時、そうした提案はほとんどありませんでした。医療×ITという領域そのものに、医療界の目が向いていなかった。

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 そうであればこそ、ここには可能性があると思いました。プレーヤーがまだいないからこそ、自分にやれることがあると考えたわけです。

 ちょうどこの頃、IT企業や医療コンサルティング企業でインターンシップを経験していました。学部3年、4年と学年は上がっていっても、医学部のカリキュラムではもっぱら教科書に沿った勉強をするだけ。地域に足を運んだり、訪問診療に付き添ったりといった形で現場を学ぶ機会は、ほとんどありません。教科書から学ぶ知識だけでは、地域医療や予防に関する課題解決につながるソリューションは見つからない。そんな思いを抱いたんですね。

 実務経験を積むことが必要ではないか。そう考えて何社かのインターンシップに参加しました。それぞれの企業がどのような課題を医療に見いだし、どのようなソリューションを提供しているかを知ることができた。ITやビッグデータが実社会ですごく可能性を持っていると実感できたのもこの時です。

 実務を経験したことで、起業への抵抗感も薄れました。確たるビジネスプランがあったわけではないのですが、会社を創ろうと考えた。2012年4月、医療ITや予防を事業領域とする「エスティム」を立ち上げました。創業メンバーは私を含む5人です。医学部の同期2人のほか、早稲田大学出身のエンジニアや東京大学出身のデザイナーに加わってもらいました。

 この会社でやりたかったのは、医療に必要なソリューションを“医療の外”に見いだすこと。その経験を自分達だけでなく、多くの医学生に体験してもらいたいと考え、企業にインターンを派遣するなど人材教育にも力を入れました。医師になってからはもっぱら臨床に携わるのだとしても、それまでに“医療の外”の世界を見てきたかどうか、実務を経験したかどうかは、医師としての視野の広さにすごく影響する。そういう気持ちが強くありましたし、その思いは今も変わりません。

――AppliCareもまさにそうした思いから立ち上げたわけですね。

 AppliCareは、エスティムの活動の一環として2013年に立ち上げた企画です。医学に工学、経営、デザインなどの要素を融合し、医療の“内と外”をマッチングする。医療の課題解決に向けたアプリ開発コンテストという形で、会社の理念を具現化したのがAppliCareでした。

 ビジネスコンテストに携わった経験はそれ以前にもあったのですが、もう少し具体性のあるテーマを、と考えた。アプリは学生でも開発に手が届きやすいことに加え、健康や医療、ベンチャーとも相性がいい。いわば医療×ITを象徴する存在であり、コンテストにふさわしいと考えたんです。

 臨床現場のニーズという観点からも、アプリには大きな可能性がある。日々、診療をしている中で把握できる患者のデータにはどうしても偏りがあります。生活習慣病などでは、患者の自己申告に頼る部分も少なくありませんから、その傾向が強い。それに対して、アプリやIoT(Internet of Things)を使えば、患者の日常生活におけるデータが取れます。そうしたデータを診療にうまく生かすことができれば、非常に価値のある情報になるわけです。

 医療・健康アプリの開発コンテストは、今でこそ珍しくありません。でも当時はまだ少なかったですし、サポート企業などがついてオーサライズされた形で開催されるものはほぼ皆無でした。ならば自分達がやろうと考えて、AppliCareを立ち上げたというわけです。

――分野も大学も横断する企画。立ち上げには相当なエネルギーが必要だったと想像します。

 AppliCareの大きな力になったのは、さまざまな立場の人が趣旨に賛同し、協力してくれたことでした。東京女子医科大学や東京医科歯科大学など、他大学の学生が企画に加わってくれましたし、学生だった我々にとって非常に心強かったのは、企業や医療機関のサポートが得られたことでした。日本マイクロソフトや亀田総合病院が協力してくださり、亀田総合病院は泊りがけの見学ツアーの機会まで提供してくれました。

 成果をアプリ、そしてビジネスにつなげるという狙いも実を結んでいます。私が代表を務めた第1回AppliCare(2013年開催)で優勝した服薬管理アプリ「flixy」や、第2回で準優勝した「オストメイトなび」はその後、事業化されました。コンテスト終了後、主催者の我々が必ずしもきっちりサポートし続けられたわけではないのですが、各チームが主体的に事業として継続できる形に育ててくれたわけです。

 AppliCareでは、こうしたコンテストを数年にわたり続けることができました。違う分野の人間と協力し、手を動かして具体的な成果につなげる。そういう経験を多くの学生に味わってもらえたことは、本当に良かった。サポートして頂いた企業や医療機関の皆さんも喜んでくださり、医療の内と外をマッチングするというコンセプトが、実社会でも強く求められていると実感できました。

 この取り組みを通じて学んだのは、医療において最も大切なのは「人」だということです。医師は、どちらかといえば個人プレーヤーの要素が強い職業です。対してAppliCareは、チームで成果を挙げることを競うイベントでした。私を含めて多くの学生が「自分1人でできることなんて、限られているんだな」と感じたはず。医療の現場に立つ前にそういう体験をしたことは、参加者の大きな糧になったと思います。

――田澤さんはその後、エスティム社を売却し、2014年から研修医として慶応大病院に勤務します。健康医療ベンチャー大賞との関わりはどのように生まれたのですか。

 2015年に(再生医学分野などで著名な)岡野栄之先生が慶応大医学部長に就任されました。先生が主導する形で2016年4月に医学部に立ち上げたのが、「知財・産業連携タスクフォース」です。そのコンセプトは、医学部の機能を従来よりも広げ、他分野のソリューションを活用しながら社会課題にアプローチすること。そこに向けた産業創成やサービス創出にも貢献する狙いがあります。

 医学部眼科学教授の坪田一男先生がタスクフォース委員長をお務めなのですが、ご子息の坪田康佑さんと私にご縁があったんです。康佑さんも慶応大出身。ビジネスコンテストで受賞されたり、「どこでもクリニック」という移動型クリニックを私の地元、栃木県益子で立ち上げられたりしていたこともあり、知り合いでした。それで、親子でタスクフォースについて話している時、私の名前が出たらしいんです。

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 健康医療ベンチャー大賞は医療・健康分野のビジネスプランを競うコンテストで、知財・産業連携タスクフォースの柱になる取り組みです。坪田先生とディスカッションのうえ、私が実務を担当する形で立ち上げることになりました。社会人部門と学生部門を設け、優勝チームには賞金の授与や海外医療イノベーション拠点の視察、複数分野の専門家によるメンタリングなどの機会を提供します。ベンチャーの育成を支援し、起業の文化を医学部に醸成していくことが企画の狙いです。

 ベンチャー育成を目的としたコンテストを大学医学部が主催するという試みは、おそらく日本初。AppliCareの立ち上げに携わった自分が、母校が主催する同様のイベントに関わることになるとは思いませんでしたね。

 幅広くプランを募り、2月に応募を締め切りました。テーマを医療ITに限定したわけでは全くないのですが、ふたを開けて見るとAIやIoT、遠隔医療などに関わる提案が多かったです。社会人部門と学生部門のそれぞれについて、既に書類審査で5チームずつに絞っており、3月26日に決勝大会を開きます。

 医学部主催ですが、慶応全体がバックアップするイベントでもあります。決勝大会の審査員には医学部だけでなく、経済学部や環境情報学部、ビジネススクールの先生方も名を連ねています。医療の課題解決につながるソリューションは多くの場合、“医療の外”にある。そういう思いを全学で共有しているわけです。

――医師としての現在の仕事について、お聞かせください。

 初期研修を終え、2016年に慶応大医学部 精神・神経科の研究室(領域横断イノベーション精神医学研究室)に入りました。予防というテーマに関心が向いた結果、それを生かせる余地の大きい疾患領域として精神科・内科に魅力を感じたんです。

 研究室では岸本(泰士郎)先生をリーダーとするプロジェクトで、AIを活用した疾患診断に関する研究に取り組んでいます(関連記事3)。AIに加えてウエアラブル端末なども活用し、運動や睡眠状態を含む生体データを取得することで、精神科・内科の疾患診断に生かそうという試みです。ビッグデータやIoT、AIといったキーワードを耳にした時分に、こういうことができるのではないかと想像したコンセプト。今は研究という形でそこに向き合っています。

 並行して2016年5月に、ビジネスパーソン向けのクリニックを立ち上げました。夜間診療専門のクリニックで、診療時間は平日18時から22時。院長として、診察日を含め週に2~3日は足を運んでいます。

 学部時代に、医療が届かない人達への医療提供に関心を持ったとお話ししました。都会で働くビジネスパーソンは、地域医療とは異なる側面、つまり地理的な制約ではなく時間的な制約から医療の届かない人達です。昼間は仕事で忙しく、通院時間を確保することが難しい。そんな人達にも医療を届けたいと考え、このクリニックを立ち上げました。

 クリニックの中心となるコンセプトは予防です。スマートフォンから診察を予約できるようにするなどITも活用しつつ、生活習慣病の重症化予防などに重点を置いた医療を提供しています。

――臨床の現場に立った今、「医療×IT」のこれからの可能性をどのように見ていますか。

 医療現場では、これまで積み重ねられてきた蓄積というものが非常に大きい。日々そう実感させられています。もちろん、安全性が厳しく問われる現場でもある。ですからITの活用については、大きな可能性がある一方でハードルも少なくないと感じています。

 遠隔診療を例にとりましょう。この仕組みを導入することが、患者や医療従事者に本当に利益をもたらすのか、つまり医療機関のオペレーションや収益性、安全性などの観点からどのように評価できるのか。クリニックの運営に携わる立場からは、それをきちんと見極めなくてはなりません。

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 診療報酬が付いていくのかどうかといったことを含め、社会全体でどのようなコンセンサスが形成されていくのか。新しいテクノロジーを医療現場で活用するに当たっては、技術的側面だけでなく、そうした制度や規制面を含むいくつものピースが複雑に絡み合う。時間がかかっても、それを1つずつ解きほぐしていく粘り強さが求められるのではないでしょうか。

 「誰もが、最後の瞬間まで健康で文化的に生きられる世の中を作る」。我々のクリニックはこんな理念を掲げています。臨床、経営、そして研究。その時々で実現手段は変わるかもしれませんが、このテーマを追求したいという思いはこれからも変わらないでしょう。

 本当に求められている“医療の価値”とは何か。それを実現するにはどのような手段が必要か。日々患者と向き合いながらそれを考え続けることが、自分のこれからの仕事だと考えています。

■変更履歴
記事初出時の1ページ目のサブタイトルと写真の田澤氏の肩書き、および6ページ目第3段落の記載の一部を改めました。