エイベックスが“線虫でがん診断”を支援するワケ

保屋松靖人氏 AVEX&HIROTSU BIO EMPOWER 代表

2019/01/22 17:00
伊藤 瑳恵=日経デジタルヘルス

 1滴の尿を使ってがんを早期に検出する。「線虫」と呼ばれる生物を使った新しいがん検査法「N-NOSE」の実用化を目指しているHIROTSUバイオサイエンスが、エイベックスと手を組んだ――(関連記事12)。

 そんなニュースが発表されたのは、2018年6月のことだった。一見畑違いの2社が、合同会社 AVEX&HIROTSU BIO EMPOWERを立ち上げた。

 エイベックスといえば、言わずと知れた大手エンターテインメント企業である。現に、AVEX&HIROTSU BIO EMPOWER 代表を務める保屋松靖人氏は、20年来TRFやAAAなどのアーティストのマネジメントに携わってきた。

 音楽活動やテレビ出演、書籍の執筆などを通じて、アーティストの価値を最大限にする仕事をしてきた保屋松氏が、なぜ“線虫でがん診断”に目を付けたのか。同氏に聞いた。

AVEX&HIROTSU BIO EMPOWER 代表の保屋松靖人氏(写真:皆木優子、以下同)
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――なぜ合同会社を立ち上げることになったのですか。

 5年前に息子が小児がんと診断されました。治療の甲斐あって、今は学校に通えるほど元気になりましたが、息子の病気は私にとってすごく大きな出来事でした。

 20年近く前にエイベックスに入社して以来、人に勇気や元気を与えるエンターテインメントを仕事にしてきました。息子や小児がんと闘う子ども達の姿を目の当たりにし、この子達に自分が生業としてきたエンターテインメントを通じて何かできることはないのか――。そんな風に思いを巡らせる日々でした。

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 そんな時、息子が入院する病棟で、当時マネジメントを担当していたアーティストのファンの女の子と出会いました。抗がん剤治療をしていた彼女に喜んでもらいたいと思い、「早く病気を治して、コンサートを見に来てね」というアーティストのメッセージ入りサイン色紙を渡すことにしたのです。すると後日、女の子の母親が「治療が辛いと泣いていた娘が、積極的に治療に取り組むようになってくれた」という御礼の手紙を送ってくれたのです。

 たった1枚の色紙が、女の子の治療に対する気持ちを変えたわけです。それまでは、ヒット曲を生み出したり人気者にしたりすることを目的にアーティストのマネジメントを行っていましたが、エンターテインメントやアーティストの存在意義はほかにもある。そんなことを強く実感しました。

 その存在価値を形にできないかと模索していた際に、HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役の広津崇亮氏と出会いました。広津氏が開発しているN-NOSEは、1滴の尿でステージ0やステージⅠの早期がんを精度良く検出することができます。痛みもなく、簡便で体に負担もかかりません。

 この検査はもしかしたら全ての子ども達が受けられる検査になるかもしれない。手軽に受けられる優れた検査が広まれば、必ずや若い人や子供たちもがん検診を受ける世の中になるだろう――。

 そんな思いから、ぜひN-NOSEを広める手伝いをしたいと考え、合同会社を設立することにしました。

――エンターテインメントを活用して、どのようにN-NOSEを普及させるのですか。

 合同会社では、まず日本国内のがん検診率を上げるための啓発活動とN-NOSEの普及に向けた活動を行いたいと思っています。

 エイベックスには、若年層に支持されているアーティストやタレントがたくさんいます。好きなアーティストががんの早期発見の重要性をSNSやイベントを通じて訴えることで、特に若い人の意識が変わってくれることを期待しています。

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 ただし、いくら早期診断が重要と訴えても、有用な検査方法がなくては受診してもらえません。わずか尿1滴で手軽に受けられる、しかも安価で高精度な検査法であるN-NOSEは、まさにうってつけの存在でした。

 日本では毎年2000~2500人が小児がんと診断されています。決して少ないとは言えません。しかし、多くの親はまさか自分の子どもががんになるとは思わず、日本には若年層ががん検診を受ける習慣はありません。

 私も息子の病気が分かったとき、「なんでもっと早く見つけることができなかったのか…」と後悔の念に駆られました。そんな苦しみを味わう人を一人でも減らせるように、エンターテインメントを通じて訴えていければと思っています。

――“裏方”としてアーティストを支える保屋松さんが、エンターテインメントの力を感じたエピソードを教えてください。

 私自身が人前に出て、人に元気や勇気を与えることは難しいです。しかし、自分が支えているアーティストが、何千人、何万人の前で歌ったり踊ったりすることで、目の前のお客さんが笑顔になってくれる――。これまで幾度となく目にしてきたその光景が、マネジメントをする者のやりがいを象徴していると思います。

 特に私の心に残っているのは、担当していたアーティスト宛てに届いた一通のファンレターです。そこには、「会社が倒産して自ら命を絶つことも考えたけれど、娘と一緒に行ったコンサートで勇気をもらい、もう一度がんばろうという気持ちになりました」と書かれていました。

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 命を絶つことを考えた人を、たった2時間のコンサートで「生きよう」と心変わりさせることができる。そんなエンターテインメントの力を強く感じた、忘れることのないエピソードです。

 一見畑違いに思えるかもしれませんが、合同会社で行う事業は、今までのマネジメント業務の延長線上にあると思っているのです。私にとって広津氏は“アーティスト”であり、N-NOSEは“作品”です。N-NOSEという作品を広める手伝いをするという意味では、エイベックスで行っていた業務と本質は変わらないと考えています。

――がんを治療している子ども達を支援する事業も行われると伺いました。

 小児がんにかかると、治療費などの問題で金銭的に大きな負担を強いられます。例えば、日本では手の打ちようがないけれど、海外では治療の選択肢がある場合もありますが、数千万~数億円の費用がかかってしまいます。寄付を募ってどうにか治療を受けさせようと奮闘したり、お金が用意できずに途方に暮れたりする親御さんがいっぱいいるのです。

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 そんな小児がんの子ども達やその家族を支援したいと考え、一般社団法人 Empower Childrenを立ち上げました。Empower Childrenの運営は当合同会社が行っており、小児がんの子どもとその家族へ金銭的援助をします。

 さらに、Empower Childrenでは、小児がんの子どもの精神的ストレスを軽減するための活動も行います。治療ではなく、心を癒やすためにエンターテインメントを活用できたらと考えています。

 小児がんにかかると、治療によっては1年以上病院から出られない子どももいます。長期の入院は大きな精神的ストレスがかかります。治療を嫌がる子どもも少なくありません。

 そうした子ども達に実際にコンサートに来てもらうことは難しけれど、例えば病室にアーティストが訪問したり、VRやARを活用して病室のベッドにいながら、コンサート会場にいるような臨場感を味わってもらったりすることはできるかもしれない。そんなわくわくするような支援の仕方を検討しています。

――今後の展望を教えてください。

 いずれは、N-NOSEの検査を小中学生に義務化したいと考えています。検査に必要なのは尿だけなので、健康診断で行っている尿検査の項目に加えるだけで良いわけです。これによって、小児がんで亡くなる子どもを減らしたいと思っています。

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 もちろん、アーティストのマネジメントとのシナジーも大切にしたいです。特に近年、アーティストが音楽だけで活動を継続していくことが難しくなってきています。いくら素晴らしい作品を世の中に出しても、アーティストの人となりに共感できなければ、ファンはなかなか増えていきません。

 一方で、アーティストの訴えるメッセージに共感してもらえれば、コンサートに来てもらえたりグッズを購入してもらえたりとファンのロイヤリティを高めることができます。合同会社で行う事業を通じて、アーティストの思いがより多くの人に伝われば、新しいファンを獲得するなどして、アーティストとしての活動もより長く続けられるようになると思っています。

 また、がん検診の啓発活動に関しては、より多くの人に知ってもらいたいと思っているので、エイベックス所属のアーティストだけでなく、他のプロダクションやレコードメーカーにも協力を仰ぎたいと思っています。そうすることで、がんで苦しむ人や命を落とす人が一人でも少なくなる世の中にできればと思います。