「さらば福祉大国」、PHR先進国を目指すオランダ

“国王肝いり”のプロジェクト始動

2017/04/04 10:30
大下 淳一=日経デジタルヘルス

 多くの福祉大国を育んできた欧州で、“自助努力による健康長寿国家”への大転換が始まった。そのさなかにあるのが、オランダだ。国王の肝いり、国を挙げたPHR(personal health record)推進プロジェクトが2016年に立ち上がった。全国民の参加を目指すプロジェクトの全容とは――。

講演する遊間氏
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 国際社会経済研究所(IISE)が2016年3月21日に東京都内で開催した「IoT・AI時代の健康寿命延伸」と題するシンポジウム。登壇した同社 情報社会研究部の遊間和子氏は「オランダにおけるPHRを中心とした健康寿命延伸への取り組み」と題し、同国がデジタルヘルス分野に力を入れる背景やPHR推進プロジェクトについて語った。

 オランダは日本の九州とほぼ同じ面積の国土に、1700万人が暮らす。人口密度が高く、高齢化率は2015年時点で18.2%である。2013年に新国王が即位。即位後の議会演説で「従来型の福祉国家は終わった」と発言し、国民が健康増進への自助努力をする「参加型社会」への転換を打ち出した。

 この背景には、オランダの財政悪化があると遊間氏は指摘する。経済の伸び悩みから大規模な歳出削減へ舵を切り、ヘルスケア分野でもより効率的で効果的な政策運営へと転換した。これを受けて予防に比重を置いたICT活用型の医療・健康基盤、いわゆるeHealthへの取り組みが強化された。

 全土で進むスマート化の動きもこれを後押しする。通信事業者大手のKPNが2016年、IoT向け低電力長距離通信「LoRa」をオランダ全土に導入。サイバーセキュリティーの産業クラスターがハーグに形成されるなど、ヘルスケア分野で重要なセキュリティー技術の基盤も同国にはある。

自分好みのPHRが選べる

 オランダにおける医療制度の水準は、欧州有数の高さを誇る。医療保険制度は、民間保険会社が国の規定で定められた水準の保険を提供する形の国民皆保険だ。

 eHealthに関しては、日本の厚生労働省に当たる保健・福祉・スポーツ省(VWS)が、2019年末までの目標として次の3つを打ち出した。(1)慢性疾患患者の80%、それ以外の国民については40%が、自分自身の医療記録にオンラインアクセス可能となる(2)慢性疾患患者や虚弱高齢者の75%が血圧やコレステロール値を自己測定し、それらのデータを医療サービス提供者と共有する(3)在宅ケア利用者は、遠隔介護によりヘルスケアサービス提供者と24時間コンタクトできる。

 ここに向けて、機関内における専門家のためのデータ利用(EHR)、機関同士の電子的な情報交換(HIE)、患者と専門家の間での電子的な情報交換(PHR)、という3つのレベルでeHealthの取り組みが進行中。このうちEHRとHIEはほぼすべての関連機関が対応するほどに整備が進んでおり、これからPHRの整備が始まる段階にある。

 その具体的な取り組みとして2016年に立ち上がったのがPHR推進プロジェクト「MedMij(メッドマイ)」だ。VWSと国立医療ICT研究所Nictiz、患者連盟NPCFの3者を中心に、民間保険会社やヘルスケアサービス事業者も参加。PHRの技術仕様やプライバシー保護、相互運用性、経済的仕組みなどを含め、ヘルスケア情報を持続的に交換できる環境を整備する。

 MedMijのユニークな点は「市民や患者が自分好みのPHRを複数の選択肢から選べる」(遊間氏)こと。既に独自のPHRプラットフォームを提供している民間事業者に対して、MedMij基準への準拠を依頼してこれを実現する。参加するPHRプラットフォーム事業者にとっては「顧客を囲い込めない点はマイナスだが、相互運用によってパイが広がる」(同氏)メリットがある。

 MedMijプロジェクトは2017年2月、PHRが全土に広く普及した場合のコスト・ベネフィット分析の結果を公表した。民間からの投資を促すために、PHRが健全なビジネスになり得ることを示すのがその狙いだ。分析によれば、オランダ全人口の60%がPHRに参加すると仮定した場合、導入から10年目に初期投資の10倍のリターンが期待されるという。

「デジタル化の戸惑いは日本と同じ」

 地域レベルでのPHRの実証実験も、既に始まった。オランダは各地域で最も多くの保険契約数を持つ民間保険会社が、その地域全体の医療・介護の運営を担うというユニークな仕組みを採用している。PHRの実証実験でも、民間保険会社がプロジェクト資金を拠出。Nijkerk(ナイケルク)地域では、糖尿病などの慢性疾患患者を対象に、血糖値などの自己測定結果やウエアラブルデバイスで取得したデータをPHRに記録する実証実験が進んでいる。

 遊間氏はこのほか、同国のヘルスケアベンチャーや看護・介護組織による特徴ある取り組みを紹介。前者では、健康に良い行動をするとデジタル通貨「ヘルスコイン」を獲得できるというヘルスコイン社のサービス、後者では認知症患者向けのスマートハウス「Dementiehuis(認知症ハウス)」を挙げた。認知症ハウスは、IoTの仕組みを室内に張り巡らせ、認知症患者の自立的生活を支援するものだ。

 「ヘルスケア分野のデジタル化への“戸惑い”はオランダも同じ」。遊間氏はこう話す。それでも「銀行も旅行も今やデジタル化が当たり前。重要なのは“慣れ”で、(ヘルスケア分野のデジタル化も)時間の問題」という前向きな空気が同国にはあるという。