気まぐれな自然に泣く海のスポーツ、救いの手はIoT

ICTが彩るウインドサーフィンW杯(上)

2018/06/07 05:00

今井拓司=ライター

(写真:Professional Windsurfers Association)
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 体重100kg級の巨漢が時速50kmを超えるスピードで雪崩を打って突っ込んでくる。吹き飛ばされそうな風に、目一杯張り詰めたセール。凸凹とうねる海面に暴れ続けるボード。巨大な道具を手なづけ、ねじ伏せ、居並ぶ強敵とブイの隙間をかいくぐって頭一つ抜けた選手が栄冠に近づく。

 ウインドサーフィンのスラローム競技は、風下に向かって浮かぶいくつものブイを巡り、いち早くゴールを切った者が勝つ。その魅力は自然のパワーを意のままに操り、誰にも負けない速さを競う熾烈な先陣争いにある。しかも世界のトッププロの真剣勝負となれば、迫力は桁違いだ。

 2018年5月10~15日、神奈川県横須賀市で「ANAウインドサーフィンワールドカップ」が開かれた。2017年の前回大会より風に恵まれ、スラローム競技は男女1レースずつ、今年から新設されたフォイル競技は4レースが成立した。横須賀市によれば、会場に足を運んだ人数は6日間合計で約4万9000人。約3万3000人だった前回を大きく超え、目標に掲げた4万人も余裕で上回った。

横須賀市・津久井浜に集まった観戦客
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 詰め掛けた観衆を大いに沸かせたのが、情報通信技術(ICT)の活用である。もちろん、現実の選手や大勢のファンとの間で、激戦が繰り広げられる空間と時間を共有するのは、技術そのものからは得難い体験だ。あくまで情報通信の本分は、感動を何倍にも増幅することにある。ただし今回の大会では、気象に左右されるスポーツならではの苦しい事情があった。

競技の現場は「遠い沖合」

 日本国内で24年ぶりに開かれたワールドカップだった2017年の前回大会からは、「観るスポーツ」としてのウインドサーフィンの難しさが浮かび上がった。熱戦が展開する海面を、観戦者が集う海岸から遠く離れた沖合に設定せざるを得ないのだ。浜からは、競争の細部がよく見えない。レースの条件である安定した風速や風向を得る代わりに、競技の醍醐味が削がれてしまうわけである。

レース海面は遠く
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 この矛盾を解消しようと、開発途上の技術が会場の津久井浜に集結した。中でも先進的な取り組みが、選手に取り付けたセンサーで刻一刻と変わるレースの現状を仮想空間で可視化する試みである。富士通などが開発したセンサー端末とデータを集めるクラウド、スマートフォン向けアプリから成るIoT(Internet of Things)システムで実現した。

三次元CGと映像が相互に補完

 スマホのアプリ「GULLCAST」の画面に現れるのは、3D(三次元)CGが描き出す仮想のレース海面である。レースが始まると、各選手に対応したウインドサーフィンの画像が、海上での激戦さながら猛スピードで入り乱れる。ユーザーは画像に付けられた選手名と速度表示を手がかりに、自由自在に視点を切り替え、能動的にレース状況を把握できる仕組みだ。

 画面には洋上の本部艇から選手に指示を出す信号旗も表示した。競技に馴染みのない観客にも、ルールをわかりやすく伝える試みである。

仮想の海面上をウインドサーフィンが疾走(画像:富士通などが開発したiOS向けアプリ「GULLCAST」の画面をキャプチャー)
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トップを走る選手が4つ目のブイ(M4)を回り込む(画像:富士通などが開発したiOS向けアプリ「GULLCAST」の画面をキャプチャー)
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 大会当日は、ブイを取り巻く船上や洋上を飛ぶドローンなどからの実況映像も、観戦会場の大型スクリーンやインターネット経由で流された。選手のアクションを堪能するには格好の手段だ。ただし、目まぐるしく変わる順位や位置関係をつかむには映像だけでは辛い。そこでアプリに出番が回る。

会場の大型スクリーンで観戦
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 実際、現地からの実況中継では、映像の片隅にアプリの画面を常に配し、時折表示を切り替えては、アプリ画像を全面に写して展開を解説した。映像からは判別しづらい、どこにいるのが誰かを確認するためなどだ。IoTシステムの実力は、結果の判定にも生かされた。選手やブイの位置をGPSのデータでリアルタイムに把握できるため、運営者の判断よりも早く順位を確定できた。

動画とアプリを組み合わせて中継
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大画面にアプリも表示
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レース中にセンサー落下も

 実は今回のIoTシステムは、日を追うごとに改良が続けられていた。開発を主導した富士通にとって、ぶっつけ本番での運用だったからだ。そもそも多くのIoTシステムが直面するように、実世界の事象をきれいに反映するデータの獲得さえ一筋縄ではいかなかった。開発チームは次々に浮上する想定外の課題を、一つ一つつぶしていった。

 最初の関門は、センサー端末の取り付け位置である。当初はウインドサーフィンのセールを支えるマストに取り付ける想定だった。この発想に、ワールドカップを運営するProfessional Windsurfers Association (PWA)が難色を示した。レースに臨む選手は、サイズの違うセールをあらかじめ何枚も張り、その時のコンディションに合わせて適切なものを選ぶ。緊迫したレースの合間に、セールを変えるたびセンサー端末を付け替えるのは現実的ではない。

 そこで富士通は、選手が身につけるウエストポーチに端末を入れるという選択肢を用意した。ここでも一苦労あった。最初に選んだポーチを、開発の中心人物で、自らもウインドサーフィンのレース競技者である富士通 デジタルフロント事業本部 スポーツビジネス開発部の横井愼也氏が、実際にウインドサーフィン中に使ってみた。

 これがどうもしっくりこない。横井氏らは、装着しても違和感の少ないポーチを探し出し、ワールドカップ直前のゴールデンウイーク中に、ネット通販サイトをいくつも当たってなんとか確保する。その数およそ120。総勢100名近い参加選手の全員に、余裕を持っていきわたるようにした。

センサー端末はウエストポーチに
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 会期中はポーチを利用した選手がほとんどだったようだ。ある選手はレース中にポーチのチャックが空いて、端末を海中に落としてしまった。風下に流されつつ、しばらく位置を発信していた端末は、いつしか管理用のパソコン画面から見えなくなり、東京湾のどこかへ姿を消した。

朝5時からセンサーを取り外す

選手にセンサー端末を配る
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 大会が始まると、10名を超える富士通のメンバーが会場に常駐し、選手への端末の受け渡しや回収などを担当した。端末の電池は11時間ほどしか持たず、毎日充電する必要があったからだ。競技中に電池が切れないように、レース開始直前の朝早くから作業に取り掛かる。

 選手用のセンサー端末は100台、ブイなどの位置や風向・風速を検知するための環境センサーは30台。防水用に密封したケースを開けて電池を取り出し、一つ一つ充電器に取り付けるのはかなりの手間だ。

電池は密閉された容器の中に
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 電池の持続時間が限られる大きな理由は、端末が常にデータを送信し続けていることにある。GPSによる位置データを、1秒に1回、LTE通信でクラウドに送る。加えて端末には9軸(加速度、角速度、地磁気)センサーも組み込まれ、0.2秒に1回、データを送信していた。セールの角度などを検出するセンサーだが、選手がウエストポーチに入れて使うとなると、役に立つデータを集めるのが難しい(関連記事)。このセンサーは大会3日目に端末から取り外された。早朝4時に決断が下されると、メンバーがかき集められ、5時ごろ作業に着手した。

取り外された9軸センサーの基板
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 センサーの取り外しを言い出したのは、一晩頭を悩ませた横井氏である。コンディションが整って初めてレースが開かれた大会2日目、一部のセンサー端末が思ったように動かなかった。正常な位置データを獲得できたのはセンサー端末の7~8割。それ以外はどこかに問題があるはずだった。

 横井氏は、大会直前に別メーカーの製品から切り替えた9軸センサーが何らかの悪影響を及ぼしていると結論づけ、上司の安達卓志氏(富士通 デジタルフロント事業本部 スポーツビジネス開発部マネージャー)に相談を持ちかける。選手の負担を減らすために端末は1gでも軽い方がいいと考えた安達氏は、横井氏の提案に許可を出した。

会場に張り付いた富士通らのメンバー。右端が安達氏、その前列左に横井氏。
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 実際、会場の選手からは、大ぶりなセンサー端末をなぜ身に付けなければならないのかといぶかる声が漏れていた。ウインドサーフィンの練習では時計型のGPS端末などを使って自分の速度や航跡を調べることがよくある。それと比べて富士通の端末は65mm×40mm×115mmと大きく、198gと重い。身動きの邪魔になるポーチも、できれば外したい。本当にそうした選手もいる。安達氏によれば、上位に入りさえすればいい予選はともかく、順位が確定する決勝戦ではセンサー端末をつけていない選手が目立ったという。

 現在富士通は、小型・軽量化を進めた次世代のセンサー端末を開発中だ。それでも79mm×28mm×125mmで187gと一回り小さくなる程度である。選手が気にせず利用できるほどになるまで、まだまだ改良が続きそうだ。

スマホアプリも日々改善

 スマホ向けアプリにも日々改善を施した。レース初日には、仮想空間を走り回るウインドサーフィン画像が、後にひく航跡の線が錯綜して見にくいとの指摘があった。これを受けて、航跡が残る時間を30秒までと短縮し、見栄えをよくした。アプリの使い方がわからないとの声に応じて、横井氏自らが実況中継に登場し、操作方法を説明する一幕もあった。

 まだ開発途上の機能もある。仮想空間中の「カメラ」をドローンと同様に操作して視点を動かすモードだ。操作に慣れが必要なのか、中継中に視点を変えようとして、すんなりいかないシーンもあった。

右下がドローンモードのアプリ画面。矢印を押すことで、仮想的なカメラの位置を、あたかもドローンを操るかのように操作できる
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 富士通がアプリの開発を依頼したのは、ベンチャー企業のタイムカプセルである。スポーツ関連のアプリの制作を得意とし、横須賀市にも拠点があることからパートナーに選んだ。航跡の短縮といった仕様の変更を即座にアプリに反映するなど、機動的に対処してくれたという。

(中)に続く