“知”の言語化と汎用化、「熟達者AI」のスポーツ変革

「スポーツアナリティクスジャパン2017」から(6)

2018/04/02 05:00

久我 智也

様々な分野での活用が進むAI(人工知能)。スポーツ界においても例外ではないが、その多くは、選手のプレーなど目に見えるものをデータとして扱うものである。そうした中、より人の内面に迫り、「アスリートの知」をAIによって可視化するという試みが行なわれている。取り組んでいるのは製造業や農業、教育、そしてスポーツ分野に向けてAIを用いたサービスを提供しているLIGHTzという企業だ。同社の代表取締役社長である乙部信吾氏が、B.LEAGUE公認アナリスト/WOWOW NBAアナリストの佐々木クリス氏とともに「スポーツアナリティクスジャパン2017(以下、SAJ2017)」(主催:日本スポーツアナリスト協会、2017年12月2日)に登壇。「人間の思考の可視化」の方法と、それがスポーツにどのような影響を与えるかについて語った。その要旨を紹介する。

思考の可視化で知をパッケージング化

 LIGHTzが手がけるAIは「Expertized(熟達者)AI」と呼ばれるものだ。このAIは熟達者の思考をAIに取り入れ、“汎知化(はんちか)”する、つまり人の知をパッケージング化する。一流のアスリートや職人がどのような思考をたどってプレーをするか、ものづくりに取り組むかを可視化し、それによって熟達者たちの知を後世に伝えていくことを目指している。

 一般的なAIとは異なるアプローチで元になる情報を収集しているため、その作り方も独特だ。乙部氏は次のように説明する。

「一般的なAIは、統計処理や数学的なアルゴリズムを組み合わせて、人間の知能のように動くものとして作り上げていきます。しかし私たちの場合、熟達者にヒアリングを行い、繰り出される言語をAIの中に入れ込んで思考を人工化するというアプローチをとっています。他のAIとは違って、人を起点にして作り上げているのです」

LIGHTz 代表取締役社長の乙部信吾氏。キヤノンを経て、コンサルティングファームのO2に入社。LIGHTzの設立により、2016年から現職。「熟達者の視点」の人工知能化に挑んでいる
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 ヒアリングで出てきた言葉を収集・解析し、それを「ブレインモデル」と呼ばれる図に落とし込む。そうすることで、ある結果にたどり着くまでに熟達者がどのようなことを考え、どのような基準に則って判断をしているのか、その思考回路が分かるようになるのだという。

「ブレインモデルは、思考の構造を示す言語のネットワークです。2016年のSAJでは、バレーボールの元日本代表選手である杉山祥子さんにご協力頂き、彼女がブロード(平行移動)攻撃する際の思考回路を作りました。緑の円が動作を、赤が思考を、ピンクが判断を表しています。最終的なスパイクのコースを判断するために、同時にこれだけの思考や判断、動作をしていかなくてはならないのです。

 こうしたことを、ヒアリングを通して抽出していくわけですが、その際、“私にもわかるように説明してください”、“ロジカルに説明してください”ということは言いません。あくまでも、あることに関係しているものは何か、ということだけを聞いていきます」

人間を成長させるためのAI

 熟達者の知をパッケージング化したAIは、次世代のアスリートに対して気づきを与え、学びを醸成する効果があると、乙部氏は話す。

「我々は、茨城県にある全寮制の女子中学サッカーアカデミー・小美玉フットボールアカデミーと提携してAIの開発をしているのですが、選手たちにどのようなAIが欲しいかと聞いたところ、“澤穂希さんのAIが欲しい”と言われました。澤穂希さんのAIからアドバイスをもらったり、自分のプレーの直すべき部分を教えてもらったり、サッカーノートを書く手伝いをしてもらいたいというのです。

 そこで我々は、彼女たちの要望をヒントに“質問に大人の回答をするAI”を作りました。例えば “ドリブルのバリエーションを教えてほしい”という質問を投げかけると、AIは“フェイントは相手を抜くための動作ではなく、相手の守備意識を確認するための手段と考えたことはありますか?”、“ドリブルは横の変化だけではなく、スピードの変化も大切。そういうことは意識したことがある?”というように、質問に対してダイレクトに答えず、逆に質問で返します。単純に回答をするのではなく、彼女たちに気づきを与えるのです。

 熟達者の方々は、こちらからの質問に対して、その質問をおうむ返しで返して来ることがよくあります。おうむ返しをすることで新たな視座を与え、相手の成長曲線を加味しながらアドバイスをすることにつながるんです」

 目の前の壁を乗り越えるだけであれば、シンプルに答えだけを教えればよいだろう。しかし、それでは人間の成長の幅を狭めることにもなってしまう。人間に考える余地を与えることで、人間を成長させる。それが、この熟達者AIの役割であるのだ。

「普通ならつながることはできないレジェンドと、育成年代の子供たちがAIというテクノロジーを介してつながる。これは非常に大きなインパクトがあるのではないか」と乙部氏
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アスリートの見えざる可能性を顕在化

 講演の後半では、もう1人の登壇者である佐々木氏のブレインモデルを作成し、それをバスケットボールをプレーする中学生に見せるとどのようなことが起こるのか、という試みが紹介された。

B.LEAGUE公認アナリスト/WOWOW NBAアナリストの佐々木クリス氏。現役時代には千葉ジェッツや東京サンレーヴスなどでプレー。現役引退後からNBAアナリストとして解説を始める。2017-18シーズンよりB.LEAGUE公認アナリストに就任。データを駆使した分かりやすい解説には定評がある
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「我々はまず、佐々木さんが試合を解説した際のコメントを分析していきました。それを見てみると、戦局の変化や試合状況の説明といったことはもちろん、記録やルールに関する客観的な情報、プレーヤー経験と事前の取材に基づく主観的な情報を織り交ぜ、巨視的と微視的、その両方の情報を余さず紹介していることが分かります。そして、佐々木さんのコメントから特徴的な部分を抽出してブレインモデルを作成しました」(乙部氏)

「バスケットボールは2つのチームが必ず同じ回数攻撃する競技です。そこで相手を上回るためには数的優位を作ることが必要です。“ピック&ロール”はそれをもっとも作りやすい連携戦術で、非常に重要です。その他のものも、現代バスケットボールにおける重要なキーワードです」(佐々木氏)

 このブレインモデルをバスケットボール経験1年半の14歳の少年に見せて大事だと思うキーワードを選択してもらったところ、「オフェンスリバウンド」「得点効率」「シュートバランス」という3つを抜き出したという。こうしたワードを選択した彼について、佐々木氏は「センスを感じる」と評価した。

「バスケットボールは相手よりも効率よく得点を獲るゲームですので、得点効率はとても重要なキーワードです。オフェンスリバウンドとシュートバランスも、得点効率を高めるためにはなくてはならないもの。14歳という年齢で競技の特性を理解していることは素晴らしいと思います」(佐々木氏)

 言葉に触れ、言葉を選択することで、プレーだけでは見えないアスリートの可能性を顕在化させる。熟達者AIにはそうした効果もあるのだろう。

佐々木氏のブレインモデルから特徴的なキーワードを抽出した図。現代バスケットボールには欠かすことができないキーワードが並んでいる
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AIでスポーツ中継の可能性広がる

 講演の最後に、熟達者AIがメディアに与える影響について紹介がなされた。

「佐々木さんがNBAの解説をしているWOWOWの放送プロデューサーの方に、AIに期待することを伺いました。1つは“佐々木クリスの有能アシスタントになり得る”ということです。佐々木さんは解説に臨む際、非常に入念な準備をされています。その分、中継スタッフは佐々木さんに頼りがちになってしまうそうなのですが、そこをAIがやってくれるのであれば人間の負担を減らす効果もあるのではないか、ということでした。

 2つめは“解説者への寄せの指示”をできるということです。例えばワンサイドゲームなどの場合、どうしても解説者のコメントに偏りが出てしまうそうです。そうした状況に陥った際、AIが解説の偏りを教えてくれたり、興味深いデータを提示してくれるなど、何らかの気づきを与えてくれれば生放送中に放送の質を上げることができるというのです。

 3つめに挙げられたのが“情報インサートの判断”、つまりライブ中継のテロップの挿入です。中継中のテロップについて、WOWOWはこだわりを持ち、佐々木さんとともにノウハウを作り込んでいたそうなのですが、それをAIに任せることができれば人の負荷は下がり、放送の質も向上できるだろうと言われていました」(乙部氏)

 「乙部さんがお話しされた通り、私は取材や情報収集などの事前準備をしっかりとして中継に臨んでいます。特に数字やデータというエビデンスを添えることが自分の強味ではありますが、抽出、集計にかかる労力も大きく、一方で自分自身を縛ってしまっている部分もあります。その準備をAIが担ってくれるようになれば、自分の視点を磨き上げたり、戦術面の知識を蓄えたり、よりクリエーティブな部分に注力できるようになるでしょう」(佐々木氏)

 アスリートだけではなく、エンターテインメント部分においても新たな視座を提供することが期待される熟達者AI。今後どのような進化を遂げていくのだろうか。