「デジタル・ベースド・メディスン」の時代へ

[第3回] ターゲットは身体の“ナカ”から“ソト”に

2018/10/03 10:00
増井 慶太=アーサー・ディ・リトル・ジャパン プリンシパル

 「ゲームは1日1時間まで」と言われた世代の読者もおられるだろう。ところが今後、医師に“処方”されたゲームやアプリを1日1時間しなければならない時代が到来するかもしれない。

 今回は、昨今盛り上がりを見せるデジタルヘルス領域における先端事例、特に認知症をはじめとする「中枢神経系」(CNS;Central Nervous System)領域に視野を定めて紹介する。その上で、まずは海外におけるデジタルヘルス領域の当局の規制緩和状況や投資状況の動向を概観することから始めたい。

海外当局によるデジタルヘルス領域への後押し

 国内では、当局や製薬・医療機器産業の献身により、海外との「ドラッグラグ」や「デバイスラグ」は大幅に改善されたものの、「デジタルラグ」の解消については後手に回っている印象だ。海外においては、当局がデジタルヘルス領域に対する「規制緩和」を強力かつ迅速に推進している。

 FDAは「Digital Health Innovation Action Plan」と呼ぶガイドラインを2017年7月に策定。デジタルヘルス領域におけるアプリ・サービス・医療機器などの承認プロセスを柔軟化するとともに加速させる方針を打ち出した(関連記事)

 こうした当局のかじ取りに合わせて、デジタルヘルス領域への投資も加速している。Rock Health社の調査によると、米国における2017年のデジタルヘルスのスタートアップへの投資額は約6500億円程度、対前年度比で30%の増加となった。直近の2018年第1四半期の状況を視ると、CNS領域の疾病を対象としたソリューションを開発する企業に対する投資が目立つ(図表1)。

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 英国においても同様の状況が見受けられる。NHS(National Health Service)は2018年9月に「Roadmap for digital health and care services」を改訂した。国を挙げたヘルスケアにおけるデジタルトランスフォーメーションを目標として、2020年までのロードマップが描かれている。「クリニックにおけるFree Wifiの普及」や「小児におけるPHRの導入」など、青写真にとどまらない具体的施策を織り込んでいる点が特徴的であり、Chief Digital Officer(Juliet Bauer氏)を設置、実行・実装のスピードを担保しようとしている。

 先端技術への支出の「金庫番」であるNICEは、オンラインを通じた認知行動療法は対面でのそれよりも効率的であるとして、ドイツGaia Healthcare社のDeprexisという遠隔カウンセリングソリューションに「お墨付き」を与えた。2008年から開始した「心理療法アクセス改善」(Improving Access to Psychological Therapies、IAPT)の中の1つのプログラムとして位置付けている。

社会問題化する疾病と研究開発・商業化における課題

 認知症をはじめとするCNSの疾患は社会的な問題をもたらす。医療費や薬剤支出にとどまらず、介護や福祉に対する負の影響が大きい。慶応義塾大学医学部の推計によると、認知症に関連して発生する社会的コストは、14兆円(2014年)から24兆円程度(2026年)に上昇する。また、精神疾患でも、うつ病が3.1兆円、統合失調症が2.8兆円、不安障害では2.4兆円程度の社会的コストをもたらしているとの推計がある(図表2)。

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 一方、認知症の主な原因疾患であるアルツハイマー病を例にとると、現行の治療手段は限定的だ。1998年以降に100を越える新薬の臨床開発が行われてきたが、病態の進行を抑制する4つの薬剤のみがゴール地点に到達、その他は臨床開発後期にてドロップアウト。まさに死屍累々の状況だ。

 2018年6月には、米Eli Lilly社と英AstraZeneca社が共同開発したLanabecestatが、第3相試験で十分な治療効果を証明できないとして中止を発表したことが話題となった。そもそもアミロイドβに介入した臨床試験は失敗が続いており、アミロイドβと疾患の因果関係に関しては議論の余地があるともいわれる。

 認知症の治療薬には、製薬会社からすると市場ポテンシャルもアンメットメディカルニーズも大きい魅力的な領域であると同時に、研究開発や商業化における以下のような課題を内包する。そのため、進出を尻込みさせる悩ましい領域となっている。

(1)臨床外挿性の低い疾患モデル
 他の疾患と異なり、臨床外挿性の高いモデルを構築することが困難である。アミロイドβを発現させた疾患モデルがヒトのアルツハイマーの病態を適切に反映していないことが治験成績を悪化させる一つの要因となっている。

(2)膨大かつ煩雑な症例スクリーニング
 初期の病態出現と発症の時期には10年以上のギャップがあるものと考えられている。発症段階では既に神経脱落が進み根本治療は困難であることが明らかになってきていることから、より早期の段階での治療介入が有望視されており、そのためには神経変性が進む前の高リスク群を適切に選定する必要がある。一方、早期病態の検出が可能な現行のアミロイドPETの費用は高額で、脳脊髄液検査は侵襲性が高いため、膨大な量の患者層をスクリーニングするのには莫大な負担がかかる。さらには、そこで仮にアミロイドβの蓄積が同定されたとしてもその患者がアルツハイマーを発症するとは限らない。

(3)開発期間の長期化
 認知症という疾病の特徴として、治療効果の検証に必要となる追跡期間が長くなることが挙げられる。1つの薬剤の治験に10年以上の歳月が必要になる。前述のEli Lilly社とAstraZeneca社については、必要となる症例数と併せて鑑みると、数千億円程度の研究開発コストが「ゴール目前でパーになった」とも想像できる。

(4)高額な検査コスト
 いざ上市を迎えても、高額な検査コストが治療に随伴することが想定される。2018年7月にはエーザイが米Biogen社と共同開発するBAN2401が第2相で良好な結果を示しており、MoAの異なる他の2製品とともにそのアウトカムが注視されているところである。一方、同社の内藤CEOは「アミロイドβのイメージングは誰がどこで行い、費用負担は誰が行うのか。また、英国政府も既に次世代認知症治療薬の発売に関して警告を出している。発売の際にNICEが何と言うか、考えるだけでも身の毛がよだつ。公的保険の枠組みをはみ出すことが大いに考えられる」と語る。

(5)主観的な測定・診断基準
 認知症を始めとする神経変性に由来する疾患、うつ病などの精神疾患には共通した課題がある。客観的かつ定量的に確立した評価指標が存在しないことだ。現状の認知症の診断はMMSE(ミニメンタルステート検査)やHDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)など、主観的な問診やスコアリングに基づいており、観察者ごとの診断結果にばらつきが生じることも否定出来ない。

 この測定・診断基準の課題は、上記4つの課題の全てに連動する根源課題だ。もし仮に主観的・間接的なバイオマーカーではなく、患者の体況に即したダイレクトな客観的・定量的なバイオマーカーを見出すことができたらどうだろう。治験を効率化し、検査コストを抑えて、適切なタイミングでの治療介入を行い、効果的な治療を安価に提供することができるかもしれない――。そうした着想の下、デジタルヘルスの領域において、「ウェット」な手法ではなく、「ドライ」な手法で課題解決に至ろうとする動きがある。

スマホ、SNS、ゲーム…デジタルヘルスとの交差点

 現在、デジタルヘルスを通じて、こうしたCNS領域の治療や医薬品の研究開発が抱える固有の潜在的課題を打破し、より効率的な症例のリクルーティングや開発のエンドポイントの設定方法を探索する動きが海外のスタートアップを中心に進んでいる。それらのプレイヤーに共通するのは、身体のナカ(血中)ではなく、身体のソト(体表、行動、言動、など)をターゲットとした「デジタルバイオマーカー」や「デジタル処方アプリ」を探索している点だ(図表3)。

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 まずは、海外の具体的な事例を幾つか見ていこう。

 スコットランドMindMate社は、NHSやアカデミアと協業し、シニア世代向けの無料アプリを開発・提供するスタートアップだ。同社のアプリは、生活習慣の指導、テレビや音楽の配信、認知活動の活性化を促すゲーム、日々の出来事を共有するツールなど、認知症機能の改善や症状の進行抑制に寄与すると考えられる一気通貫の機能を内包している。

 同社は、オーストラリアのバイオテックであるActinogen Medical社との提携を2018年7月に発表した。後者は脳内のコルチゾール産出をブロックさせてアルツハイマー病の進行を抑制するXanamemの臨床開発を実施しているが、その際にMindMate社のアプリを活用し、症例のリクルーティングを効率化させることを表明している。

 カナダCognetivity Neurosciences社は、「5分間の画像テスト」を通じた認知症の早期診断ツールを開発している。iPadに映し出された100枚程度の画像に対する反応を健常人と比較することで、認知症のリスク群を層別化する。年間費用は49ポンド(約7200円)を目標とし、年1回の健康診断で利用されることを企図している。分析はAWS上のAIアルゴリズムによって実施し、前述のNHSによる「2020年までにクリニックに最低1台のタブレットを提供する」という目標に合致するものとなっている。現在、450人のボランティアを対象とした臨床開発の最終段階にあり、2019年中に治験を完了することを目標としている。

治療用アプリの現出

 米AKILI社は、Pfizer社などからの出資を受けつつ、ADHD治療用ゲームソフト「AKL-T01」を臨床開発中、現在第3相のステージにある。タブレットを用いたゲームソフトをプレイすることで、対象患者の注意力、抑圧性、ワーキングメモリーが改善することが示唆されており、当該製品は、承認が降りた場合、医師により処方される世界初の「ゲーム治療薬」となる。

 米Pear Therapeutics社は、自社を「Prescription Digital Therapeutics」のパイオニアと標榜する。ダートマス大学や南カリフォルニア大学などのアカデミア、SANDOZやNovartisなどの製薬企業とともに開発するのは、薬物中毒、うつ、統合失調症、PTSDなどの治療用処方「アプリ」だ。同社の製品開発状況を視ると、さながら製薬企業のパイプラインのリストを眺めているような印象を受ける(図表4)。

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 国内でも、アカデミアや産学官連携を通じた取り組みを中心に、認知症や精神疾患の早期診断に向けた研究開発が活発化している。

 慶応義塾大学医学部では、UNDERPIN(Understanding Psychiatric Illness through Natural anguage Processing)というプロジェクトを通じて、会話文に対して自然言語処理を用いた精神疾患の定量的評価技術の試験を実施しようとしている。また、SNSにおける入力テキストに対して自然言語処理を用いた精神疾患の特徴量抽出技術の開発に向けたパイロット試験も実施中だ。

 NTTデータ関西は、大阪市立大学・大阪市立弘済院附属病院グループなどと共同で「コミュニケーションロボットSotaとの会話内容」を基とした認知症の早期診断の実証研究を2017年に開始、2020年の実用化を目指している(関連記事)

 また、グローバルのメガファーマは既に、現行の開発・育薬プロセスにPRO(Patient Reported Outcome)を活用することに動き出している。例えばGSK社は、市販後の安全性調査にFacebookやTwitterなどのSNSのデータを活用する「Social Media Listening」に取り組んでいる。匿名化、ノイズ排除、データの補正を行ったうえで、安全性に関する豊富な「つぶやき」を獲得し、分析につなげようとする野心的な取り組みだ。

デジタルでPatient Journeyが完遂

 こうした萌芽的技術は、製薬企業にとって、既存のオペレーションの抜本的改革から、革新的な事業開発に至る大きなポテンシャルを秘めたものだ(図表5)。

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 第一義的には、RCT(Randomized Controlled Trial)という医薬品を始めとした治療法開発のゴールデンスタンダードに一石を投じるものになるだろう。RCTは形式的・小規模な実験であり、時間、費用、データポイントやデモグラフィックス、といった観点から制約が大きく、現実世界を表現していないという問題を潜在的に内包する。一方、上記のようなデジタルヘルスを通じた開発は、現実のさまざまなデータを組み合わせながら医療の実践と改良を同時に行う「アジャイル的」な営みであり、RCTの保有する欠点をうまく補完できる可能性がある。

 そして、こうした「ドライ」な開発手法は、増加する一途の開発費に疲弊する製薬企業に対する福音となるかもしれない。グローバルで見ると、平均して全売上高に占める製薬企業の研究開発費の割合は20%程度、そのうち80%程度が開発費に投じられていると考えられる(図表6)。「デジタルクリニカルトライアル」が成就して、現行の開発プロセスの代替手段にまで進化した場合、現行の製薬会社の「P&Lの15%」に大きなインパクトを及ぼす可能性がある。

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 さらには、これらの営みの進化した形として、生活・検査・予防・治療が一体化した融合した世界を想像することができるだろう。ウエアラブルデバイスから得られたデータをスマホで確認し、医療従事者と共有、タイムリーにアラートが伝わり、デジタルバイオマーカーを通じた早期診断と必要に応じた適切な早期介入(指導)が行われる世界。そのような世界では、モノ(医薬品・医療機器)ではなくコト(デジタル)を通じてPatient Journeyが完結する可能性すらある。その費用対効果は抜群だ。技術革新の潮流にうまく順応することができるならば、「デジタルファーマ」への変貌を遂げることも可能だろう。

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