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スポーツとイノベーション

25歳でサッカークラブ社長に就任、東大出身Jリーガーの挑戦

おこしやす京都AC・添田隆司社長に聞く(前編)

2018/12/11 05:00

久我智也=ライター

 サッカー界に新しい風が吹こうとしている。関西サッカーリーグ1部に所属し、将来のJリーグ入りを目指す「おこしやす京都AC」の新社長に、東京大学サッカー部やJ3藤枝MYFCなどでプレーした添田隆司氏が就任することになった。2017年12月まで現役選手としてプレーしていた添田氏はまだ25歳。この年齢でスポーツクラブの社長に就任することは、サッカー以外の競技を含めても極めて異例のことだ。彼はなぜ、おこしやす京都ACの社長に就任することになったのか。本稿では同氏へのインタビューを前後編に分けてお届けする。前編では、添田氏がJリーガーになった背景やおこしやす京都ACの社長に就任した経緯について聞いた。(聞き手:上野直彦=スポーツジャーナリスト、久我智也)

関西サッカーリーグ1部に所属する「おこしやす京都AC」の試合前の集合写真(写真:OCOCIAS KYOTO AC)
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「安牌の人生」から一転、Jリーガーの道へ

添田さんは史上2人目の東京大学出身Jリーガーとして、三井物産の内定を辞退までしてJ3所属の藤枝MYFCに入団したことで世間の注目を浴びました。大企業への就職も決まっていた状況で、なぜJリーグに進むことを選択したのでしょうか。

おこしやす京都ACの新社長に就任した添田隆司氏。1993年、東京都出身。幼稚園の時にサッカーを始め、横河武蔵野FCユースなどでプレーをしながら、東京大学経済学部に進学。4年生の時にはキャプテンを務め、卒業後、J3所属の藤枝MYFCに入団し、久木田紳吾選手(現ザスパクサツ群馬)以来、史上2人目の東大出身Jリーガーとなる。藤枝MYFCでは通算10試合に出場し、2017年シーズン途中にアミティエSC京都(現おこしやす京都AC)に移籍。2017年12月をもって現役を引退し、2018年12月より現職

添田 もともとサッカー選手として生計を立てていくことは“1ミリ”も考えておらず、卒業後は就職する方向でいました。数ある企業の中から三井物産を受けたのは、世界が見たかったことと、商社であれば若いときからそれなりに裁量を持って働けそうだと考えたからです。4年生の春頃には内定をいただくことができました。それからはTOIECの勉強をしたり、社会人になったら何をしようかなと考えながら日々を送っていました。

 そうして学生生活も残り少なくなった2014年12月、藤枝MYFCから練習参加のオファーをもらったんです。当時の藤枝の監督であった大石篤人氏(ヴァンフォーレ甲府などでプレー。2018年7月まで藤枝MYFCの監督を務めた)と、僕が3年生の頃まで東大サッカー部のヘッドコーチをしていた林健太郎氏(元日本代表、現ヴィッセル神戸アシスタントコーチ)が駒沢大学の先輩・後輩の間柄だったこともあり、僕に声が掛かったのです。

大石氏が添田さんのプレーに魅力を感じてのオファーだったということでしょうか。

添田 というよりも、そのオファーの背景には当時のフロントの意向がありました。僕は今、スポーツXという会社に所属しています。当社の社長は、藤枝MYFCの創設者であり社長も務めていた小山淳という人物なのですが、彼は常々、東大サッカー部のキャプテンを獲得したいと考えていたそうなんです。

 小山は「サッカーはそれほど上手くはないかもしれないけど、しっかりと勉強をして東大に入り、サッカー部でキャプテンまで務めた選手ならば、Jリーグの環境で戦略的に育成すればある程度伸びるのではないか」という仮説を持っていて、それを実証してみたかったと言っていました。

 もう1つの理由としては、スポーツ業界に若い人材を集める呼び水になるような存在が欲しかったということです。最近は多少趣きが変わってきていますが、やはりスポーツビジネスの世界は閉鎖的な部分があり、若い人たちが入ってきづらい風潮があります。そこで僕を、将来的にスポーツビジネスを引っ張って行けるような人間に育てたいということで、藤枝MYFCに誘っていただきました。

練習に参加されてからオファーを受ける決断を下すまで、どのようなことを考えたのでしょうか。

添田 オファーを頂いた時点では、Jリーガーになることはまったく考えていませんでした。でも当時はJ3が新設された年で、どれくらいのレベルでサッカーをしているのかが気になったので練習に参加してみました。実際かなりレベルが高くて、ここに入っても中々試合に出られないのではないかと感じました。その後、小山と面談する機会があり、チームが目指す姿や事業の方向性などの話をしてもらったんです。そこで僕が「自分はこれまでの人生でずっと安牌を切ってきた」という話をしたところ、「むしろここで挑戦した方が安牌だと思うぞ」と言われたんです。正直、そのときはあまりピンと来ませんでしたし(笑)、スポーツビジネスの知見もなかったので、事業内容などの話もよく理解できていませんでした。

 ただ、そこから2週間の猶予をもらって色々と悩み、考えたんです。一生のうちでJリーガーになれるチャンスを与えられる人はそうそういません。一方、もし内定を辞退しても、三井物産にはもう入れないかもしれないけど、企業に所属することはできるだろうと。それならば、二度とできないかもしれないJリーガーという経験をさせてもらおうと、藤枝MYFCに入ることを決めました。最後は直感でしたが、人生最大の決断でした。