スポーツ界に新風、プロクラブの多店舗展開目指す“謎の会社”

スポーツX・小山淳社長インタビュー(前編)

2019/04/11 05:00

久我智也=ライター

 2019年4月9日、東南アジアのミャンマー最大の都市ヤンゴンで、日本のスポーツビジネス界では“前代未聞”とも言える記者会見が開催された。スポーツXという日本企業が、ミャンマーのプロリーグであるミャンマーナショナルリーグ(MNL)と、国内の選手育成と代表チームの強化を目指す「ミャンマージャパンフットボールディベロップメント」という合弁会社を設立したというのだ。日本の一企業と人口5000万人以上の国のサッカー連盟(協会)やプロリーグがこのような合弁会社を設立するのは極めて稀だ。具体的には、スポーツXと資本業務提携をし、国内外に1万4000人以上の受講生を抱えるスクールパートナーという会社が培ったノウハウを、ミャンマー国内の3歳から12歳までの少年少女に提供していく。当日の会見にはメディアの数だけで約20社が集まり、ミャンマー国内での注目度の高さを伺わせた。

 スポーツXがどのような企業かはあまり知られていないが、2017年10月に設立され、将来のJリーグ入りを目指す「おこしやす京都AC」の親会社でもある。同クラブの社長は、東京大学出身の元Jリーガー・添田隆司氏で、2018年に25歳の若さで就任して話題になった。このように日本のスポーツ界に変革の波を起こしているスポーツXを率いるのが、ミャンマージャパンフットボールディベロップメントのPresident & CEOも務める小山淳氏だ。スポーツXは何を目指しているのか。小山氏のインタビューを前後編に分けてお届けする。(聞き手:上野直彦=スポーツジャーナリスト、久我智也)

ミャンマーでの会見の様子。小山氏は記者に中長期目標を質問され、「将来的には100万人の生徒が学ぶスクールにしたい。そしていつか日本とミャンマーがW杯に出場し、ともに決勝トーナメントに進出にする国にしたい」と語った。写真は左からMyanmar National League CEOのSoe Moe kyaw氏、Myanmar Football Federation Vice President兼Myanmar National League Vice Chairman のSai Sam Htun氏、スポーツXの小山氏、スポーツX執行役員の高橋純一氏(写真:上野直彦)
[画像のクリックで拡大表示]

世界でも類を見ない「クラブ経営をフルパッケージで提供する」企業

まずはスポーツXがどのような会社なのか、簡単に教えていただけますか。

小山 我々は「咲かせようスマイルつなげようスポーツで」という経営理念の下、「プロスポーツクラブ多店舗展開」「経営支援事業」「投資事業」「人材開発事業」という4つの事業に主に取り組んでいる企業です。それぞれの事業については後ほど詳しく説明していきますが、多数のプロスポーツクラブの経営に携わり、経営力でチームを勝たせる強化体制を構築したり、プロスポーツクラブの経営人材や指導者の育成、あるいはスマートスタジアムの開発事業などを行ったりしています。

 この領域に関する主な実績としては、2009年に創設して5年間でJリーグ入りを果たしたJ3の藤枝MYFC(現在は地元企業に経営権を譲渡している)や、当社の社員でもある添田隆司が代表取締役社長を務めているおこしやす京都ACなどの事例を挙げることができます。

 また投資事業も積極的に展開していて、例えばスクールパートナーという、国内外合わせて1万4000人以上の子どもが通うキッズスポーツスクールの運営などにも携わっています。

関西サッカーリーグ1部に所属する「おこしやす京都」の選手たち
(写真:スポーツX)
[画像のクリックで拡大表示]

世界でもなかなか類を見ない事業領域ですね。

小山 ええ。子ども向けのスクールからトップチーム、さらにはスタジアムまでフルパッケージ的に携わっている企業というのは世界にもないと思います。

10歳で「JFA会長」を目指す

小山さんは、なぜスポーツXという会社を設立し、このようなビジネスに取り組んでいるのでしょうか。

スポーツX代表取締役社長の小山淳氏。1976年、静岡県藤枝市出身。幼い頃からサッカーを始め、10歳のときにテレビで見たメキシコワールドカップをきっかけにJFA会長になることを目指す。中学、高校時代にはアンダー世代の日本代表にも選出される。大学時代の怪我が元でサッカーを辞めることになるが、大学中退後に世界を放浪する旅に出たことで「世界の貧困と不平等を失くしたい」という思いを抱き、帰国後にIT関連企業を興す。2009年に藤枝MYFCを創業し、2014年には史上最速でJリーグ入りを果たす。同クラブの経営権を譲渡した後、2017年10月にスポーツXを設立し、現在に至る
(写真:久我智也)
[画像のクリックで拡大表示]

小山 私は1976年に静岡県藤枝市というサッカーが盛んな街で生まれ、自分自身も幼い頃から自然とサッカーに親しんでいました。当時の日本のサッカーと言えばトッププレイヤーでも茶色い芝生の上でプレーするのが当たり前でしたが、私が10歳の頃、1986年に開催されたFIFAワールドカップメキシコ大会をテレビで見て、とても美しい緑色の芝生の上でプレーする選手たちを見て強い衝撃を受けたんです。

 それは感動だけではなく、日本と世界の違いに初めて触れたからこその悔しさもありました。そこで両親に「僕は将来日本サッカー協会(JFA)の会長になって、日本のサッカーを世界一にする」と言ったんです。

「日本代表になってワールドカップでプレーする」ではなく「JFA会長になる」というのはユニークですね(笑)。

小山 活字中毒の父の影響で幼い頃から戦国武将の書籍を読んで育ったので、「JFA会長になって天下統一したい」という思いもあったんですね(笑)。そこでJFA会長になることを将来の目標にすることが決まったので、目的地から逆算して自分がどう生きていけばいいか、ロードマップを敷いていきました。

 具体的には、JFA会長になるには日本代表に選ばれるのは当然のこと、海外でプレーするような選手にならないといけない。そのためには高校サッカーで優勝しないといけない、そのためには中学校、小学校でも日本一にならないといけないと考えていきました。そのように進むべき道が決まると、サッカーをプレーするのも一層楽しくなっていき、中学生の頃にはアンダー世代の日本代表にも選出されました。

小学校4年生の藤枝市選抜キャプテン時代。藤枝市民グランドで撮影
(写真:小山淳)
[画像のクリックで拡大表示]

 当時のチームには中田英寿さんや宮本恒靖さん、松田直樹さん(故人)など、その後Jリーグや日本代表でも活躍した選手たちも多くいました。実際、中学生のときも、高校生のときにも全国優勝を経験し、高校2年生の頃には幾つかのJリーグクラブからも誘いを受けました。ただ両親に相談したところ、「JFAは早稲田大学出身者が多いから、早稲田に行ったほうがいいんじゃないか」と言われ、早稲田大学に進学することにしました(笑)。

藤枝東高校3年生のときのキャプテン時代。選手権静岡県予選の対浜松北高戦。藤枝市民グランドで撮影
(写真:小山淳)
[画像のクリックで拡大表示]

 そこまでは順調に歩んでいたのですが、大学1年生のときに大きな怪我をして、思うようなプレーができなくなってしまいました。そこで日本代表選手になり、JFA会長になるという夢が絶たれてしまい、大学3年生のときに早稲田大学を中退することにしたんです。

そこで一旦、スポーツの世界から離れるわけですね。

小山 そうです。これでもうサッカーとは一生縁がないものだと思っていましたし、失意のどん底にいました。ただ大学を中退して何をしようか考えたとき、世界を見てみたいという思いが湧いて来たんです。高校時代に海外遠征でブラジルやヨーロッパなどを訪れたことはあったのですが、そのときはしっかりと各国を見ることができなかったので、サッカーとは関係のないところで、純粋に世界を見てみたいと。だから1年間アルバイトをして120万円を貯めて、バックパッカーとして世界33ヵ国を放浪する旅に出たんです。

 その旅ではいろいろなものを見ましたが、中でも現在につながっているのが、貧しい国々に生きる人と出会ったことや、強盗に遭ったことです。例えばジャマイカでは7~8人の集団からナイフを突きつけられて財布を脅し取られましたし、ルーマニアでは駅から出た瞬間に殴られてお金を取られそうになりました。

 それは、「世界には明日生きる1000円のために強盗までしている人がいるのに、自分はサッカーができなくなったくらいで人生が終わったかのように思っている。なんて甘えていたのだろう」という具合に、恐怖というよりも自分の価値観を揺さぶられる出来事でした。同時に、「何か新しいコトを起こして、それを世界に広め、世界から貧困や不平等をなくしたい」という思いを抱き、帰国後に会社を設立することにしました。

それがスポーツXということですか?

小山 いえ、そこで設立したのはインターネット関連の会社です。当時すでにインターネットやITは世の中に浸透し始めていましたが、今後さらに重要なキーワードになっていくだろうと考えたのです。

 ただ、私は子どもの頃からサッカーばかりしてきた人間なので、まったく知識がありませんでした。そこで一番勉強になるのが会社を立ち上げることだろうと思い、起業しました。当初は静岡で会社を経営しつつ、東京にあるIT専門学校に通うという日々を送り、段々と業績を伸ばしていくことができました。

 その頃、サッカー界にもインターネットの波が訪れ、当時浦和レッズに所属していた山田暢久さんのWebサイトを作る仕事や、人気サッカー雑誌「サッカーマガジン」のWebサイトなどを制作する機会に恵まれました。そうやって再びサッカーに携わっていく中で、Jリーグの魅力、プロスポーツクラブのポテンシャルを感じ、一方で「日本はまだその価値を最大限に活かしきれていない」という印象も抱きました。

 そして、10歳の頃に抱いた夢を思い出したんです。当時会社の業績は良かったのですが、世界を変えられるほどのパワーを持っていたわけではありません。でも、スポーツの力を使えば世界を変えられと感じて、スポーツビジネスの世界へと飛び込むことにしました。

ファンがプロスポーツクラブを運営する「マイフットボールクラブ」

スポーツビジネスの世界に飛び込む決意をして、まず何に着手したのでしょうか。

小山 いきなりに感じるかもしれませんが、クラブを創ることを考えました。その頃英国で、「マイフットボールクラブ」というサッカーファンが運営するWebサイトが、サイト上でひとり当たり1万円ほどの資金を集め、当時7部リーグに在籍していたエブスフリート・ユナイテッドFCというクラブを買収したという事例がありました。クラブの運営方針などもサイト上で議論をして決めていくというものなのですが、日本でも同じことをやれないかと考えました。

 まずは母体となるクラブを探そうと考え、関東や東北のクラブなどとも話をしていたのですが、最終的に現在の藤枝MYFCの前身に当たる藤枝ネルソンCFというクラブを母体にすることに決定しました。母体となるクラブが決まってから、まずは無料会員を集めたところ4000〜5000人ほどが会員となり、元日本代表の釜本邦茂さんなども興味を示してくれて総監督になってくれましたし、同じく元日本代表の斉藤俊秀さん(2009年〜2013年までは選手兼監督)が入団する際にはインターネットでアンケートをして入団の賛否を問うということもしました。

 ただ、実際に有料化をしていく段になると60人ほどしか残らず、当初思い描いたマイフットボールクラブの形は実現することはできませんでした。それは日本にディスカッションの文化がなかったことなど、なぜ上手く行かなかったのか原因はわかっています。いつの日か、この仕組みでクラブを創ることは実現したいと考えています。

藤枝MYFCは多店舗展開のマスタークラブ

「マイフットボールクラブ」の構想は実現しなかったものの、藤枝MYFCは創業からわずか5年という史上最速のスピードでJリーグ入りを果たしました。

小山 話が前後してしまいますが、当時の私としては特定の地域にこだわるというよりも、将来的にクラブを多店舗展開していくためのマスターとなるクラブを作りたいという思いが先にありました。最終的に世界中にプロスポーツクラブを展開することで、そのクラブがある地域の人々を豊かにするという目標があったからです。そうした展開をしていくためには、資本金が少なくてもしっかりと黒字経営ができ、それでいて教育面なども含めて地域にも貢献しつつ、勝てるクラブを目指しました。それが藤枝MYFCです。

 藤枝MYFCで特にトライをしていたのは、選手人件費が低くても勝てるサッカーです。実際、J3参入当初からリーグの中でも選手人件費は最も低い方でしたが、2016年(全16チーム)、2017年(全17チーム)は7位になることができました。そこには幾つかの要因があったと分析しています。

藤枝MYFC代表時代。J3クラブ社長有志&Jリーグ原副チェアマンと2017年にスペインのエイバルで研修
(写真:スポーツX)
[画像のクリックで拡大表示]

 1つは教育を軸にクラブ体制を構築した点です。例えば身だしなみを整えて規律を守り、審判に対して異議を唱えないことを徹底するなど、メンタル的な改革を強く推し進めていきました。もう1つは監督に長期政権を任せるということです。2009〜2013年の斉藤俊秀さんも、2015〜2018年途中まで監督を務めた大石篤人さんも数年間に渡って監督を務めていただきました。

 やはり複数年でチームを作ることができるのは監督として重要なポイントなのですが、それを実現できたのは、彼らを社員兼監督として登用していたことも強く影響しています。社員として身分を保証しながら監督業に取り組んでもらったところ、段階的に結果が出るようになっていました。

 こうした取り組みをしていたのは、勝利はある程度コントロールできるものだと考えていたからです。選手人件費にしても、そのリーグの平均の八掛けくらいの人件費を掛けることができれば勝てるようになると考えていました。逆にそれができなければプロスポーツクラブの多店舗展開はできないと思っていました。

ある程度の結果が出ていた中で、藤枝MYFCは2017年に地元企業に経営権を譲渡することになりました。

小山 スタジアムをJ2基準に改修していくためには、そうした方が都合が良かったからです。クラブに携わり続けたい思いはあったので残念でしたが、一方で世界中にプロスポーツクラブを多店舗展開していくという目標もありましたので、そのような決断に至りました。その後、次のステップに進むために2017年10月にスポーツXを設立することになったのです。

(後編へ続く)