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スポーツとイノベーション

スポーツ界に新風、プロクラブの多店舗展開目指す“謎の会社”

スポーツX・小山淳社長インタビュー(前編)

2019/04/11 05:00

久我智也=ライター

 具体的には、JFA会長になるには日本代表に選ばれるのは当然のこと、海外でプレーするような選手にならないといけない。そのためには高校サッカーで優勝しないといけない、そのためには中学校、小学校でも日本一にならないといけないと考えていきました。そのように進むべき道が決まると、サッカーをプレーするのも一層楽しくなっていき、中学生の頃にはアンダー世代の日本代表にも選出されました。

小学校4年生の藤枝市選抜キャプテン時代。藤枝市民グランドで撮影
(写真:小山淳)
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 当時のチームには中田英寿さんや宮本恒靖さん、松田直樹さん(故人)など、その後Jリーグや日本代表でも活躍した選手たちも多くいました。実際、中学生のときも、高校生のときにも全国優勝を経験し、高校2年生の頃には幾つかのJリーグクラブからも誘いを受けました。ただ両親に相談したところ、「JFAは早稲田大学出身者が多いから、早稲田に行ったほうがいいんじゃないか」と言われ、早稲田大学に進学することにしました(笑)。

藤枝東高校3年生のときのキャプテン時代。選手権静岡県予選の対浜松北高戦。藤枝市民グランドで撮影
(写真:小山淳)
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 そこまでは順調に歩んでいたのですが、大学1年生のときに大きな怪我をして、思うようなプレーができなくなってしまいました。そこで日本代表選手になり、JFA会長になるという夢が絶たれてしまい、大学3年生のときに早稲田大学を中退することにしたんです。

そこで一旦、スポーツの世界から離れるわけですね。

小山 そうです。これでもうサッカーとは一生縁がないものだと思っていましたし、失意のどん底にいました。ただ大学を中退して何をしようか考えたとき、世界を見てみたいという思いが湧いて来たんです。高校時代に海外遠征でブラジルやヨーロッパなどを訪れたことはあったのですが、そのときはしっかりと各国を見ることができなかったので、サッカーとは関係のないところで、純粋に世界を見てみたいと。だから1年間アルバイトをして120万円を貯めて、バックパッカーとして世界33ヵ国を放浪する旅に出たんです。

 その旅ではいろいろなものを見ましたが、中でも現在につながっているのが、貧しい国々に生きる人と出会ったことや、強盗に遭ったことです。例えばジャマイカでは7~8人の集団からナイフを突きつけられて財布を脅し取られましたし、ルーマニアでは駅から出た瞬間に殴られてお金を取られそうになりました。

 それは、「世界には明日生きる1000円のために強盗までしている人がいるのに、自分はサッカーができなくなったくらいで人生が終わったかのように思っている。なんて甘えていたのだろう」という具合に、恐怖というよりも自分の価値観を揺さぶられる出来事でした。同時に、「何か新しいコトを起こして、それを世界に広め、世界から貧困や不平等をなくしたい」という思いを抱き、帰国後に会社を設立することにしました。

それがスポーツXということですか?

小山 いえ、そこで設立したのはインターネット関連の会社です。当時すでにインターネットやITは世の中に浸透し始めていましたが、今後さらに重要なキーワードになっていくだろうと考えたのです。

 ただ、私は子どもの頃からサッカーばかりしてきた人間なので、まったく知識がありませんでした。そこで一番勉強になるのが会社を立ち上げることだろうと思い、起業しました。当初は静岡で会社を経営しつつ、東京にあるIT専門学校に通うという日々を送り、段々と業績を伸ばしていくことができました。

 その頃、サッカー界にもインターネットの波が訪れ、当時浦和レッズに所属していた山田暢久さんのWebサイトを作る仕事や、人気サッカー雑誌「サッカーマガジン」のWebサイトなどを制作する機会に恵まれました。そうやって再びサッカーに携わっていく中で、Jリーグの魅力、プロスポーツクラブのポテンシャルを感じ、一方で「日本はまだその価値を最大限に活かしきれていない」という印象も抱きました。

 そして、10歳の頃に抱いた夢を思い出したんです。当時会社の業績は良かったのですが、世界を変えられるほどのパワーを持っていたわけではありません。でも、スポーツの力を使えば世界を変えられと感じて、スポーツビジネスの世界へと飛び込むことにしました。