目指すは「社会課題解決の実験場」、FCバルセロナのオープンイノベーション戦略

2019/03/11 05:00

内田 泰=日経 xTECH

 サッカー史に名を刻む名選手、リオネル・メッシを擁するスペインのFCバルセロナ。世界最高峰のこのクラブが今、オープンイノベーションに力を入れている。約2年前に「Barca Innovation Hub」を立ち上げ、企業や大学などとテクノロジーの分野で共同開発などを進めている。なぜ、サッカークラブがオープンイノベーションに注力するのか。自らは物理学者で、Barca Innovation Hub Lead Head of Knowledge(最高知識責任者)のAlbert Mundet氏に聞いた。(聞き手:内田 泰=日経 xTECH)

Barca Innovation Hub Lead Head of Knowledge(最高知識責任者)のAlbert Mundet氏
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「すべてをシェアする」

最初に、なぜFCバルセロナというサッカークラブがこのようなオープンイノベーションの取り組みを始めたのですか。サッカーだけでも十分なプレゼンスとビジネスを達成できていると思いますが・・・。

Mundet 根底には、新しい知識やノウハウを獲得してクラブを将来に向けてもっと良くしていきたいという思いがあります。同時に、我々は1つのサッカークラブを超えた存在になっており、社会に貢献していきたいと考えています。イノベーションはその1つの手段です。

Innovation Hubの3つのゴール。2018年11月29~30日に東京で開催されたスポーツビジネスイベント「Sport Innovation Summit(SiS)」に登壇した時の様子(以下の資料も同じ)(図:FCバルセロナ)
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 Innovation Hubのゴールを要約すると3つあります。まずは、「Sports & Corporate Excellence(スポーツや企業としての卓越性)」です。スポーツチーム、そして企業として日々、向上することを目指します。この基本には「シェア」があります。外部の企業などとオープンイノベーションで連携するFCバルセロナのメンバーは、我々の文化の中で築いてきた知見や経験などをシェアすることで、次に我々が何をやるべきかが見え、開発を前進させることができます。すべてをシェアすることによって、スポーツ産業の成長に貢献できるだけでなく、他の産業の成長に貢献できると考えています。

 2番目は「Brand Impact(ブランド・インパクト)」です。FCバルセロナは世界で最もイノベーティブなクラブだと見られていますが、イノベーションは価値を生むべきです。新しいテクノロジーなどを開発しても、それが日々のビジネスに実装されないと意味がありません。肝心なのは、それをどのように達成するかです。我々は「FCバルセロナ」というブランドを通じて、Innovation Hubでのチャレンジを全産業でのチャレンジにスケールアップしたいと考えています。

 3番目は新しいビジネスモデルの創出です。我々は世界最大のスポーツラボです。Innovation Hubで開発したものをベースに、新しいビジネスを創り出していきます。でも、自分たちだけですべてができるとは考えていません。そのため、外部の企業やベンチャー、大学・研究機関、投資家、ユーザー(ファン)と一緒に取り組みたいのです。パートナーが必要なのです。

 Innovation Hubは以下の3つの要素の上に立脚しています。「ラボ」「エコシステム」「知識プラットフォーム」です。

Innovation Hubのエコシステム(図:FCバルセロナ)
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Innovation Hubをこのタイミングで立ち上げたのはなぜでしょうか。

Mundet いくつか理由があります。まず、スポーツ産業自体が大きく変化しています。今後5~10年先を展望すると、スポーツビジネス、特にサッカーはクラブとファンとの関係や、選手のパフォーマンスをデータやその分析によってモニタリングするなど、さまざまな点で大きな進化を遂げるでしょう。その進化を支援して産業を成長させる狙いがあります。 

 これまでFCバルセロナは人材と知識のマネジメントを通じて成功を収めてきました。人材のマネジメントで世界最高レベルの選手を輩出してきたのです。それを選手だけでなくクラブ全体、つまりフィジカルトレーナー、コーチ、医者、栄養士、デジタルエグゼクティブなどをInnovation Hubをツールとして人材育成したいのです。

 FCバルセロナはサッカークラブですが、もはや我々はそれを超えた存在になっています。バルセロナが持っている価値を外部に提供することで、サッカークラブである以上のインパクトを社会に与えられると考えています。バルセロナを通じてスポーツ界だけでなく、さまざまな産業の成長に貢献したいのです。

MITとサッカーの「スペース」をAIで解析

FCバルセロナは「サッカークラブを超えた存在」ということですが、クラブの現状について教えてください。

Mundet FCバルセロナのスポーツシティーでは毎日2000人以上のアスリートが練習し、サッカー以外にも5つのプロスポーツ競技(バスケットボール、ハンドボール、ホッケーなど)、9つのアマスポーツ競技を展開しています。チーム数は合計で121に上ります。つまり、スポーツに関して何かを開発したいときに、サッカーだけでなくさまざまな競技で「実験」ができるのです。

FCバルセロナがもはやサッカーを超えた存在であることを象徴する数字。2000人以上のアスリート、121のスポーツチーム、1200人の社員・スタッフを擁し、ファンは世界に3億2000万人もいる(図:FCバルセロナ))
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 さらにチームの社員とスタッフ(契約など)は合計で1200人、市民クラブの株主は14万5000人います。ファンは世界中に3億2000万人いて、年間で400万人がスタジアムを訪れます。

Innovation Hubでこれまでに研究開発した事例について教えてください。

Mundet 3つの事例を紹介しましょう。最初はサッカーの新しいアナリティクス(分析)についてです。これは米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)と共同で研究しました。これまでのサッカーのアナリティクスは「イベント」、つまりボールを持った選手のパスの回数やその成功率、走行距離など、さまざまな個人のデータをベースにしたものでした。

 しかし、サッカーではボールを持たない(オフ・ザ・ボール)ときの動きも重要です。それは総体的な動きについてのプロセスで、個人のパフォーマンスを超えたものです。我々は、ボールを持っていないプレーヤーの動きに対する新しい指標を作れないかを議論していました。

 そこでMITと共同で、AI(人工知能)を使って映像から1秒間に25回、選手とボールの位置を取得し、独自のアルゴリズムを作って特定のパターンを検出し、3つの項目を評価するシステムを開発しました。3つの項目とは、「どのようにスペースができたのか」「どのようにスペースを獲得したのか」「どのようにゴールに結びついたのか」です。これに関する研究論文はMITが発表しています。ほかのサッカークラブからこれを使いたいと問い合わせがありましたが、我々はオープンな立場を採っています。

カンプ・ノウの将来がホロレンズ越しに

Mundet 2番目の事例はインフラに関するものです。現在、FCバルセロナは本拠地のスタジアム「カンプ・ノウ」の大規模改修を5年計画で進めています。設計は日本の日建設計が担当しています。試合で使いながらスタジアムを改修していきます。

 そこで、米国のBentley Systems(ベントレー・システムズ)という会社との共同プロジェクトが進んでいます。米Microsoft(マイクロソフト)のMR(複合現実)ヘッドセット「HoloLens(ホロレンズ)」をスタジアムの建設現場でかけると、計画の進捗状況と将来の完成イメージをヘッドセットを通して見られるソリューションです。我々はベントレー・システムズがそれを開発したり、現場でテストするのを支援しています。

 3番目は、選手のコンディション管理やパフォーマンス強化用にトラッキングシステムを開発しているスペインのスタートアップ、RealTrack Systems(リアルトラック・システムズ)との協業事例です。このスタートアップとは2年間仕事をしました。

 1年目は、同社のトラッキングシステムの開発を支援しました。当時のGPSを使ったデバイスの精度はあまり高くありませんでした。FCバルセロナはGPSデバイス向けのアルゴリズムを持っていたのに加え、インドアのプロスポーツ向けに無線通信技術のUWBを使ったソリューションも持っていました。そこで同社のプロダクトデザインを支援しました。それが1年目です。

 2年目にはトラッキングデバイスが取得したデータを、チームのフィジカルトレーナーにレポーティングする際のKPI指標の作成を手伝いました。FCバルセロナはそのようなKPIについて多くのノウハウを蓄積しています。そこで、1年間で25人のフィジカルトレーナーがこのスタートアップとの開発に関わりました。

通常、こうしたオープンイノベーションでFCバルセロナは何を提供しているのでしょうか。

Mundet 人材と実例です。開発にはテストが必要です。我々は2000人を超えるアスリートを抱えています。アスリートからフィードバックされたデータも持っていますし、フィジカルトレーナーは科学的な知見を持っています。

 Innovation Hubで開発したものを他のクラブや大学・研究機関が使ってくれたりすれば、知見をシェアできますし、新たな研究プロジェクトを立ち上げたりもできます。それによって我々も前へ進めます。

 

エネルギー問題など社会課題に取り組む

FCバルセロナは協業相手のスタートアップなどに投資したりしているのですか。

Mundet FCバルセロナは市民クラブで、非営利のスポーツ団体です。なので、直接投資はできません。我々のガバナンスをしているのは、14万5000人のオーナー達です。私もその1人です。

最後にInnovation Hubの将来展望をお聞かせください。

Mundet Innovation Hubのビジョンは、FCバルセロナのビジョンに則っています。「いかにスポーツが世の中に影響を与えるツールになれるか」「スポーツは大きな社会課題に価値を提供できるツールになれるか」です。Innovation Hubのプロジェクトを通じて、(トップアスリート向けの)ハイパフォーマンス分野だけでなく、他の産業分野や一般社会の課題を解決する知見を強化するのが目的です。

 例えば我々は、エネルギー問題への対応を検討しています。なぜなら、FCバルセロナが試合を開催する際に、市内の電力使用がピークに達するからです。再生可能エネルギーなどの導入に関して、スタジアムで実証実験をしたりすることができます。モビリティーの改善に関与する可能性もあります。

 ヘルスケア・ウェルネスも非常に大事な分野です。アスリート向けに提供してきた睡眠や栄養の知見などを、一般の方にも提供できます。

 私が考えている5年先のビジョンは、Innovation Hubのラボが、パートナーとともにハイパフォーマンス以外の領域に対して何らかのソリューションを提供するためのハブになっていることです。