そこで私は現在の配置と比べるため、ヘリコプターをチャーターして2015年9月に空撮を行なった。以下、今昔を比較しながら航空写真を示す。すべて左が、奇跡的に1991年まで残存していた「戦前の理研」または戦前に撮影された航空写真、右が2015年の同じ場所の航空写真である。

「戦前の理研」現在
<北から見た風景>
「戦前の理研」<北から見た風景>
この建物があった時代に近隣に住んでいた方に取材したところ、1950年代においてもここから巣鴨駅まで見通せたとのことなので、米軍は意図的に理研を爆撃しなかったと推測される。(出所:科研製薬)
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現在の航空写真<北から見た風景>
2015年9月12日にヘリコプターをチャーターして空撮を行なった。中央下から右上に伸びる道は、不忍通り。右上から中央上に伸びる道は、白山通り。(出所:筆者)
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<北西から見た風景>
「戦前の理研」<北西から見た風景>
(出所:科研製薬)
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現在の航空写真<北西から見た風景>
(出所:筆者)
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<西から見た風景>
「戦前の理研」<西から見た風景>
戦前の理化学研究所。(出所:仁科記念財団)
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現在の航空写真<西から見た風景>
(出所:筆者)
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 さらに、科研製薬の広報の方は、1991年に取り壊す寸前に撮影された数枚の写真をくださった。まるで今にも、仁科や朝永がビルの中から現れそうな写真である。実際、夜などはまるでお化け屋敷のようで、夜回りをするのが怖かったそうだ。

1990年ごろ撮影された「戦前の理研」1号館。(出所:科研製薬)
1990年ごろ撮影された「戦前の理研」1号館。(出所:科研製薬)
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1990年ごろ撮影された「戦前の理研」2号館。(出所:科研製薬)
1990年ごろ撮影された「戦前の理研」2号館。(出所:科研製薬)
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1990年ごろ撮影された「戦前の理研」2号館、別の角度から。手前に池と噴水があった。(出所:科研製薬)
1990年ごろ撮影された「戦前の理研」2号館、別の角度から。手前に池と噴水があった。(出所:科研製薬)
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