創業12年で国際サッカー大会の公式球に、国内VBの挑戦

並み居る大手抑えて東アジアカップで採用、イミオ 倉林啓士郎氏(前編)

2016/11/22 00:00

上野 直彦

 国内スポーツビジネス界、久々の快挙である。

 2016年11月1日、1つのプレスリリースがスポーツメディアに流れた。2年に一度開催され、日本代表も出場するサッカーの国際大会「EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ」(旧EAFF東アジアカップ)の公式球に、並み居る大手メーカーを抑えてイミオのブランド「SFIDA(スフィーダ)」が選ばれた。

 「イミオ? スフィーダ?」

 そういぶかる人も少なくないだろう。フットサルをプレーする読者ならご存じだろうが、Fリーグの公式試合球に選ばれている新興スポーツメーカーだ。フットサル分野では有名だが、今回はフットサルボール(4号球ローバウンド)ではなく、サッカーボール(5号球)だ。ボールの大きさもひと回り大きいが、さらにマーケティングはひと回りもふた回りも違い、世界的なメーカーがしのぎを削っている商品分野である。そこに世界的に無名の企業のボールが新たに公式球に選ばれたのだ。サッカー以外の国際スポーツ大会でもほとんど前例がない事例だろう。

 イミオは、12年前に1人の大学生が立ち上げた会社だ。その男が、倉林啓士郎氏である。

 東京大学在学中に会社を立ち上げてサッカーボール製造事業を開始、約12年後にイミオを売上高5億円の企業にまで育て上げた。

 スポーツビジネスの若きイノベーターが技術と戦略の余すことなく語ってくれた。東アジアカップの公式球を片手に。(聞き手は、上野直彦=スポーツライター)

イミオの倉林氏(写真:福田 俊介)

学業よりビジネス。インターンで入った会社が株式上場

―― 起業までの経緯を教えてください。

倉林 4歳くらいからサッカーを始めて、小学校から高校までは所属するチームでキャプテンを務めるほど、一生懸命プレーしていました。ですが、東京大学のア式蹴球部(サッカー部)はちょっと合わなくって…。先輩がプレーしていた「エリースFC東京」というチームで練習生としてプレーしました。しかし、当時は独り暮らしで生活費のためのバイトなどもあり、結局両立できなくなりサッカーをやめました。

 その後、いろんなアルバイトやインターンシップをやりました。そんな中、大学4年生のときにあるIT(情報技術)企業のインターンシップで働くことに。それが、すっごく楽しくて。当時スタッフは40人くらいでしたが、みんなスーパースターみたいな感じ。本当に優秀な人たちが集まっていましたね。

 そこでモバイル関連の新規事業立ち上げに携わって、当時の上司が今はその会社の社長を務めている守安さんなんです。その会社ですか? DeNAです。

「リアルなフィールドで勝負したい!」の思いで在学中に起業

―― 面白いつながりですね! 学業より刺激的だったのでは。

倉林 「とにかく日々面白かったですね。川崎さん(DeNA 取締役CTO)と、最初は3人だけの事業部で、これが大成功したんです。そこで事業立ち上げという楽しさ・やりがいを経験できました。ただ、僕としてはずっとサッカーをやってきたということもあり、別の好奇心が生まれ、リアルなフィールドで勝負したいという思いがありました。自分の会社を立ち上げ、付加価値のある「ものづくり」をしたいということです。それで大学4年生のときにイミオを創業しました。

―― 社名の意味は。

倉林 付加価値の高い意味のある商品を取り扱いたい、社会に意味のある事業をしたいという気持ちで「イミオ(意味を)」という社名にしました。

(写真:福田 俊介)

 実は最初は(当時まだ珍しかった)オーガニックコスメを取り扱いたいと計画して、ブルガリアなどの東欧に買付けに行ったんですが、薬事法のような基本知識を知らなかったので成分検査で数百万円のコストが掛かることが判明するなど壁にぶつかり諦めかけていました。

 そんな時、たまたまサッカーボールをパキスタンで作っているという新聞記事を読んだんです。現地の子どもが過酷な労働環境と低賃金で働かされていて、児童労働の問題で大手メーカーが叩かれていました。また、そういうことのない”フェアトレード”という公正な価格で現地と貿易できる仕組みがつくられているということが書いてありました。

 ずっとサッカーをやってきて、ものづくりがやりたくて会社を立ち上げ、その記事を読んだ瞬間にパキスタンという国に、ビビッときたんです。それですぐに行動に移しました。

パキスタンで目の当たりにした、過酷な子供たちの環境

―― 最初にパキスタンに行ったときの印象は。

倉林 本当に途上国で、空港に降りたときから危ない感じがしました。日本人は珍しいですから、すぐに人が寄ってきて。12年前は道も全然整備されていませんでしたし、今考えると危険な雰囲気が満載でした。最近はかなり都会になったなと思います。とにかく最初は衝撃的でした…。道端に貧しい人たちがいましたし、そういう人を見てつらい気持ちになりました。

―― 当時23歳ですよね。

倉林 そうです。日本で生まれて育ったのでショックでしたね。そこから記事に出ていたフェアトレードのビジネスづくりに早速取り掛かかりました。

 実はパキスタンでの手縫いサッカーボールの市場は世界シェアの8割ぐらいあったんです。そこでは貧しさから学校にも行けない子どもが働いて作っている。サッカーをやってきた人間としては本当にショックな現実でした。そして「これこそ自分が取り組むべき事業ではないか」という方向性がパーっと見えてきました。子どもが働かなくていいようなボールを作って、サッカーに恩返しをするみたいな。最初は、そんな気持ちでフェアトレードのサッカーボールを作り始めました。

甘い見通し、試行錯誤、空回りの日々

―― 倉林さんの行動で彼らの待遇は良くなったんですか。

倉林 最初は僕らが良い・正しいボールを作って、彼らの暮らしを良くしてあげようと、自分たちの事業を通じて何とかできるだろうという気持ちで始めました。でもスタートしてみると業界も大きく、僕らが作るボールの数は所詮数百個、数千個だったのでハッキリ言って影響はありませんでした。見通しが甘かったですね。

―― メディアでも取り上げられたりしたと思うのですが。

倉林 当初フェアトレードを売りにして、このボールは子供が働いていない環境で作ったボールですということで販売を開始しました。実際、当時、児童労働の問題で叩かれた大手メーカーがパキスタンから撤退したんですよ。ところが、大手が叩かれて撤退してしまうと、逆にその産業自体がなくなってしまった。当時最大だった生産工場が倒産して、仕事がなくなって困るということが起きてしまったんです。子どもは働けないけど、親も働けない。これではさらに貧しくなってしまいます。

 ボール産業にとっては子どもが働くことのデメリットの方が大きすぎるということが分かったので、まずはパキスタンのボール産業が自らの手で労働環境や透明性を保つ仕組みをまずつくっていかなければならない。そして今後は、基本的に自助努力でやっていけるようにしたい。フェアトレードはその一環なんです。

 実際、今も大手ボールメーカーの工場で子供が働いているかといえば、もちろんそうではありません。そうすると、逆に「僕たちの会社はフェアトレードです」とアピールすること自体に違和感が出てきたので、徐々にブランドの方向を転換して品質やデザインのユニークさを掲げるようにしました。

新たな戦略、そして挑戦。自社ブランド「SFIDA」の立ち上げ

―― その後、イミオの商品開発は順調に進んだのですか。

倉林 2005年にパキスタンへ行ったときに、オリジナルブランドのサッカーボールを「スフィーダ」という名称で立ち上げました。イタリア語で「挑戦」という意味です。

―― ボールは大手ブランドの寡占状態だった思うのですが、どういった戦略で臨みましたか。

倉林 当時のボールといえば、白黒のサッカーボールしかありませんでした。しかも、デザインがイマイチ(笑)。大手企業がほとんど独占している業界でしたので、逆に僕らみたいなベンチャー企業にチャンスがあるんじゃないかと考えたんです。すごく大きな会社だとスピードも遅い。チャレンジは僕らの方がやりやすいところがある。

 ただ、スポーツ業界について何も経験や知識がない状態で営業に出掛けると、「スフィーダ」なんて名前をお客さんは知らないわけです。全然相手にしてくれない。スポーツ業界の商慣習や特殊な流通構造も知らなかったので、市場の開拓には苦労しましたね。

 初めの頃、スポーツショップやスポーツ競技系の流通は全滅でした…。ですが、そのときに唯一問い合わせがあったのがフットサルコートの運営会社でした。「オリジナルのボールが作れませんか?」という問い合わせをいただいたんですね。そのときにフットサル人気を初めて知りました。当時、いろいろな場所にフットサルコートができてきて、ありがたいことにフットサルチームやフットサルブランドのボールを作らせてもらえて仕事が徐々に増えていったんです。

(写真:福田 俊介)

 小学生用の競技ボールがダメ、大人の競技ボールもダメだったので、もっと下の世代向けの商品を作ろうとも思いました。小学校に入る前の幼児向けのボールということで、「フットボールZOO」というシリーズを立ち上げたのですが、今はかなり人気の商品になっています。本格的な手縫いボールに動物が描かれているデザインで、ご覧になった方も多いと思います。

―― 私の家やサッカーをやらない友人の家にもあります(笑)。アイデアは倉林さんですか。

倉林 当時手伝ってくれていた女性社員からの提案です。フットサルZOOは、今ではサッカーやスポーツ関連のお店だけではなく、子ども向けのハイエンドなセレクトショップでも取り扱ってもらえるようになりました。スポーツメーカーが本格的に作った子供向けの手縫いボールは、これまでなかったので。子供向けのファーストボール(生まれて初めて触れるボール)として人気となっています。逆にいうと大人向けには入り込めなかったんで、苦肉の策で生まれたヒット商品といえるかもしれません。

オリジナルデザインでも100個から扱う、大手にできない戦略で対抗

―― ちなみにオリジナルボールですが、何個から受注可能なのですか。

倉林 100個単位の最小ロットでもデザインを受けます。ミニマム100個からです。

―― え!? それで採算が成り立つのですか。

倉林 大丈夫です。まだまだ仕事がない最初の頃、オリジナルでボールを作りたいというお客さんからの問い合わせが多かったんです。僕らも大手のやれない新しいことをやっていかないといけないので、生産の効率化やデザインは、そこで鍛えられた部分もありますね。

 正直、100個だけ作ると、ビジネスとしてはなかなか難しいんです。ですが、ユニークなデザインのサッカーボールが世の中に出ていくことで、そこから先の展開で受注の個数が増えていくということも実績としてはあるんです。事業として利益が出るというより、会社としてのPRや新しいお話をいただく入り口としてサービスを続けています。

スフィーダが Fリーグの公式球に

―― 日本フットサルリーグ(Fリーグ)の公式球に選ばれたのはいつですか。

倉林 契約したのは2015年ですね。

―― 創業から十数年の新興メーカーがどうやって?

倉林 Fリーグには、2010年ごろから営業していました。当時はミカサが公式球でしたから「僕らも負けないくらい良いボールを作りますよ」と地道に営業をしていましたが、全く相手にしてもらえませんでした。ところが2014年、Fリーグのメインスポンサーが降りたタイミングで、Fリーグから急に話をいただいたんです。

 それまでも多くのボールを作ってきたので商品のクオリティーには自信を持っていました。もちろん、競技向けはしっかりとやりたいと考えていました。競技向けのボールは、協会などのお墨付きがないとなかなか売れません。フットサルコートと付き合いがありましたので認知度は結構高かったと思います。

 布石も1つ打っていました。2013年に英国の「mitre(マイター)」という老舗スポーツブランドの代理店を始めたのです。マイターは200年の歴史がある世界最古のサッカーボールブランド。サッカー協会やサッカーチームの上の方などは良く知っているブランドです。最初はFリーグからはマイターでどうですかと話をいただいたんですが「フットサルボールだったらスフィーダという弊社のオリジナルブランドもあります」と提案して、スフィーダが公式球として採用されることになったんです。公式球はリーグのスポンサーでもあるので、それなりに零細企業の僕らとしては大きい投資をしなくてはいけない。リスクはありました。でも、このタイミングでやらないとダメだと思って、やりますと即答したんです。

―― イミオ創業以来の潮目ですね。

倉林 その通りです。ただ、Fリーグもメインスポンサーの契約の切り替え時期を迎えて、各スポンサー企業がいなくなってしまったということもあって、このままだとリーグ存続の危機というタイミングで、僕らが最初にスポンサーとして即決したんです。

 自社だけでなく、ゼビオやチェリオコーポレーションという僕がよく知っている企業にもお願いをしてスポンサーについていただいたので、僕としても一緒に仕事がしやすい人たちとスポンサードすることができましたし、Fリーグやサッカー協会の皆さんからも感謝していただけました。

―― なるほど。では、次回は、いよいよ東アジアカップの公式球採用の経緯を教えてください。

(次回に続く)

(写真:福田 俊介)
上野 直彦(うえの・なおひこ)/スポーツライター
上野 直彦(うえの・なおひこ)/スポーツライター 兵庫県生まれ。ロンドン在住の時にサッカーのプレミアリーグ化に直面しスポーツビジネスの記事を書く。女子サッカーやJリーグを長期取材している。

『Number』『AERA』『ZONE』『VOICE』などで執筆。テレビ・ラジオ番組にも出演。経済アプリ・NewsPicksでの“ビジネスはJリーグを救えるか?”が好評連載中。

Twitterアカウントは @Nao_Ueno