今回で本連載を終了する。最終回のテーマは「イノベーションは、本当に機能しているか」である。「イノベーション=技術革新」ではない。イノベーションは経済成長の原動力だ──本連載はこれを統一主題として出発した。続けて、経済成長に貢献したイノベーションの具体例をいくつも挙げ、紹介してきた。その統一主題への疑いが最終回のテーマだ。

 バブル経済が崩壊した1990年代半ばから既に20年以上、日本経済は低迷している。日本ほどではないが、2008年のリーマンショック以後の10年、先進地域の経済成長率は芳しいものではない。「資本主義の自壊」[中谷、2008]や「資本主義の終焉」[水野、2014]さえ議論の対象となっている。

 なぜ経済は伸びないのか。経済成長の原動力のはずのイノベーションは、ちゃんと機能しているのか。最終回は、この疑問から出発する。

ICTの功罪

 ここ数十年、イノベーションが一番起こったのは、いわゆるICT(Information and Communication Technology)分野である。何よりもまず、インターネットというグローバルな情報インフラストラクチャーが生まれ、定着した。インターネットの出現は、それ自身、巨大なイノベーションだ。パソコン、携帯電話、スマホなど、新製品も、ICT分野では続々登場した。

 しかし日本では、そのICT産業が凋落してしまった[西村、2014]。21世紀に入ってから、日本の電子産業の国内生産金額は、ピークの半分以下に落ち込み、貿易収支は赤字に転落した(図1)。日本経済の低迷に、電子産業の衰退は相当影響している。

図1 日本電子産業の軌跡
(図:経済産業省機械統計、財務省貿易統計を基に筆者が作成)
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 ただしこれは、日本だけのことである。世界全体でICT関連産業が衰退しているわけではない。例えば連載第12回で紹介した2017年末時点での時価総額上位5社、米アップル社、米アルファベット社(グーグル社とそのグループ会社の持ち株会社)、米マイクロソフト社、米アマゾン・ドット・コム社、米フェイスブック社は、広く考えればすべてICT関連企業だ。

 ICT分野の製品には、単価の高くないものが多い。そのうえ技術進歩によって急速に価格が下がる。この点は、例えば自動車産業とは著しく違う。

 この価格低下が、「貯蓄過剰=需要低下」に拍車をかけているという指摘がある。例えば過去数十年間のコンピューター価格低下は著しい。だからいわゆるIT(Information Technology)投資は、大規模に行われたとしても、金額ベースではあまり大きくならない。総需要への寄与は小さくなる。さらに投資に必要な金額も大きくない。従って投資資金需要も低迷し、金利が低下してしまう[福井、2018、p.55]。

 ICT分野のイノベーションは、情報交換を安価・高速にした。これによって誘引されたイノベーションもある。分業が盛んになったことである。インターネットは取引コストを下げ、社外との連携を促進した(本連載第8回参照)。

 本連載で何度か指摘してきたように、1つのイノベーションによる利潤は永続しない。模倣的競争者が現れ、利潤の源泉である「差異」が縮小し、やがて消滅するからである。この「差異」が消滅するまでの時間を、ICTの進歩が短くした可能性がある。というのは、新しいイノベーションの出現を速やかに知ることができれば、競争者は短時間に模倣できるからである。ICTは、1つのイノベーションの有効時間を短くした可能性が高い。

 イノベーションは次々に生まれているが、その効果が国民経済全体にはなかなか広がらないという現象が起こっている(後述)。この現象の原因の1つは、イノベーションの有効時間がICTによって短くなったせいかもしれない。

 ロボットや人工知能(AI)などの新技術は、経済にどう影響するか。新技術には、労働を補完するものと、労働を代替するものがある。加えて、新しい労働(仕事)を創り出す新技術もある。

 労働を補完する新技術なら、新技術の導入によって労働生産性は上昇する。従来の経済成長理論が扱ってきたのは、この型の技術だという。労働人口が増えると新技術が補完的に働いて、労働生産性がいっそう高まる。逆に労働人口が減ると、新技術の補完効果も弱まり、経済成長にマイナスの影響が発生する[福田、2018、p.162]。

 労働と代替的な関係にある新技術の場合、新技術は雇用を減らす可能性がある。労働人口が減少すると、それに代わる新技術が導入される。その結果、労働人口が減少すればするほど新技術の開発が活発になり、労働力減少のマイナスの影響を相殺する。労働力が減少しても、経済は縮小しない。

 ただしこの場合、新技術が導入されても、労働生産性はほとんど上昇しない。労働を新技術が置き換えるだけだからである。このときは賃金上昇は望めない。新技術の価格低下に伴って賃金も下落する。経済成長の下でも、労働者への分配が低下し、所得格差が拡大する恐れがある[福田、2018、pp.161-163]。

 新技術は一般に、労働の補完や代替に留まることはまれである。新しい仕事を創り出すことも少なくない。それまでになかった職業、それに伴う新しい雇用、こういうものの創出が、新技術への期待だろう。そしてどんな仕事が新技術によって生まれるか、これは生まれてみないと分からないことが多い。

 ICTの進展は、「電子・金融空間」と呼ばれるような金融商品取引の場を創造した。これはイノベーションである。だがマイナス効果もある。

 そこでは1マイクロ秒以下の時間に、金融商品の売買が行われる。頻繁にバブルが発生し、たちまちはじける。為替レートのわずかな「差異」を目指し、大量の資金が国境を超えて殺到する。1997年のアジア通貨危機は、こうして発生した。

 ほぼ同時期に金融工学が発展し、様々な金融派生商品(デリバティブ)が生み出される。2008年のリーマンショックは、金融派生商品の暴落がきっかけだった。

イノベーションがマクロ経済の成長に結びついていない

 経済成長指標の1つに「1人当たり所得」の成長率がある。この成長率は、おおむね労働生産性の伸びに相当するという。そして労働生産性の上昇をもたらす最大の要因は、設備投資とイノベーションである[吉川、2016、pp.74-75]。

 ところが、その労働生産性が低迷している。日本を含む大半のOECD(経済協力開発機構)加盟国では、2000年代初頭から生産性の低迷が始まっている[村上、2016、p.150]。米国では2010年代に入ってからは生産性の伸びが著しく低下し、「長期停滞」(long stagnation)の時代に突入した、という議論がなされるようになった[吉川、2016、p.184]。

 労働生産性が伸びなくなったということは、設備投資かイノベーションのいずれか、あるいは両方が不振だということになる。設備投資については後で考える。ここではまず、イノベーションについて見てみよう。

 2018年1月3日にNHKのBS1で、「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」が放送された。「一方にテクノロジーの発展がある。しかし先進地域の経済はわずかしか成長していない。テクノロジーの発展と経済成長、両者はこの10年、分断されている」。番組内で仏経済学者コーエン(Daniel Cohen)はこう強調し、この状況を「パラドックス」と呼んでいた。

 新しい「差異」は今も次々に生み出されている。企業家はそれを「市場に媒介」し、新興企業が利潤を伸ばしている。連載第12回で紹介した時価総額ランキング上位企業が、その例だ。すなわちイノベーションは起こっている。ところが先進国では、マクロ経済の成長は弱い。イノベーションがマクロ経済の成長に結びついていない。

 少し復習する。イノベーションは企業に利潤をもたらす仕組みでもある(連載第2回)。「発展なしには企業者利潤はなく、企業者利潤なしには発展はない」[シュムペーター、1977、下、p.53]。そして、利潤を得ている企業は、いくつもある。しかし経済システムは成長していない。これが先に挙げたコーエンの「パラドックス」だ。

 問題の1つは「経済システム」とは何か、である。1企業の業績を経済システムとみることもできるし、1国の経済全体を経済システムと考えることもできる。上記のコーエンのパラドックスは、こう言い換えられる。「イノベーションによって利潤を伸ばしている企業は存在する。しかし国の経済は伸びていない」。

 この理由として、生産性の高い企業とそうでない企業の格差拡大が挙げられる。結果として、生産性の平均値は伸び悩むことになる。イノベーションは起こっている。けれどもその恩恵にあずかれるのは一部の先進的企業だけ、という状況である。イノベーションの効果が、国民経済全体に広がっていかない。この状況が、経済全体の生産性の底上げを困難にしているという[村上、2016、pp.151-152]。

 これは「格差」につながってくる。イノベーションの恩恵を受けるのが、一部の先端企業だけだとすると、そういう先端企業と関係している一部の人だけが、イノベーションの恩恵を享受できる。そういう人は、相対的には所得上位の人だろう。一般の中流層には、イノベーションの恩恵が及んでこない。

 イノベーションの恩恵を経済全体に拡散させるには何が必要か。企業の国際化、市場への参入規制撤廃、起業しやすい環境整備、「ゾンビ企業」退出の推進──などが挙げられるという[村上、2016、pp.152-154]。

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