1993年に米ハーバード大学の経営大学院、ハーバード・ビジネス・スクール(Harvard Business School)で少人数の討論会があった。集まったのは米国企業の研究マネジャーやイノベーションの研究者である。集まった人たちには共通の認識と懸念があった。

 企業の研究活動(industrial research)における1つの時代が終わろうとしている──これが共通認識である。米国企業は基礎研究を縮小し、研究開発活動を事業密着型に変えている。

 それで米国経済は大丈夫なのか。これが共通の懸念だ。米国のベル研究所や、デュポン社の中央研究所などは事実上、国立研究所の役割を果たしてきた。これらの企業研究所がなくなったり、縮小したりしている。それにもかかわらず、米国の大学の研究予算が増えているという事実はない。米国のイノベーションの源泉がなくなってしまうではないか。

 討論の内容は、新たな寄稿も加えたうえ、『Engines of Innovation』と題する本にまとめられた[Rosenbloom, et al, ed., 1996]。この本は筆者によって邦訳され、『中央研究所の時代の終焉』のタイトルで出版されている[ローゼンブルームほか編、1998]。

 1993年の討論会から四半世紀が経過した。表1は、1992年と2017年における世界全体の時価総額ランキングである[ファイナンシャルスター、2018]。この表に見る限り、懸念は杞憂だったと言うべきだろう。2017年の上位5社は、すべて米国企業だ。

表1 1992年と2017年の時価総額ランキング(グローバル)
(表:[ファイナンシャルスター、2018]を基に筆者が作成)
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 時価総額上位5社は、1992年と2017年で様変わりしている。2017年の上位5社のうちの3社、アルファベット社(グーグル社とそのグループ会社の持ち株会社)、アマゾン・ドット・コム社、フェイスブック社は、1993年には存在すらしていない。

 すなわち米国経済は、25年前とはまったく別の企業群によってけん引されるようになった。時価総額そのものも、しっかり成長している。「企業の研究活動における1つの時代の終わり」、すなわち「中央研究所の時代の終焉」は、イノベーションの源泉枯渇を意味しなかった。「差異」は次々に創出され、それを「市場に媒介」する企業家も次々に現れ、新しい企業群は大きな利潤を得て成長した。

 ただし、世界経済に不安がないわけではない。連載前回の最後に指摘したように、至る所で資本主義への不信が渦巻いている。この問題は、連載の後の回で議論したい。

 今回は「中央研究所の時代」がどのように始まり、どのように終わったか、この過程を長い歴史的視野のなかにおいて考えてみる。それは営利企業における研究活動が、どのように始まり、どのように衰退していったか、この過程を調べることにほかならない。

中央研究所の時代はリニアモデルの時代

 営利企業における研究活動の定義としては、次の例が分かりやすい。本稿でもこの定義に基づいて議論を進める。

「生産工場とは別に設置された企業研究所において行われる研究で、スタッフは科学または技術の高等教育を受けている。企業と関係のある科学や技術を深く理解しようという方向性をもって、この研究は行われる。ここの研究者は、企業の現在の直接的な要求から、ある程度隔離されている。ただしその会社の長期的なニーズには責任がある」
[Reich, 1985, p.3](引用は[ハウンシェル、1998、p.25]から)

 この研究活動のための組織を、本稿では「中央研究所」とする。実は中央研究所という名称の組織は、いまや絶滅危惧種である。多くの企業が中央研究所を廃止したり、機能を縮小して組織名を変えたりしてきた。しかし本稿では、その歴史的役割を重視し、中央研究所と表記する。

 米国における中央研究所の全盛期は1930~1970年ごろである。この時代を「中央研究所の時代」と呼ぶことにする。中央研究所の時代は歴史的にはリニアモデルの時代である。この時代には「イノベーション=技術革新」だった。

 本連載は「『イノベーション=技術革新』ではない」という主題の下で進行している。シュムペーターの原義に従えば「イノベーション=技術革新」ではない(連載第1回参照)。しかし、歴史的には事実上「イノベーション=技術革新」の時代があった。それが中央研究所の時代であり、リニアモデルの時代である。基礎研究を基盤とする技術革新、技術革新による経済発展、すなわち「科学→技術→経済」というリニアモデル、これが、この時代には信じられていた[隠岐、2017]。

 中央研究所は一般には、1つの企業に垂直統合された社内組織である(もちろん実際の資本関係には様々な例がある)。中央研究所で「差異」を創出し、それを社内で開発して製品に仕上げ、同じ会社が生産・販売する。すなわち「市場への媒介」も同じ会社が担う。

 イノベーションに不可欠な2つの要素、「差異の創出」と「市場への媒介」、この両者を同じ1つの会社内で行う。これが中央研究所の時代、すなわちリニアモデルの時代の特徴である。中央研究所の時代は自前主義の時代だった。

 研究、開発、生産、販売のそれぞれは、社内でリレー競争のように受け渡されていく(図1)。このリニアモデルでは、科学研究を経済の基礎に置く。「研究→開発→生産・販売」と「科学→技術→経済」は同型である。だからこそ「イノベーション=技術革新」だった。

図1 リニアモデル
(図:筆者が作成)
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 「科学が発見し、技術が応用し、人々は従う」。1933年のシカゴ万国博覧会では、これが標語として唱えられたという。この標語はリニアモデルだ。ミサ(Thomas J. Misa)は、この標語を恥知らずと批判し、技術開発における科学の役割は過大評価されていると主張する[Misa, 2004, p.261]。

 リニアモデルは歴史的には、当たり前の考えではない。科学と技術は、そして科学と経済は、長いこと無縁だった。

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