後継者が挙げる2つの継承拒否の理由

 後継者が挙げる2つの継承拒否の理由となっている、先代の苦難や功績、その成果によって今の会社が在る。そして、その現実を認識している後継者は途方もない絶望感に見舞われるのである。それは、端的に言えば「自分には何もない」という無力感と、「何もしないのに受け継ぐなんてタナボタではないか」という罪悪感によるものだ。

 だが、ここで問いたい。なぜそのように自分を追い込む必要があるのだろうか。

 私のように無責任でズボラであれば、そんなことに悩まない。1回切りの人生、その全てをダメ元と思っている私からすれば、何があっても「チャンス到来」と思えるし、それでよいではないか。

 こんなふうに書くと「それはおまえだけのこと。天井知らずのノー天気だからそう思えるだけで、一般の、それも正義感が強くて律儀な人にとっては大変なことなのだ」と言われるかもしれない。しかし、あえて言う。正義感があろうとも律儀であろうとも、会社を良くするために開発が絶対に必要なのは事実であり現実なのだ。

 つまりこれは、先代あるいは後継者が起業したり承継したりするときの決意、「よし、自分のチカラで会社をもっと良くしよう」、それと同じである。そしてこれが、後継者が事業を引き継ぐときに必要な条件とも言える。

 開発を進めるに当たって、社外にいるか社内にいるかは関係ない。他社という外から開発の準備をするもよし、社内にいて小さな規模の開発をするもよし。大切なのは、自らの意志と自らのアイデアで開発するということだ。誰かに依存したり誰かのアイデアをそのままもらったりするのでは、何の自信にもならない。

 自分で決めて自分で考える。たとえ成功しなくても問題ない。うまくいかなかったというその経験こそが、次の開発への最大のモチベーションになるからである。

 後継者が開発をすると、必ず自信につながる。先に書いた「自分には何もない」という無力感と、「何もしないのに受け継ぐなんてタナボタではないか」という罪悪感から解放されるのである。

 昔の人は「かわいい子には旅をさせよ」と言った。子どもは甘やかして育てるよりも、親元から放して世間の苦しみやつらさ、痛みを経験させるのがよいということだ。それと同じで、開発も苦しみやつらさ、痛みが伴うものであり、それを乗り越えることが大きな自信になるのである。

 さあ、後継者は開発をしよう。そして、先代(現・経営者)は一切任せて放っておこう。結果はどうでもよい。「開発に取り組むこと」。それが一本立ちへの原理・原則なのである。

 えっ、私の事業承継はどうなっているか? 改めて考えてみると、ずーっと開発し続けているのは、実は、私自身が後継者になりたいからかもしれないな……(笑)。